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ウサギになれなかった亀

小学校の先生が卒業の時に僕に残した言葉。
「歩みの遅い亀でもウサギには勝てるのです」
正確には卒業後に僕宛てに届けられたハガキに先生が添えてくれたメッセージであったと記憶している。

僕は走っても遅かったし、話し掛けられても受け答えが遅い。工作や絵描きをしても、給食を食べてもいつも最後に取り残されていた。確かに歩みの遅い亀ですよね。

そんな僕でも唯一人並み以上にできたものはある。それは主要科目の勉強である。体や手先を使わずにコツコツと積み重ねる作業が僕はどうやら得意らしい。先生は僕のそんなところをよく見ていたんだろうな・・塾に通っていたわけでもなく、両親が教育熱心だったわけでもない。それでも勉強の成績はそこそこでそれなりの高校に進学することができた。そして運良く自宅近くにある某大手企業に就職することもできた。それは会社名を言えばほぼ誰しもが知っている大企業である。僕が就職した頃の時代はバブル景気が崩壊した後ではあったがまだその余韻は残っており、景気はまた良くなっていくんじゃないかという楽観的な空気が漂っていたと記憶している。

高卒で就職活動をした僕の世代は恵まれた環境であったわけだが、同級生でも大卒の組は後の就職氷河期世代にあたり、就職先を見つけるのも大変苦労した様であった。そんな背景もありたまに同級生と再会する機会がある度に僕の就職先を羨ましがられたりもされた。また、大企業に勤めていると社会的な信用度も違う。ローンの審査なんかは一発OKって感じでした。あとは今で言う婚活ってやつで結婚相談所に登録をしたことがあるのですが、僕の年収は当時の年齢からすると平均よりはある程度高い水準という話をスタッフの方に聞かされており、そんなこんなが僕の自惚れの始まりだったんだなって今では思います。

自分は一流企業に勤めている勝ち組だと思っていた。多少嫌なことがあろうが会社にしがみついていればこのまま定年まで逃げきれるだろうという甘さは心の片隅に持っていたと思う。

自分が他人に羨ましがられたり、社会的にちやほやされるというのは結局のところは会社という看板を背負っているからにすぎなくて個人的に優れているわけでもなんでもないのですが、
自分は凄いんだという勘違いをいつからかするようになってしまった。

見せかけの看板はやがて外される日がやってくる・・今は大手企業なら殆どと言っていいほど行われていることですが、リストラの波が僕の勤めている会社にも押し寄せてきて、僕も敢えなく会社を去ることになる。

僕は歩みの遅い亀だということを忘れていたのだ。例えれば、たまたまヒッチハイクした車がつかまって道半ばまで悠々と乗車させてもらったようなものである。カエルの子はカエル、亀はどう頑張っても亀であることには変わりはないのだが、いつの間にか自分はウサギになれたのではないかと勘違いをしていた。

大手企業の看板を失った僕は肩書きもない、大したスキルもない、お金もない、そして若いと言われる年齢もとうに過ぎたのろまな亀なのだ。

ただ言えることは今からでも一歩ずつ歩みをやめなければ富士山の頂上にだっていつかは辿りつくことができる。歩いている道中には近道があるよと誘ってくる輩にもいる。だがそこには落とし穴があるということを僕は知っている。僕が歩いているこの道は先を争うレースなのである。見知らぬ者がいきなり僕をゴールまで連れていってくれるわけはない。

僕は遅くても一歩ずつ歩いていくことに決めた。先生が言っていたウサギに勝つ方法がやっとわかった気がした。

いま貯めるべきものはお金よりも信頼と誰かが言っていた。本当なんだろうと思う。一歩ずつ歩いていくというのは信頼を少しずつ積み上げていくこと。

これからは個の時代だと言われる。信頼が積み重なった個の看板なら簡単に外れる事はない。
今日もあと一歩、もう一歩、前に進んでいこうと思う。

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