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ひとりぼっちの宇宙人─ウルトラセブン視聴記─ 「狙われた街」と現代

ひとりぼっちの宇宙人
─シューチョの『ウルトラセブン』視聴記─
第8話「狙われた街」[B]

「狙われた街」といえば、メトロン星人とダンのちゃぶ台対面やラストのナレーションが有名ですね。しかし──前者場面を彷彿とさせる?ような表紙写真を貼っておいて言うのも何ですが(頭掻)──本話の真骨頂はそこではなかろうと考えます。

狙われた街での、モノローグおよび同じ宇宙人からの警告

北川町の住民が次々と事件を起こします。乗客に襲いかかるタクシー運転手、自分で旅客機を墜落させてしまうパイロット(=アンヌの叔父)、ライフルを乱射する青年…。

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ダン「またしても北川町の住民だ。これは単なる偶然とは思えない。何かある。きっと何かある」(モノローグ)
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《モロボシダンのモノローグ》の表出。「透視不可能な物体」に言及した第2話「緑の恐怖」や「ウルトラアイは僕の命」と呟く第3話「湖のひみつ」での表出に比べ、他の登場人物でも推理できそうなやや平凡な内容ではありますが、主人公ダンのモノローグでの表出とすることで物語の大事な流れであることを隈取りする効果があります。

「何かある」と気づいたダンはライフル青年の話を聞きに彼を取調中の警察へ。ダンは、その帰りに無人のダンプカーに追われ、少しのカーチェイスの後、正体不明の声に空から忠告を受けます。

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謎の声「モロボシダン、いや、ウルトラセブン。我々の邪魔をするな。これは命令だ。今すぐに手を引け。我々にとって、君を倒すことは問題ではない。だが、同じ宇宙人同士で傷つけ合うのは愚かなことだ。もう一度忠告しておく。北川町に近寄るな、ウルトラセブン!」

ダン「やっぱり…。それにしても何を企んでいるのだろう。」(モノローグ)
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「宇宙人同士」という語句が出ました。この「宇宙人同士」あるいは少し変形された「同じ宇宙人」という言葉は、主人公(→注1)と異星人の関わりとしては、当然ながら、同一型主人公においてのみ表出され、不同型主人公の言葉にはなりえません(全不同型の全台詞までは調べきれていませんが…少なくともそれが本来です)。つまり「宇宙人同士」「同じ宇宙人」の語は、ダン=セブンが同一型であるがゆえに表出されてくるキーワードです。

注1…「主人公」とは「ウルトラマンに変身する存在」を指すものとします。『ウルトラセブン』の主人公はダン(同一型)、『ウルトラマン』の主人公はウルトラマンではなくハヤタ(不同型)とします。

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「宇宙人同士の約束ね」(ドロシーに化けたペダン星人)
「ほんとうです。宇宙人同士、いや…、地球人とペダン星人の約束として、そのことを協議してきたんです」(ダン)
──第15話「ウルトラ警備隊西へ 後編」──

「私も同じ宇宙人だ。嘘は言わない」(セブン)
──第16話「闇に光る目」──

「なぜこの星ででも生きようとしなかったんだ。僕だって同じ宇宙人じゃないか」(ダン)
──第38話「盗まれたウルトラアイ」──
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これらよりも早い、第1クールに属する本話「狙われた街」の上記の場面が「宇宙人同士」の表出の端緒となるもので、しかもそれは、ダン自身ではなく「謎の声」の主である異星人=メトロン星人の側から発せられたものだったのでした。メトロン星人は、明確に地球侵略の意志を持ちながら、しかしダン=セブンとの闘いは回避しようとします。ダン=セブンに対し「宇宙人同士で敵対するのはやめようではないか」というポーズをとり、「おまえも所詮人類ではないのだから要らぬ介入をするな」と牽制するのです。

狙われた街でのダイアローグ

その後メトロン星人は、自分の忠告を聞き入れないまま行動を続けるダンをさびれたアパート(実は秘密基地)へと誘導します。

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メトロン「ようこそ、ウルトラセブン。われわれは君の来るのを待っていたのだ」

ダン「なに!?」

メトロン「歓迎するぞ。何ならアンヌ隊員も呼んだらどうだね」

ダン「君たちの計画はすべて暴露された。おとなしく降伏しろ!」

メトロン「ハッハッハ…、われわれの実験は十分成功したのさ」

ダン「実験?」

メトロン「赤い結晶体が、人類の頭脳を狂わせるのに十分効力のあることがわかったのだ。──教えてやろう。われわれは人類が互いにルールを守り、信頼し合って生きていることに目をつけたのだ。地球を壊滅させるのに暴力をふるう必要はない。人間同士の信頼感を無くすればいい。人間たちは互いに敵視し、傷つけ合い、やがて自滅していく……どうだ、いい考えだろう」

ダン「そうはさせん!地球にはウルトラ警備隊がいるんだ」
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《ダンとのダイアローグ》。第6話「ダーク・ゾーン」でペガッサ星人にダンがペガッサ爆破の事実を伝えるシーンがその端緒で、本話は2番目のダイアローグとなります。ヒドラ、ジャミラ、ゴモラ、ウー…などの《物言わぬ》怪獣たちと対峙したウルトラマン。そうした《怪獣挿話集》『ウルトラマン』ではメフィラス星人のような存在は一つのヴァリエーションという位置付けでした。それに対し、『ウルトラセブン』では、ダン=セブンと知的な星人との《対話》の表出がフィクションの柱の一つとなってきます。

《ダンとのダイアローグ》は、話数が進むに連れて、より深まっていきます。本話では「教えてやろう」と言って自らの企図を説くメトロン星人が重要な発話を担い、ダンの方はほぼ受け答えに終始するのみですね。それが、先述の、《宇宙人同士》のキーワードが出る「ウルトラ警備隊西へ」「盗まれたウルトラアイ」では、ダンも中身のある発話で応答する形で星人との対話が為されていることがわかります。「闇に光る目」でのアンノンの相手はダンではなくセブンですが、同様です。そして、第26話「超兵器R1号」における「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」という有名な言葉も、フルハシとのダイアローグの中から生まれたのでした。

《嗤うインベーダー》の系譜

メトロン星人の名前の由来はおそらく地下鉄や都市圏を表す言葉 metro でしょう。彼の企みは、物資と情報の絶え間なく行き交う都市に仕込んでこそのものです。メトロン星人が北川「町」を選んだのは、まずは小規模に実験するためだった…と考えれば合点がいきます。

メトロン、ペロリンガ、ポールの3星人を「嗤うインベーダー」と私は呼んでいます。人類を高みから見下ろし、何だかあまり真剣味がなく、余裕を持ってしかけてくる、そしてどうやら戦闘そのものは好まない、といった点が特徴です。クール星人の「高み」は口だけ(笑)、ロボット長官は近いんですが…彼もガッツもサロメも、「高み」にいるかまたは「嗤う」のですが侵略や戦闘自体には真剣で、3星人のような「翔んだ」感じは希薄です。

さて、上記対話の直後、メトロン星人は部屋の奥の、ビルトインされていた宇宙船に乗り移ります。

「ウルトラ警備隊?恐いのはウルトラセブン、君だけだ。だから君には宇宙へ帰ってもらう。邪魔だからな。ハハハハハ……」

メトロン星人を追って(思わずつられて?)宇宙船に乗り込むダン。メトロン星人がダンを基地へ誘導したのは、基地から発射するロケットごとダン=セブンを宇宙へ追放するためだったのでした。

メトロン星人の行動は一貫しています。ダン=セブンと戦う意思はないということですね。アイスラッガーとエメリウム光線による素早い畳み掛けであっけなく撃退されるのは、第1クールに共通の『ウルトラセブン』らしさであり、メトロン星人の戦闘に関しての弱さ/執着の無さの象徴でもあります。

「狙われた街」と現代 ─結 び─

メトロン星人の地球侵略計画は、こうして終わったのです。人間同士の信頼感を利用するとは、恐るべき宇宙人です。でもご安心下さい。これは、遠い過去に作られたフィクション、すなわち作り話に過ぎませんから。…と、ただそう言えればよかったのですが…。当時から見て未来である今の時代は、次々と撒かれる不安の種に人々が苦しめられる世界になっているのではないでしょうか。

本話「狙われた街」において重視すべき主要な部分は、以上のように本稿で扱ってきた部分であると考えます。それは、繰り返しになりますが、これらの場面が《宇宙人同士》《モロボシダンのモノローグ》《ダンとのダイアローグ》という『ウルトラセブン』に固有の活性フィクションの表出場面だからです。中でも本話の《ダンとのダイアローグ》に表れた問題提起、すなわちメトロン星人の企図の恐ろしさの部分がとりわけ重要でしょう。そこで、以下にそれをその意味する通り真面目にストレートに受け取った思考を綴ることで、本稿を締めたいと思います。

「物資と情報が絶え間なく」広範囲に行き交うこの現代─現在に本話のダイアローグを読む(聴く)と、ますます身近に実感できてしまうところがあります。時代を超えるだけでなく時代を経てさらに強まる普遍性。本話の価値は今後も揺るぎないだろうということです。喜んでばかりはいられませんが…。

本話は「遠い過去に作られたフィクション」であり、『ウルトラセブン』の挿話である以上、その悪の源は星人存在に預けられる形で物語られます。が、現実の現代は「“メトロン星人”は“外星人”ではなく人類自身のうちにこそ密かに巣食っていて、多くの人々が『互いにルールを守り、信頼し合って生きている』ことにつけ込み、世界を自らの陰謀通りに進めているかのような時代」になっているといえそうです。

では、その現代における《赤い結晶体》とは、あるいはそれによる「実験」とは、何でしょうか。いくつも候補が思い浮かびませんか。あるいは、人によって思い浮かぶものは異なっても、何も思い浮かばないという人はいないのではないでしょうか。それらを合わせれば「このわずか数年のうちに、いくつも出てきている」ことになります。普遍的な比喩というだけならまだしも、実体のあるものにせよ実体さえないもの(情報・伝聞など)にせよ、そういったある具体的な形や様態を持った《赤い結晶体》が実際に「いくつも出てきている」のが現代である、ということです。また、それらの《結晶体》(の実験?)に惑わされ翻弄され、ほんとうに目を向けなければならない本来の脅威からはいつの間にか目を逸らされる…といったことも起きているのかもしれません。

ただ、気をつけたいのは、現代は“メトロン星人”が「自らの陰謀通りに進めている時代」ではない、ということです。あくまで「世界を自らの陰謀通りに進めているかのような時代」と言っています。「かのような」が重要です。まさに「“メトロン星人”の陰謀通りであるかのような事態が進む」のを何としても回避するためにこそ、まずは何よりそこを忘れてはいけない、とも考えます。

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