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映画時評『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』

まず最初に僕はミステリにもクリスティにも明るくありません。
今作『ベネチアの亡霊』も原作は未読。なんならアガサ・クリスティは一冊も読んだことがないという体たらく。
それでもこの作品に魅せられ、劇場に足を運びたいと思ってしまうのは、古典ミステリが放つ、オールドファッションでレトロチカな馨りのせいだろう。

監督、製作、主演を務めるケネス・ブラナーは、映画の外観、舞台美術や衣装に至るまでを精細にコントロールし構築している。
本作の舞台であるベネチアも、ポアロと古典ミステリの香気をこの上なく高めている。この雰囲気がいい。
最近ではポアロにインスパイアされた『ナイブズ・アウト』シリーズも、現代のなかに、古典の息を吹き込もうと苦心した作なのではないでしょうか。

前作『ナイル殺人事件』の劇場公開をなぜか見逃してしまって、配信でも見れず、未見のまま三作目である本作を見に行きました。

あらすじ

1947年ベネチア、ナイルでの一件を解決したポアロは隠遁の生活をしていた。そこへ、ポアロの平穏を乱し門をたたく、不躾な訪問客が現れる。アリアドニ・オリヴァは数々のベストセラーを世に放つ人気のミステリ作家にして、隠遁の名探偵とは旧知の間柄であった。引退したポアロに彼女が持ちかけたのは、ある霊能者のトリックを見破ってほしいというもの。引退したオペラ歌手ロウィーナ・ドレイクが催すハロウィンパーティに招待されたポアロとオリヴァは、彼女の亡くなった娘と交信するための降霊術に参加することに。怪しげな雰囲気をもつ霊能者のジョイス・レイノルズを招き、一同は蝋燭の薄明かりが照らすのテーブルにつく。しかしそこで、ポアロはレイノルズのインチキをあっさり見破ってしまう。一同は解散し、興醒めとなった催し。それで終われば今日もまた、たわいのない退屈な夜であったろう。しかしハロウィンの夜は死者の列に加わる者の血を欲し、あってはならない殺人の幕が開けるのだった。

感想

これめっちゃホラーやん。
『オリエント急行殺人事件』しか見てない身ではあるんですけど、本作は前作のオリエントとナイルの豪華絢爛たるイメージと対照的で、ケの雰囲気をすごい感じる。登場人物みなが喪に服している。
それはプロット上の亡くなった娘の例を呼び寄せるという、死者の弔いのような要素がそうさせるのでもあるでしょうけど、舞台の墓所のように暗い屋敷などが、いっそうそう思わせる。
自然光を重視し、蝋燭の灯りを頼りに撮影したとWeb記事で読んでのですが、それって相当困難な撮影なんじゃないの? キューブリック『バリー・リンドン』を同じく蝋燭の灯りのみ、自然光のみで演出したのですが、あれは相当ヤバい現場だった。
撮影機材の進化とかで、容易になった面があるのだろうか。
さらにヒルドゥル・グーナドッティルによる音楽も、名探偵につきまとう華麗なイメージを抑え、内省的な調子だ。
なんにせよ、暗い画面が構築されている。

本作でポワロが対決するのは、亡霊。
灰色の脳細胞の異名をもち、理性を武器にするポワロにとって、面白い強敵です。
全編にわたって恐怖演出が施されていて、全力で脅かしてくるゴーストの存在は、ポワロの理性を揺さぶります。
名探偵がオカルトを信じ始めたら、敗北も同然なのです。
なので『シャイニング』のような映画と境を接する、超常現象との対決を描く映画として解くこともできます。
『シャイニング』だと主人公は耐えきれずに発狂するのですが、ポワロは名探偵としてゴーストの正体を暴きます。そこに理性の勝利というテーマの違いも読みとれる。

殺人事件が起きたあとポアロは屋敷を封鎖するのですが、これでいわゆるクローズドサークルというやつが完成し、そのなかで次なる犠牲者が発生してしまいます。ゴーストの存在もあって、ミステリとしてのどんでん返しよりも、スリラーとして興が乗ったのですが、それは僕に謎解きを堪能するミ覚(ミステリー覚)がぜんぜん未熟だからなのでしょうか。ミステリファンはどう見るのだろう。

原作は『ハロウィン・パーティー』という小説で、クリスティの作品では最晩年に位置する作品だそう。映像化の試みも初めてである。
原作ではベネチアではなく、ロンドン郊外のカントリーハウスが舞台になるそうで、『最後の交霊会』という別短編も下敷きに、ケネス・ブラナーと脚本家のマイケル・グリーンで自由にアレンジしたらしい。原作ファンも謎解きを楽しめる仕様とも言える。
調べる限りではマイナーな原作をチョイスしているように思える。面白い。

作中で、ポアロが水に浮いたリンゴを口で掴み取ろうとして襲われるというシーンがあるのですが、あれは“アップルボビング”と呼ばれるイギリスのハロウィンの風習なんですね。急に遊び始めるポアロ。
時期的にもハロウィンに合わせての公開という感じなのでしょうか。アニメだと『呪術廻戦』も大変なハロウィンになっているようですが。
馬鹿騒ぎが始まろうとする裏で、粛々と喪に服す俺……。

本格ミステリとしては異色の作でしたが、ポアロの紳士な佇まい、それをド安定な演技で表現、というより鎮座するケネス・ブラナーを見ることができるし、ヴェネチア、名探偵、幽霊譚と、そこかしこに魅惑的なフレーズが踊っている。そしてやはり小規模な喪の映画であるということが、独特な味わいだろうか。

パンフレット。霜月蒼と小山正氏による怒涛のクリスティ作品おすすめ猛ラッシュで、もはや独壇場。

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