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日本橋散策日記(全文無料)

2023年7月29日 気の利いた手土産をさらっと買える大人になりたい

行きたいです、と自ら申し出たパーティなのに、自分が4人以上の雑談が苦手だということを思い出して憂鬱になっていた。なぜだかそのことを忘れたまま勢い余ったのだ。
だがそれでも、外に出て人と関わらなければ人生は面白くならないし、面白いものは書けない。そう唱えて左右の足を前へ一歩ずつ動かす。こういう時は手土産を持っていくものだ、というマナーがインストールされたのは数年前、20代半ばくらいのことだ。
今日は通り道である日本橋の老舗和菓子店などに寄って買って行こう。
こういう時、大人になった感じがする。子供の頃は友達の家で遊ぶのに自発的には何も持って行かなかったし、家に来た友達が何かを持ってくることもなかった。学生時代まではそうだった。それがいつからか、手土産やちょっとしたギフトなどをあげるという文化が勃興した。
なるべく添加物が少なく、日持ちして、おしゃれで、おいしくて、有名すぎない気の利いたものをさらっと手渡してセンス良いアピールをしたい。こないだ出版社の編集者さんにクッキーをいただいたのだが、可愛い上に添加物・砂糖不使用で、検索してみると全然有名なお店でもなくて、私はいたく感動した。完璧だ。私が求めているものはまさにこういうものなのだ。
そんなふうに得意になっていたが、電車の中で焦り始めた。なぜサラッとちょうど良いものが買えると思いこんでいたのか。確かに和菓子店はあるが、パーティにはたくさん人が来てみんな何かしらの手土産を持ってくるだろうから、日持ちしないものはやめたほうが良いんじゃないのか。このままだと東京ばな奈とかになってしまう。そんな定番を買うのはプライドが許さない。そもそも主催者の好みとかも知らない。何もわからない。雑誌の手土産リスト系の記事はチェックするようになったけど、こういう機会に恵まれてはいないので実践が全然伴っていない。

ネット検索では目ぼしいものが見つからないまま、日本橋についてしまった。時間もなかったので、結局三越日本橋でイタリア輸入のなんかおしゃれなチョコレートを買った。
バス停に向かう途中で榮太楼を見かけて、こないだのYNKsの方たちとの取材散策を思い出す。バスの時間まで少しあったので覗いてみると、あるわあるわ、おしゃれで手頃で日持ちのするものが!
普段からリサーチして、ちゃんと準備をしておく、そういう大人になりたい。そうしみじみ思いながら会場に着く。

ほぼ初対面の人たちと、ネイルを褒め合う一幕があった。私は物を手に持って撮った写真をSNSに投稿する際にオシャレ感を出したいがために親指の爪だけネイルを塗り、それを放置していることがよくある。最近はもう人に会う時もそのままで「最近はこういうスタイルもあるんですよ?」という顔をしてやり過ごしているので、今日も親指だけネイルで来てしまった上に、ハゲている。
人に指摘される前に上記を自己申告して切り抜けた。ネイルが中途半端な大人もやめたいと思った。
大人になってよかったこともあれば、子供のままでいたかったと思うこともある。例えば学校に行かなくて済むだけで大人になってよかったと思うし、コミュ障が許される子供のままでいたかったと思う。
でも心配していた4人以上の雑談のほうはなんだかんだある程度はできた気がする。それに、以前は全くなかった社会人としての向上心を持つようになったこと自体が、大人になったなあと、思うのだった。

8月8日 高層ビルと緑の共存

試写にて『ほつれる』(レビュー書きました)を観たあと、こないだサンドウィッチ売り切れだった日本橋高島屋の薔薇窓へ。こないだは高島屋内で道に迷ったけど、2回目なので比較的スムーズに辿り着いた。この隠し喫茶感も粋である。1.5階にあるというのが、ハリーポッターの隠しホームを思い出す。
薔薇窓ミックスサンドを食べながら、向田邦子『思い出トランプ』の「かわうそ」を読んだ。
デパートの屋上の描写が出てきたので、店を出て高島屋の屋上に向かった。レトロなエレベーターには今もエレベーターガールがいて、目鼻立ちのはっきりした華やかな美人がひたすら定形文だけを堅苦しく喋る様子はさながら近年のAIロボットを彷彿とさせる。
「かわうそ」のデパートの屋上は、子供向けの催しとしてプールでかわうそが数匹泳いでいるという描写なのだが、日本橋高島屋の屋上には水はない。その代わり植物園のように緑豊かだ。例えば西武池袋の屋上は噴水があって昔ながらのデパートの屋上の面影が残っている気がするが、日本橋高島屋は今っぽい垢抜けた庭園という印象。
緑の後ろには高層ビルが見えて、緑とビルのコラボレーションはやはり良いなと思う。新宿御苑のような、都会にしかない風景。

8月12日 都会の空も意外と良い

馬喰町のリサイクルショップ・hystへ行ったあと、三越の屋上に行ってみる。エレベーターガールはいなかった。浅く広い池があって、若干涼しい。高島屋と同じく植物が多く、ビルが見える。西武池袋と日本橋高島屋の中間くらいの雰囲気。
日本橋公証役場の1階の外にこの暑いなか何やらおしゃれな若者たちが屯している。アイスクリーム屋らしい。このようないかにも厳かな近代建築に今時なお店があるのはなんだか良いな。
東京湾クルージングに乗ってみたい。
八重洲方面へ歩き、最近腰が痛いので四叉路の信号待ちで軽く腰を伸ばすストレッチをすると、1階にウェルシアが入っているモダンなビルと現代的な高層ビルが目に入り、さらに上半身を逸らすと抜けるような雲ひとつない青空が広がっている。意外と広がっている。
自ずと深呼吸に近い形で息を吐くと、不思議と心が落ち着き、気持ちいい。山で深呼吸をするように。海で青空を眺めるように。都会で東京で空を見上げることはない、というようなクリシェがあるが、確かに今まではほとんどなかった。都心ではもちろん星はほとんど見えないし、昼間の空も、田舎の青空を水で薄めたような色をしている。
それでも青空は青空なのだ、と思える青空だった。
無数の人や車が行き交う大都会の真ん中で、私はストレッチをし深呼吸をしている。
何だか自分だけが取り残されたような、しかし居心地のいい不思議な感覚に陥る。忙しない都会で、自分だけがのんびりしているという優越感がある。
味を占めて日本橋の交差点でもストレッチをしてみた。やはり良い。いくら高層ビルがあっても、大きな交差点だと空が広い。

TOYOに行ったら休みで、「げるぼあ」に行ったら17時閉店だった。仕方なくさっき通りかかったミカドコーヒーで、惜しまれつつ閉店した沼袋店を想いながらモカソフトを食べた。2階の座り喫茶が空いてなかったので、立ち喫茶なる斬新なスタイルで。

8月17日 向田邦子の日本橋

ROJI日本橋の前でケサランパサランを目撃。日本橋に出ると何やら磯の匂いがする。
こないだのお盆の土曜は勤め人の姿は少なく外国人観光客で賑わっていたが、平日の今日は勤め人が多く目に入り、観光客は少ない。
気になっていたCAFE TOYOに入り、食事は2階と書いてあるので階段を登ろうとすると、1階でもいいですか?と言われる。
数量限定の日替わりランチは終了とのことで、Aランチ(エビフライと目玉焼きのせハンバーグ)。ファストフード店並みの早さで、昔ながらの洋食屋といった風情のエビフライとハンバーグが出てくる。
日当たりの良い大きな窓から中央通りが見え、スーツのビジネスマンが一人、二人と足早に通り過ぎていく。斜め前のテーブルの男女がそれぞれクリームソーダとコーヒーフロートを飲んでいる風景が、妙に美しく映る。
向田邦子の『思い出トランプ』収録「はめ殺し窓」と「三枚肉」を読む。

向田邦子が23歳から9年間勤めていた出版社・雄鶏社のあった江戸橋近くの昭和通りを歩く。雄鶏社が入っていたのは今はなき山叶証券ビルという昭和通りに面した建物らしいが、現在どこに当たるのか細かい住所は特定できなかった。向田邦子もここを歩いていたのか、と思いながら歩いてみるものの、この辺りには昭和の面影はほとんど残っていない。だが一つ裏通りに入ると、古いビルが所狭しと立ち並び、古い喫茶店や居酒屋がぽつぽつとある。
日本橋郵便局には前島密像がある。中3の時の担任の先生が、何かの流れで前島密の話をしていたのをなぜかずっと覚えている。密という名前が、秘密を内包した手紙という言葉と関連しているようにも思える、みたいな話をしていたような気がする。
向かいにある日本橋ダイヤビルディングがおしゃれ。下部分の古い建物をくり抜いて、新しい高層ビルを建てた、というアクロバティックな構造らしい。土曜は閉まっていたが平日は誰でも入れるようで、モダンな玄関が素敵だ。
1階の、倉庫業を軸にした日本橋の歴史の展示は無料なのに充実の内容。ただ、まだあまり土地勘がないので、昔の日本橋付近の絵や写真、地図を見ても、「あ〜あそこね!」という感動はあまりない。ストリートピアノと、誰でも休憩できる椅子がある。新宿や渋谷に比べると、このあたりは無料で座れる場所が多いような気がする。
山二証券ビルは工事中でネットに覆われている。どうりで前回も通ったけど気づかなかったわけだ。
例によって、日本橋で腰を伸ばす。やはり空が広い。今日も雲ひとつない晴天。


以上は、八重洲・日本橋・京橋周辺のカルチャーメディア『YNKs』でのエッセイ連載「YNKsみんぞく採集」の準備のため、取材がてら散策をした記録です。

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