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読書感想文『ゴーリキー短編集』より『秋の一夜』

そう、私はマクシム・ゴーリキー(Макси́м Го́рький)を実に20年ぶりに読んだ。初めて読んだのは小学校の図書室でかなり丁寧な装丁とともにゴーリキーの文字があり、私は手に取った。

当時はポケモンがありゴーリキーというポケモンが居たのでゲラゲラ笑いながら読んだのだけれど、思ったよりもしっかりとした文章で、難しい箇所もあり比較的短くて平易なこの秋の一夜に行き着いた。
小学生だった私が抱いた感想はなんだか分からないけれどこの人達ちょっとエッチなことをしてるな。ということだけだった。

今読んでも思う「この人達ちょっとエッチなことしてるな」と
ただ当時と少し違うのは「心の中のそのやりとりがエッチなんだよな」ということだろうか。

あらすじ

酷く寒い秋の日に男は飢えと貧しさでどうしようもないまま、海辺の街にたどり着く。そこでパンをあさるナターシャ(娼婦)と出会い一緒に秋の夜をボートの下で過ごす。朝になって別れるけれど男は彼女が自分を堕落した女だと卑下するようなことをしてほしくないと祈る。彼女は暖かい人だし、そんな意識は生きていくのに何の役にも立たないから。

好きなところ

ゴーリキー全体的に貧しい当時の人々の暮らしを描くのに長けているんですがそれの白眉といえるようなこの作品は、本当にまず風景描写がすさまじく、読んでいるだけで冬の嵐に巻き込まれているような気がしてくるんです。寒いしわびしい。情報としての豊かさはなく、色彩もなく、ただ灰色の空とぬかるんだ大地を描写しているだけなんだけれどまあ読ませてくるのがすごい。

そしてナターシャと出会ってからはそのナターシャの描写がふえてくるんですが、彼女がぶたれたと話したあと世界に絶望した台詞を言うのですがそれが「どんな雄弁な演説よりも力強い。どんなに精巧に死の場面を描いた芸術よりも常に遙かに自然であり力強い」と言っていて、打ちひしがれるんですがまぁそのあとナターシャがくっついてきて体を温めるシーンで不覚にもうるっときてしまいました。ライムスターサファイアの宇多丸なら「不覚にも号泣してしまいまして」と言っているレベル。
その直後にナターシャは話し続けて男を元気づけようと、おどけたりしていて当時のロシア革命直前の思想やらそんな者よりも相手を気遣うっていう優しさに勝る者がないっていうのがまぁ素敵でした。
別にヒューマニストを気取るつもりもないのですけれど、こういう巧みな文章であたたかいねぇというシーンを描くのはゴーリキーすごいよなという風になりました。おなじ本に収録されている二十六人の男と一人の少女という話は自分たちの希望や期待の危なさを描いているのに対して、この物語はかなりロマンチックで読みやすく、そして暖かい物語だと思ったのでした。

おわり

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