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書評『千の顔をもつ英雄』

この本を初めて読んだのは専門学生だったころで、ストーリーテリングの指南書の一環として読もうとしたのを覚えています。ハリウッドの三幕構成と合わせて、物語の基本骨子のようなものを解読したくて手に取りました。
しかし本書はお手軽な脚本術のハウツーなどではなかった。神話のメタファーを読み解き、そこに隠された本質を浮かび上がらせ、自己と世界とを調和させる術を教える。そういった本なのではないだろうか。

著者キャンベルがこころみたのは、フロイトユングの精神分析を援用し、神話の象徴を読み解き、そこから普遍的なプロットを抜き出すということだ。
それは今日、“英雄の旅”として知られる、円環の構造で知られる。

英雄の旅は三つの段階に分けられる。
①出立→②イニシエーション→③帰還、である。

英雄と呼ばれる主人公が、①日常の世界を離れ、冒険へと旅立つ。②危険な冒険の世界で怪物などと遭遇し試練を乗り越える。③試練をへて手に入れた宝や知恵を携えて、ふたたび日常へと帰還する。
キャンベルは、ありとあらゆる神話の中にこの基本構造を発見する。全ての神話はたった一つの物語の無数の変奏曲なのだ。
初読時はこれを作り手のためのツールだと誤解していた。小説家や漫画家が物語を作るときに参考にするものなのだと。でも実はこれって読み手のためのツールなんだと今は思う。もちろん『スター・ウォーズ』のように作り手がこの理論を活用することもできると思いますが、やっぱり本質は神話から生きたメッセージを引き出すことができる、攻略本なんじゃないか。

英雄の旅の三段階には、もう少し詳しくシチュエーションが設定されていて、以下の通りである。

出立

冒険への召命
英雄を冒険へと誘う使者が現れる。使者は動物や老人、姿なき声などをしている。
召命拒否
英雄は使者の誘いを拒否する。
自然を超越した力の助け
超自然的な力が英雄を助け、境界を越える。
最初の境界を越える
英雄は境界の守護者に出会い、対決する。
クジラの腹の中
クジラの腹に飲み込まれるというような形での越境。自己消滅の危機。

イニシエーション

試練の道
英雄に次々と試練が降りかかり、さまざまな存在と出会う。
女神との遭遇
英雄は女神と邂逅し、場合によっては結婚する。
誘惑する女
英雄は女神からの誘惑を受ける。(エディプス的葛藤の克服)
父親との一体化
英雄は父であった存在を打倒し克服する。
神格化
英雄は不変の真理であるところの神と一体になる。
究極の恵み
英雄は神々から“不死の霊薬”といったアイテムを、獲得あるいは強奪して手に入れる。

帰還

帰還の拒絶
英雄は手にした宝(知恵)を前にして怖気付く。
魔術による逃走
英雄は境界を再び跨ぐとき、宝を奪って逃走する場合がある。
外からの救出
英雄は最初と同様、超自然の助けを借りて、越境する。
帰還の境界越え
英雄が境界を超えて帰還する。(浦島太郎やリップヴァンウィンクルようなおとぎ話は、越境に失敗した例)
二つの世界の導師
英雄は彼岸と此岸を自由自在に跨ぎこえる存在となる。
生きる自由
英雄がもたらしたもので、共同体に新しい伊吹が吹き込まれ変化していく。

ざっとこんな感じである。
こうした神話のイマジネーションの源泉は、寝ている時にみる夢にある。本書では神話のエピソードに混じって、心理分析を受けた患者の夢の話まで語られるのですが、それは神話というものが人類全てに共通する普遍的無意識から来ているためだという。
例えば、心の補償機能として未熟な能力の開発を迫るとき、それは使者が現れるという印象深い夢となって形に現れる。神話のなかの女神も、グレートマザーと呼ばれる全ての人類が共通して持っている母なるもののイメージ、元型と呼ばれるもので表すことができる。
こうして夢と覚醒を繰り返して、無意識の世界にある自己を発展させていくのがユングの心理学にある考えだ。そしてそれがそのまま神話の円環の構造と重なるのだ。英雄の旅は、自己実現の過程を記したものとしても読み解くことができると思う。

余談ですが、本書に日本の神話、古事記にまつわるエピソードもいくつか取り上げられていて、その特徴を語っている。古事記は近代の他の宗教や神話と比べて、原始的で、それが今なお形をとどめて残っている珍しい例だという。例えばアマテラスは太陽神であると同時に女神である。普通、太陽は男神で月が女神かもしれないが、日本の場合は女神が太陽なのだ。女が太陽というのがなんだか景気が良くて楽しい。日本文化の独自性の一端なんかも神話でわかることがあると思った。

まとめ


本編の要約図

キャンベルは人間の根本に宿る物語には、「眠り(闇)」「覚醒(光)」の絶えざる循環という母型が、「実界(此岸・現世)」「異界(彼岸・浄土)」の境界を告知しつづける母型が、さらには、「父(隠れた力)」「子(試される力)」の関係の不確定をめぐる母型が、「個体(ミクロコスモス・部分・失われたもの・欠けたもの)」「宇宙(マクロコスモス・全体・回復したもの・満ちたもの)」との対立と融和と補完をめぐる母型などが、きわめて多様にばらまかれていたことを示したのだ。

松岡正剛 千夜千冊

松岡正剛の千夜千冊で、本質を抜き出した素晴らしい書評があるのでぜひ。
上の文章が神話の要素を的確に言い当てていて、わかりやすい。
生まれた時にはどこか欠けた存在であるところの人間(個体)は、その欠落を埋めるために父との対決があり、女神との結婚があり、神=自然に則した生き方を内なるものとして取り込むということがあり、宇宙(全体性)との調和を感じられるようにする。

死しては生まれ変わり、絶えざる循環を繰り返して、精神も世界も新たなものに移ろってゆくというのが太古からの真理なのだろう。そんな中でも変わることのない不動の中心点というものが存在する。そこに居座るかぎり自己が揺らぐことは決してない。神話はその中心点への道標を示してくれる。神秘が存在することを告知し続けているのだ。

キャンベルのもう一つの代表作『神話の力』では、キャンベル自身が神話から学んだ哲学を知ることができます。


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