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明日からはきっともっと美味しい目玉焼きが作れる

私は毎日朝か昼に必ず半熟の目玉焼きを食べる(家にいる時は。)

毎日食べ続けていても、全く飽きない。むしろなんらかの事情で食べられなかった日の翌日は、無性に目玉焼きを欲している。(半熟に限る。)

今日もいつものように冷蔵庫を開け、生卵に手を伸ばした。一番手前にあった他の卵たちよりも少し大きめの卵を手に取ると、やっぱり普通よりも大きいので、「もしかしたら…」と思いながらいつも通りオリーブオイルの敷かれたフライパンの上でパカッと優しく割ってみた。

すると、黄身が2つ、これぞ本物の目玉焼きだと言わんばかりに目の前に現れた。

少しだけ予想はしていたものの、いざふたたまちゃん(双子卵)を目にすると、ちょっとした驚きと嬉しさに包まれる。「今日はなんだか良いことがありそうだ」と必然的に思ってしまうほどの穏やかな気持ち。

でも今日は、ちょっとした切なさも覚えてしまった。

いつもは、白身が一瞬で焦げない程度の火力とオリーブオイル量を考えつつ、割った瞬間に黄身がべちゃーっと崩れて広がらないように気を付ける。それから、ぷるぷるの白身ととろとろであろう黄身が美味しそうな雰囲気を醸し出し始めたところで火を止め、しょっぱすぎず薄すぎず、ほどよい塩加減になるようにパラパラと塩をばらまいてから粗挽き胡椒を豪快に振りまく。(塩コショウ派でもあれば、醤油気分の日もある。)

と言った感じで、いかに昨日よりも美味しく、私の人生史上最高に美味しい目玉焼きを作れるかを考えている。

少し右の子が崩れてしまった今日の目玉焼きさん

私が、人生史上最高に美味しい目玉焼きを作る楽しみを毎日味わえるのは、卵が美味しいから。
毎日卵を手に入れることが出来て、目玉焼きを作って食べることが嬉しいし幸せ。卵って本当に美味しい。くらいにしか思っていなかった。

卵は美味しい食べ物。それくらいの認識でしかなかった。

とはいえ、船内の朝食ビュッフェには毎朝目玉焼きがあったけど、黄身も白身も固まっていて冷たくて美味しくなかったし、2ヶ月間のバックパッカー生活の中で、目玉焼きを作って食べられた日なんて片手で数えられる程度だったので、フレッシュな目玉焼きを毎日食べられることに関しては人一倍有難さと喜びを感じている方だと思っていた。

だけど今日は、新しい感情が芽生えたのだ。芽生えたと言うより、気付かされた、の方が正しい表現かもしれない。

ふたたまが現れた瞬間、食べ物としてではなく、生き物としての卵を見た気持ちになった。

最初こそ「ふたごだ~!」と喜んだものの、「ここにはひよこになるはずだった子が2匹入ってたんだな~。」瞬間的にそんなことを思った。

毎日1つの卵を調理していた時は、食べ物としての卵としてしか見ていなかったけれど、2つの黄身が現れた瞬間「あ、この子達も生きてたんだ」「私が美味しく食べるために犠牲になった子達だ」と思ってしまった。

だからと言って、卵を食べることを辞めようとか、明日からビーガンになろうとか、そんなことは1みりも思わなかったのだけど。

ここで涙を流したりなんかして、「私はもう卵を食べることは出来ない…」ってくらいの強い感受性は持ち合わせていなかったので、残念ながら感動の展開には至らない。

その代わりに、「明日からは私のために命を捧げた子達に感謝の気持ちを込めて、今まで以上に美味しい目玉焼きを作って今まで以上に味わおう」そう思った。

ビーガンになる気は全くない私ですら、ふたたまを見てちょっとばかり切ない気持ちになったと言うのに、一体ビーガンの人達は動物性の食物に対してどれほどまでの深い感情を抱えているのだろうかと、想像したくても出来ない気持ちも同時に芽生えてしまった。

そんな感じで、とにかく毎日私の胃と心が叫ぶほど私は目玉焼きが大好きで、塩コショウでも醤油でもいける口で、明日からは今まで以上に目玉焼きを愛して止まなくなるだろうと言うお話でした。

おわり。

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