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書評『神話の力』

古今東西の神話を比較研究し、その象徴的意味を読み解こうと試みた人物は、僕の知るかぎりでは、C・G・ユングが最初だろうと思う。ユングは神話のなかから“元型”と呼ばれる人類が普遍的に持っているシンボルを見つけ出し、名前をつけた。そしてさらに後、ジョーゼフ・キャンベルという神話学者が神話のプロット、ストーリーに埋め込まれた象徴を読み解き、“英雄の旅”と呼ばれる構造を見事に浮かび上がらせた。

キャンベルの最も有名な著作である『千の顔を持つ英雄』では、錆び付いた神話のメタファーを現代に蘇らせ、生きたものとして読者に紹介した。キリストやブッダ、ギリシャの神々の謎めいた物語の裏にはどんなメッセージが込められていたのか。神話には、現代の生活のなかで僕が忘れ去ってしまった、数々のメッセージが隠されていたのだ。

『神話の力』は晩年のキャンベルが、ジャーナリストであるビル・モイヤーズとテレビで対談したときの内容を書籍化したもので、神話から学んだ自らの哲学を語るという内容のものです。テーマは多岐にわたり、いずれも我々の生活にとって身近なことを語る。今回の再読では、心理学の知識があったおかげで、納得のいく文章に出会う率が高くなっていたのが嬉しい。キャンベルも神話を読み解くのにユングの分析を取り入れているので、照応しあうのだ。


精神の冒険へ

キャンベルの哲学は“自らの至福に従え”という有名な言葉に集約されるように、個人が個人として歩み、この世に生きているという経験をもっとも尊いものとする哲学だ。

人生に目的はなく、幸福は持続しない。ならば生きているうちに、多くの至福を経験するのが一番いい。至福の全能感は、表立った人格であるペルソナの行動と、無意識の渇望が完全に一致したとき、自在となる瞬間のことをいうのだろう。このような人格の高い統合を得るには、試練の待ち構える冒険、精神の旅に出なくてはならない。

神話の始まりには、主人公を冒険へと誘うために何らかの使者が現れるという展開が必ず存在する。ちなみに神話のこうしたイメージの源泉は、人類が共通して抱える普遍的無意識からやってくるものだ。無意識は当然ながらその働きを意識することはできず、(意識できないから無意識なんだもんね)寝ているときに見る“夢”という象徴を通して、その働きを知ることができる。夢というのは不思議なことに、不条理ながらも起承転結がはっきりしていることが多く、物語になっているのだ。

なぜそのような物語が夢の中に現れるのかというと、自我の補償作用としていま自分に足りないと思われる心の能力の開発を促すため。というのが一応ユング派っぽい分析だろうか。

そうなれば、神話における使者というのは、英雄に足りない能力があることを自覚させ、精神の成長を促す存在として出現するのだ。子供から大人へ、服従から自分自身の人生へ、肉体的な欲望に従うことから目覚め、精神的に生きる道へと歩み出す。神話に頻出する死と再生のモチーフは、今までの古い自分が死に、新しい自分が生まれるということを象徴する。僕はこの精神の冒険と、変化への希求という考えが好きだ。

しかし冒険には試練がつきもので、キャンベル氏もたびたび、仏教の教えである「人生は苦である」などという言葉を持ち出したりして、生きるということにつきまとう必然的な痛みのようなものから、目をそらすことはしない。人格の発展は、激しい苦痛を伴って初めて達成されるのだ。

永遠性との一体化

神話には善と悪、光と闇、男と女、対立する二者の統合という世界観があり、わかりやすいのは男と女だろうか、結婚を考えてみるといい。キャンベルは真実の結婚についてこう書く。

真実の結婚は、相手と一体になったという自覚から出てくる結婚であり、肉体的な結合はその自覚を確かめるための儀式にすぎない。逆から始まるということはありえない。肉体的な興味が先に立ち、それが精神的なものに変わるという、そんな結婚はない。

男女でお互いにエゴを捨て去って、一つの人格となるのが結婚の意味なのだという。人の心には生まれつき欠けた半身を求め、一つになりたいという欲求が存在するようだ。キャンベルは超越とか、永遠性との一体化だとか説明するが、初めて読むときはこの神秘的な概念に少々とまどうのではないだろうか。しかし、僕はそうした神秘や運命、奇跡といったものに価値を与えない人生は、ただ出来事の連続が積み重なるだけの絶望の人生と言ってもいいと思う。

神話は全て、時を超越した永遠に続く何かに私たちを結びつけてくれる。象徴を通じて神秘というものを喚起し続けている。自己肯定感というのが大切だよねーという話は死ぬほど聞くが、神話は宇宙の全てが自分の生を肯定する。今ではそんな巨大な神話は解体されてしまって跡形もないので、自分自身で神話を見つける努力が必要なようだ。

まとめ

冒険→試練→自己実現→至福→永遠性との一体化、こんな図式になるのかな?さまざまな示唆に満ちた面白い本で、生まれて初めて啓発された本かもしれない。ファンタジー小説なんかを読む時の新たな視座を与えてくれた本でもある。『千の顔を持つ英雄』と合わせて。




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