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雑談のスキル。

雑談が好きだ。
家族との、友人との、美容室での、取引先との、なんでもない会話。
はずむと嬉しい。
とても楽しい。

かつて学生だったころ、雑談が溢れていた。
朝から晩まで、友だちとくだらない話を延々としていた。会話は尽きることなく、下校中、日が暮れるまで話していた。
「何をそんなしゃべることあるの!?」
と母に呆れられていた。

けれども、大人になった今、雑談はかなり減ったように思う。あれほどまで、雑談が溢れていた日常は、どこへ行ってしまったのだろう。

雑談というのには、スキルがいる。
仲の良い間柄では、共通の記憶があり「あいことば」のようなキーワードがある。そういう「あいことば」は、気軽に会話を続けやすくする。

「昨日、またあそこ行ったのよ、あのバナナの店。そしたら、いたわ、あのヒゲ店長」

「あー、ヒゲ店長?またあのエプロンで?」

「そうそう、あのエプロンで。あんなん、どこで買うんやろ、あか○れん やろか 」

「あか○れんで、そや、しま○ら かも。下着買いに行かな。しま○らの下着、しっかりしてるのに安いわ」

〝バナナの店〟〝ヒゲ店長〟〝あのエプロン〟〝あか○れん〟〝しま○ら〟
2人の会話は「あいことば」で、気軽に軽快にすすんでいくのだ。

仲の良い間柄ではなくても、雑談が上手な人はいて、私はそういう人の「引き出し」がとても好きだ。「あいことば」のもとがたくさん入っている。

いつ使うかもわからない、おもちゃや工具やシールやハガキや写真やボタンや紐や、いろいろなものが、ごちゃごちゃはいった「引き出し」を持っている人。
 

「いい天気ですね」
「そうですね〜、風がちょっと強いですね」
「そうですね、確かに風強いですね」
「凧上げには最適ですね」
「凧上げ…」
「凧はゴミ袋でも作れますしね、長い紐が必要ですけど」

凧上げする人をあまり見かけませんけど。
「風強い」からの「凧上げ」が楽しい。

「いい天気ですね」
「そうですね、晴れてますね」
「晴れてると気分もいいですね」
「そうですね」

心地いい会話、だけれども、話はひろがっていきにくい。きっと、天気の「引き出し」に、「晴れ」がきちんとおさまっている人なんだと思う。天気の「引き出し」に、凧や、たこ糸や、がぐるぐるしていたりはしない。

大人になるにつれて「引き出し」はきっと整頓されていく。カテゴリーわけされたり、これは使わないだろうな、というものは捨てられて。そうして、この人と話すときはこの「引き出し」と、雑談もその「引き出し」の中にあるものでしている。脇道へそれたり、ひょんなものが出てきたりはしない。

雑談のスキル。

ごちゃごちゃといろいろ自分の好きな物、好きだったものの入った「引き出し」から、1つを取り出したら、何かしらが絡まってついてくる、ような。ひょんなもの。
〝バナナの店〟をひっぱったら〝あのエプロン〟も〝しま○ら〟もズルズルとでてきてしまう、ような。脇道へそれるもの。

私はこどもの頃、自分の机の上がきれいに片付いてしまうことがつまらなかった。ジブリの、お父さんの机や船室や食堂みたいに、ごちゃごちゃしていて、ワクワクして、憧れていた。何かを取り出すときに、あれでもない、これでもないと、ごちゃごちゃの中から探し出すシーン、この辺にあるはずなんだ、という混沌に憧れた。
自分の広々とした勉強机が殺伐として見えて、わざと教科書とかを雑然と広げてみても、とてもおいつかず、つまらなかった。

大人になって、いつの間にか私の机の上は、物が溢れている。引き出しにも、映画の半券や、キーホルダーや、ハガキやマスキングテープや、ミニカーやボタンやマッチ箱などがごちゃごちゃ入っている。いろいろな混沌、いつ使うかわからないものたち。

大人になってから、うっかり雑談がはずんで、そもそもなんの話からこうなったのか、のところまで行くことがある。きっと、そんな時は、「引き出し」のものたちが紐づいて、あれこれと、またぞろと、でてきているのだ。

雑談のスキル。

「引き出し」いっぱいの混沌に、「あいことば」が溢れている。
たまに引っかかって、そもそも「引き出し」が開かない、ということもなくはないけれど。


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