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「ふたりぼっち」だった。

ラジオを聴いていました。
「ワンオペ育児で、子育てがつらい」という投稿について、リスナーさんやパーソナリティーさんが話すのを聴いていました。

「お母さんが笑顔でいることが一番だから」
「完璧じゃなくていいんだよ」
「保育園や頼れるところを頼って」

私は、お母さんになって19年くらいになります。3人の女の子のお母さんです。
私が初めてお母さんになったころ、を思い出していました。

夫は会社員で、そのころは朝 出勤したら夜の9時くらいまで、赤ちゃんと二人の生活でした。

私は23歳で、赤ちゃんと二人でした。

起きたり泣いたり、おっぱいをあげたり、げっぷさせたり、抱っこしたり、オムツ換えたり、お風呂したり、寝たり。

話しかけたり、笑いかけるといい、とか。
抱っこをたくさんするといい、とか。
泣かせたらいい、とか。
歌を聴かせたらいい、とか。
外に連れて行くといい、とか。
マッサージするといい、とか。

赤ちゃんと私。

毎日、毎日。

朝から晩まで。

赤ちゃんは、しゃべらないから、話しかけても私はひとりごとみたいで。

夜中でもおっぱいに起きたり、オムツを変えたりして、いつも眠くて。

赤ちゃんが寝てしまうと、とたんに暇になって。でも静かにしていないといけくて、目覚めたときには、近くにいないといけなくて。

夫と私のご飯の用意も、赤ちゃんがごきげんな間や寝てる間に作らないといけない。

赤ちゃんは、少しずつ大きくなって。
少しずつ、動くようになって。
少しずつ、遊ぶようになって。
私を「お母さん」だと思うようになって。

「お母さん」らしくいないと、と。
「笑顔」でいないと、と。

それでも、相変わらず赤ちゃんとの生活は、眠くて、静かで、1人で、心細いのに笑っていないといけなくて、落ち着かないのに時間だけはたくさんある、といぅ日々だった。

幸せなはず。
赤ちゃんは可愛いはず。

でも、いつも落ち着かなくて、いつも心細くて、赤ちゃんと「ふたりぼっち」でいた。
そう、「ふたりぼっち」だった。

心細すぎて、昼休みに夫に電話してもらうようにお願いした。
「このままだと、日本語を忘れそうなの」
くらい、赤ちゃんへのひとりごとは、さみしくてつまらなかった。

児童館へ行ったり、散歩へいったり、実家へいったり、そうやって「ふたりぼっち」の時間を紛らわせていた。

「お母さんが笑顔でいないといけない」
を受け入れられずに。
四六時中一緒にいるんだもの、四六時中 笑顔でなどいられないもの。

赤ちゃんが風邪をひいたり、リズムが変わったりするたびに、私が何かしたからだろうか、と不安になった。
赤ちゃんが、他の赤ちゃんみたいに児童館で遊べないと、私が何かしたからだろうか、と不安になった。

「ふたりぼっち」でいたんだもの、赤ちゃんに何かあれば、私のせいかもしれないと思うもの。でも、赤ちゃんは、風邪はひくし、遊びたくなければ遊ばないだけ、だった。

「お母さん」でいるのは大変だ。

一緒にごはんをたべたり、一緒に寝たり、一緒に風邪をひいたり、一緒に泣いたり、一緒に笑ったりして。私のひとりごとは、そのうちに会話になって、私のせいじゃなくても、赤ちゃんは大きくなっていった。そうして、いつの間にか「ふたりぼっち」じゃなくなっていた。

「お母さん」らしくいるのは大変。

園に預けて仕事しようかとした時、母が
「お願いだから3歳までそばにいてあげて」
と懇願した。生活が苦しいのなら米とか送るから、と。

「お母さん」らしくなくていいから、赤ちゃんといつもそばで、一緒に過ごしてあげて。

私は「お母さん」らしくはないけれど、一緒にいてよかった。
「ふたりぼっち」だったけれど。
「ひとりぼっち」にさせないでよかった。




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