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映画時評『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』

スコセッシの新作。前作『アイリッシュマン』がNetflixの配給で、今作はAppleが配給している模様。なので劇場に行ってもパンフレットが置いてなくて悲しい。

スコセッシといえば、「マーベル映画は映画ではない」という強烈な発言で、論争を巻き起こしたことがありましたが、じゃあお前の新作はどうなんじゃい。というお手並み拝見の気持ちで見に行きました。
別にマーベルに肩入れしているわけじゃないですが、そこまで批判するんならそれ相応の映画を見せてもらおうかという気持ちになるでしょ?

あらすじ

1870年、アメリカ先住民のオセージ族は一夜にして莫大な富を得る。カンザスからオクラホマに強制移住させられ、偶然住まうことになった土地の地下にあったのが、ブラックゴールド、石油だったのだ。
「オセージ・ネーション」と呼ばれる油田地帯の“受益権”をもつ彼らオセージ族は、豪邸を構え白人のメイドを従える生活をしていた。
しかし白人の先住民の間に流れるのは赤い血の川である。
アーネストはオセージ・ネーションで“キング”と呼ばれる叔父、ウィリアムを頼ってやって来た。叔父は地元の名士で、白人でありながらオセージたちからの信頼も厚い。
その叔父のいうがままに、アーネストは裕福なオセージの女性モリーと親しくなっていく。
モリーは“無能力者”だった。政府はオセージたちを、財産を管理できない無能力者として、白人の後見人をつけることを制度に定めていた。
モリーは現在独身で、後見人と呼べる存在はない。彼女の財産を目当てに貪る、腹をすかせた“ショミカシ”が、虎視眈々と隙を窺っていた。叔父はアーネストに言う。このままでは、彼女の財産が流れてしまう。だからお前が彼女と仲良くなれば、好都合なんだと。
ネーションではしかし、オセージたちの怪死事件があいつぐ。ろくな捜査は行われず、事故、自殺として片づけられていく。
ある日モリーの姉が、射殺体で発見される。モリーは嘆き悲しみ、探偵に調査を依頼し、真相を突き止めようとする。
オセージたちと、ウィリアムの思惑は絡み合い、更なる流血へと加速していく。

感想

『アイリッシュマン』も209分の長尺でしたが、今作も206分と言う長丁場。
晩年の黒澤化とでもいうか、老境に入った映画監督が陥る現象なのだろうか。

スコセッシは実はあまりピンとこない方で、なかなか分かり合えず、悲しい……。
一番好きな『タクシードライバー』でも、前回見た『カード・カウンター』のなかで、実はポール・シュレイダーの作家性に惹かれていたのだとわかって、余計悲しい気持ちになりました。スコセッシと俺はどうしても良き友人グッドフェローズになれない……。

黒澤明といえば、本作でのデ・ニーロとディカプリオの関係(スコセッシ映画では初共演らしいよ!)が三船敏郎と仲代達矢の関係のように思えてアツかった。
というか一点そこに惹かれた。このバトンタッチというか継承はアツいでしょ。
映画のなかでは、後悔時すでに遅しですが、叔父ウィリアムと言う絶対の存在に対して背を向け、犯罪を暴く証言をする決意を固めます。
デ・ニーロと言う絶対的なカリスマ俳優と、後を託されるディカプリオの父殺し。まさに“後見人”を期待されるわけだからたまらない。

僕の中での本作のベストショットは、ディカプリオのケツを羽子板でシバくデ・ニーロの構図ですw
もっとこういうのを見せろw
かつてのスコセッシ映画の顔と、今のスコセッシ映画の顔が正面からバチバチに衝突する……「俺こそが彼(スコセッシ)にふさわしいんだ…!」という三角関係、互いのケツをシバき合うような、そういう映画が観たかったのだ俺は(困惑)。
にしてもすげぇ音がするんですよね。「パコォン!」って。ケツから出る音じゃないよ…。IMAXで見たからか?
この一点においてスコセッシはマーベルに勝利したと言えるでしょう。

あ、知ってるかもだけど、実話ベースです。↓が原作本。

参考記事


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