見出し画像

「水曜日が消えた」

先日、Netflixで映画を観ました。

中村倫也さん演じる 7人の人格を持つ男、目覚めると曜日ごとに違う人格になっている。ストーリーは「火曜日の僕」を中心に進んでいく。「月曜日の僕」の散らかした部屋を片付け、「木曜日の僕」の育てている観葉植物たちに水をあげる。可燃ごみのごみ出しも「火曜日の僕」の仕事。火曜定休の図書館へは、入ったことがない。そんな「火曜日の僕」がある日 目覚めると、水曜日だった。可燃ごみの日でもない、どことなく街の雰囲気がいつもと違う、水曜日。定休日ではない図書館へ訪れる「火曜日の僕」。

とても興味深く 楽しく観ました。

ここのところ、多重人格の映画を見がち。「プラチナデータ」も面白かった。

目覚めて水曜日だったときの感覚を、知っているはずの街がいつもとどこか違うという感覚を、私にも覚えがある。

いや、私は多重人格者ではないけれど。

10代のころ、3ヶ月イギリスに語学留学をしていました。ある朝、学校へ行こうと街にでるといつもと様子が違うのです。

天気の悪い日の多いイギリスで、そろそろ半袖になる頃でした。バス停に立ってバスに乗るまでは気が付かなかったのだけれど、メインストリートでバスを降りると、いつもより人が多い。いつもはもう少しまばらで落ち着いていて、お店もまだ開店前だったりするはずが、お店ももう開店していて街が動き出している。なんだか賑やか。違和感。

なに?なんだろ。

学校へ到着すると答えは出ました。

「シュー(柊)、おそいよー」とクラスメイト

「今日からサマータイム、時計1時間進めなくちゃ」と。そうだった。。。そうです、街は本当に、いつもより1時間早く動き出していたのです。

いつもの街がどこか違う、同じようでいてどことなく違う雰囲気。自分と世の中に、時空の歪みでもあるのかしらと思う落ち着かなさ。あの奇妙な感覚。「火曜日の僕」から見た水曜日の感覚はまさにきっと、その感覚と同じだろうと、まざまざと思い出しました。その日は1日、不思議で落ち着かない感じで過ごし、2、3日 スペイン人のクラスメイトが「シュー??」と腕時計をトントンしながらニヤニヤ笑ってくるあのいたずらっぽい顔とともに。

いつもと同じ街、いつもと同じ景色なのに、時間や曜日、季節が変わると、どこか違う顔になる。似ているのに違う。映画の話にもどると、多重人格の彼もやはり、顔かたちは同じなのに、纏う雰囲気が違う。髪型のセット、服の好み、話し方、趣味嗜好、仕草や癖まで。中村倫也さん、よかったなぁ。演じ分けが見事でした。

私は何曜日っぽいのかな、とあれから考えているのだけれど、日曜日ほど能天気ではないし、月曜日ほどバイタリティはないし、木曜日あたりかな、なんとなく。

あ、木曜日も可燃ごみの日だ。。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?