『ひとり空間の都市論』の要約と感想(添削後)

この文章は批評家・宇野常寛さんのオンラインサロン「Planets Club」での添削課題で提出した文章が添削されて返却していただいたものである。

課題は本を読んで要約(1000字)と感想(2000字)を書くというもの。読む本は何冊かピックアップされていて、その中で『ひとり空間の都市論』を選んだ。

選んだ理由は、「タイトルに惹かれた」からである。ひとりでいる時間が好きなこともあり、この本を読んでみたいと思った。

本の内容は素晴らしく、大変興味深く読んだ。でも書くとなると話は別で、課題提出の〆切ギリギリまで粘った。書き始めたものの、何度も路線変更したため自分のドキュメントには同じタイトルのものが多数ある。

その提出した文章がこちらである。

上記の文章を読んだあとに、こちらの文章を読んでもらえると違いがわかると思う。

【要約】

本書は、都市・建築の研究に取り組んできた筆者が、都市における「ひとり」の生態を論じた一冊だ。海外から帰国した際に改めて思う、日本の都市における一人で利用できる飲食店や娯楽施設の多さ。モバイル・メディアの普及に伴う都市を一人で過ごす人の増加。東日本大震災以降集まる「コミュニティ」「地方」についての関心。こうした気づきから「ひとり」「都市」について考え直したいと思いから、この本は生まれたという。

筆者は「ひとり」を、①単位の「一人」②孤独・独身の「独り」③状態の「ひとり」と三つに分類し、「ひとり空間」を一定の時間、ひとり状態が確保された空間だと定義する。つまり一人暮らしのように部屋に一人でいる状態だけが「ひとり」なのではなく、牛丼店で牛丼を食べる人、電車でスマホを触っている人など大人数が同じ空間にいたとしても、つながりやコミュニケーションがなく匿名性がある状態ならば「ひとり」であり、その空間は「ひとり空間」なのだ。

人同士のつながりのない個人に合わせて都市は作られている。本書では都市と個人のつながりを、「住まい」「飲食店・宿泊施設」「モバイル・メディア」から論じられる。

筆者は鴨長明の方丈庵を引き合いに出し、「ひとりの住まい」を考える上で、①モビリティ②多機能性③外部接続という三つの要素が大事だとしている。都市生活は住まいの中だけで完結させるのではなく、飲食店や宿泊施設などと接続することで成立するとも指摘する。

日本の都市にはなぜ多様な「ひとり空間」が存在するのか。それは日本社会が集団・組織の「ウチ」での一体感や帰属意識が強い分、そこから外れた「ソト」の人とコミュニケーションをとることに苦手意識があるからだ。それゆえ、独りで生活している人が多い都市であればあるほど「ひとり空間」としての飲食店や宿泊・娯楽施設が多くなる。

都市には多様な仕切りがある。それはカプセルホテルという目に見える仕切りもあれば、スマホのように小さい画面の中にある空間にアクセスできる目に見えない仕切りもある。多層な仕切りを使い分けることで「ひとり空間」を演出することができる。

これからの「ひとり空間」はAirbnbのように「個室でありながら、開かれている」というような「ウチ」と「ソト」という二者択一では語れない形に変容していき、他者との距離感をどうとるかが常に問題となりうるとしている。

【感想】

『ひとり空間の都市論』を読んで1か月以上経っている。

この本のことが頭の片隅から離れることがない。

ひとり空間を求め、ひとり空間を作り出し、ひとり空間を生きる。

自分が生きてきた34年間の人生そのものではないかと感じたからだ。

結果よりも試行錯誤

自分はイチロー選手と野茂英雄投手に影響を受けて野球を始めた。憧れの対象へと近づくために行動を起こすことが、何かを始めるきっかけとなる。

野球を始めてからは、テレビや雑誌から情報を集めては「こうすれば近づけるかもしれない」と朝と夜に練習をするようになった。本書でいうところの「ひとり空間」であり、誰にも邪魔されず自分なりに考えて試行錯誤する時間がとても好きだった。

この「ひとり空間」は父親からの離脱の効果もあった。何を言い出すかわからない理不尽な父親といかにして距離をとるか。それはスマホもネットもない当時の自分にとって、何も言われずに父親と離れられる貴重な時間であった。

自主練習というのは、家族という〈ウチ〉から道路という〈ソト〉へ飛び出すための口実でもあった。

中学高校と府大会は優勝して近畿大会に出場することはできたが、全国には届かなかった。でも当時は結果が欲しいというよりも、「この練習をしたら自分の体はどう変化するんだろう」「もっとこうすれば打てるようになれるかもしれない」と"調べて試す”日々を楽しんでいた。

全体練習よりも個人練習。学校管理下よりも誰も見てないところ。つまり〈ウチ〉よりも〈ソト〉の時間を作り、充実させることを考えていた。

こうして親と指導者から離れ、「ひとり空間」で培った知識と経験と技術の積み重ねが、現在、体育教師の仕事をするうえでのベースとなっている。そして、「運動は結果よりも大事なことがある」と言える根拠にもなっている。

RPG(ロールプレイングゲーム)

浪人して宅浪という壮大な「ひとり時間」を満喫したあとに、晴れて大学生となった。

「飯・風呂・寝る」だけの実家は、さながらドラクエの教会のようなものだった。実家は最寄り駅の近くで、駅前には大抵のものは揃っている。実家を拠点にして、チャリで少し漕げば様々なものにアクセスできる環境を存分に活かして20代を過ごした。

ゲオとブックオフは自分の本棚だと思っていたし、ジムに行けば体を絞ることもできる。街に出て経験値を積むことで教師としてのレベル上げをしている感覚もあった。
行きつけの古着屋はクドカンドラマの溜まり場のような場所で、店長や常連仲間と音楽やアメリカカルチャーなどを語り合った。彼らは貴重なスケボー仲間でもあった。小さな店でも世界観があり、人間関係を深めれば新しいシナリオが動き出す。

この街には部屋を拡張する機能もあれば、家とも勤務校とも違う居場所を私に与えてくれる〈サードプレイス〉的な機能もあった。
街というフィールドでRPGをしているような気分で〈ウチ〉と〈ソト〉の行き来や、匿名性のもとで〈ひとり空間〉を過ごしていたと思う。

チャリで〈ソト〉へ離脱する

20代はスマホを持たないこととLINEをしないことをマイルールとしていた。ネットを通じてつながることを極端に嫌っていたからだ。誰かにアクセスするためには、チャリで直接会いに行く。ケータイを持たずにウォークマンで音楽を聴きながら移動していた中学時代から変わることない習慣だ。

基本的には自分から連絡を取らないし、予定も組まない。職場の飲み会は職員室の会話の流れからが多かったし、古着屋の仲間とは店をふらっと訪れたときに予定が合えば飲みに行く。誰とも都合が合わなければ、ひとりで映画館へ行くというような感じだった。

ネットを連絡手段とせず、自分が移動することで〈ウチ〉から〈ソト〉への離脱が容易になることに気づいていたのだと思う。

リアル空間の縮小とネット空間の拡張

30歳になる年に結婚し、翌年に子どもが産まれた。その過程でスマホが必要になり、購入することになった。

それは奥さんとの連絡用なのだが、以前のように外出できなくなり、今までやっていたことをネット空間に置き換えていく必要が生じたからだ。

本棚とゲオはkindleとネトフリとYouTubeへ。飲み会や古着屋といった溜まり場のかわりにSNSとオンラインサロンに交流を求めるようになった。

家にいる時間の〈ウチ〉の世界から細切れでおとずれる〈ソト〉の時間。スマホを相棒にその時間を「ひとり空間」にしていく。

今はまだ、「発信する」ことで自分のレベルを上げたり、新たな交流を生み出そうと試行錯誤している段階である。

この時間がないと正直、結婚生活はきつい。この時間があるからこそ家族も仕事も大事にできる。〈ソト〉に逃げられる安心感が〈ウチ〉の時間に余裕を与えてくれている。

今後の展開

今後、幼稚園や習い事など娘を外部接続させて、自分に「ひとり空間」が生み出されるようなこともあるだろう。自分が動き回らずとも、相手を動かして自分がひとりになる展開も悪くない。

ひとり空間を求め、ひとり空間を作り出し、ひとり空間を生きるーー。

そんな性分はこれからも変わらないと思う。〈ウチ〉と〈ソト〉を行き来できるからこそ〈ウチ〉に過度な期待もせず、優しくいられるのだから。



あとがき

難産の末、やっと生んだ我が子が真っ赤になって帰ってくるのは感慨深いものがある。

PLANETSの方には、ここまで丁寧に赤入れしていただき感謝しかない。稚拙な文章を読むというのは本当に大変だ。自分も教師をしているので、よくわかる。

次の課題では、すこしでも成長した姿が見せられるように頑張っていきたい。

具体的に何をどのように変えていくべきかは、別の記事にしていきたいと考えている。


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