見出し画像

フィル・ティペット『マッドゴッド』と『ドロヘドロ』に共通するあの世界観。

フィル・ティペットとは何者なのか。
詳しい人がもうすでに語っていると思うが、一応。

スターウォーズep4で、モンスターチェスの特撮を手掛け、同ep5ではトーン・トーンやAT-ATを動かした男である。

ハリウッドで数々の特撮を手掛けた天才。
しかし、『ジュラシックパーク』で恐竜の特撮を手掛けていたところ、CGに仕事を奪われてしまい、絶望。

その後、1993年『ロボコップ2』の頃から製作していたが凍結してしまった映画『マッドゴッド』を2012年に再始動。30年の時を超えて今、日本だけ劇場で公開された。(海外は配信のみ)正直彼の熱烈なファンではなかったのですが(世代的に)今作ですっかり好きになりました。

そして唐突ですが、私は『ドロヘドロ』という漫画が好きで、ずっと林田先生の絵はなぜこうも惹きつけられるのか考えていました。今回『マッドゴッド』を見て、これらの作品に共通するあの独特な世界観の面白さは何なのか、ちょっと考察してみました。

ストーリー

まず『マッドゴッド』のストーリーですが、パンフレットには

人類最後の男に派遣され
地下深くの荒廃した暗黒世界に
降りていった孤高のアサシンは、
無惨な化け物たちの巣窟と化した
この世の終わりを目撃する。

とだけ記されています。
セリフは無く、ガスマスクの男が『メイド・イン・アビス』のごとく、地下へ地下へと降りていき、グロテスクなクリーチャーの脇をすり抜け、解剖され、赤ん坊が生まれ、世界が終わります。

人形アニメの魅力は素材そのもののフェティッシュにあって、フィル・ティペットの創造するクリーチャーやオブジェが画面を闊歩し屹立する様をただ感受するのが正しい鑑賞法かと思います。ストーリーはさほど気にしなくてもいいと思います。

堀貴秀監督『JUNK HEAD』とのシンクロ。

2021年に日本で公開された『JUNK HEAD』は、監督の堀貴秀が7年の歳月をかけ、ほぼ一人で完成させたストップモーションアニメとして、一部話題をさらった。

わたしも『マッドゴッド』を一見した時に念頭にあったのはこの映画だ。
ティペット監督と堀監督は今回対談もしていて、お互い親近感を感じている模様。
それもそのはず、作品内のグロテスクなイメージやクリーチャーへの愛着、ストップモーションへのこだわりなど、お互い共通点が多い。

「われわれは同じ卵から生まれた気がしますね」とティペット監督もおっしゃっている。

二人を見ていると、造形作家や立体物を作るのが好きな人というのは、素材好きという共通のフェティッシュを持っているような気がしてなりません。
骨や肉、機械などへ関心が向かうのも当然なのかもしれない。

『ドロヘドロ』抄

ドロヘドロは林田球による日本の漫画で、2020年にはアニメ化もされた作品。
個人的にはこの漫画も『マッドゴッド』に共通するものがあると思っています。
もっと言えば、『ドロヘドロ』はフィル・ティペットらが作り上げた、ハリウッドのB級特撮ホラーの影響が濃いんだと思います。

『マッドゴッド』の作中では、クリーチャーや人間もどきみたいな奴が、潰されたり、溶かされて液体にされたり、割とドロドロ、グチャグチャ見たいな描写がほとんどです。

あらゆるものが素材に見立てられていて、溶かされたり変形させられたりする描写は、まさに造形そのもの。

『ドロヘドロ』の中にもそういうドロドロ、グチャグチャ見たいな感触があって、人体描写も筋肉が盛り盛りで、ヒロインの女の子でさえゴツく、自然な人体描写ではなく、どこか粘土を盛られているような感じがするのです。ポージングも、しなやかで躍動感があるというよりむしろ、人形アニメのようなぎこちなさを感じるような気がします。(背景もパースを無視していて、ミニチュアのセットのような感じがしてくる)

この特撮感が『ドロヘドロ』の中にもある気がします。

「あなたは誰に操られているの?」

私は、想像上のキャラクターが見えない力で”動かされている”感覚や、ストップモーションのプロセスが伝わる作品が好きですね。そのあたりは友人のギレルモ・デル・トロと同じです。

フィル・ティペット

今年はNetflixでギレルモ・デル・トロ『ピノッキオ』が配信され、ストップモーションのアニメを二つも見れた幸せな年でした。

ストップモーションアニメにはある種の哲学が内包されていると思っていて、それは何かというと、操られているということです。

アニメに出てくる人形たちは当然、人間がちまちま弄ってようやく動き出すわけで、操り人形なわけです。
実写映画やCGその他のアニメと違って、ストップモーションのキャラクターは動きがぎこちなかったりします。それが余計、可愛らしさと操られてる感を加速させるんですけど。

そんな造られたキャラたちを見ていると、現実の人間自体も異化されて、何者かに操られている。見えない糸があるような気がしてきます。

私は作品がどうありたいか教えてくれるものに任せている。私はマッドゴッド教会の修道院長のようなもので、神が私にいうことを実行するだけなのだ。

フィル・ティペット

諸法無我。
すべてのものはお互いに影響を及ぼし合い、単体で存在できるものはない。
自由な”わたし”というものは存在せず、すべてのものが何らかの影響を受け、縛られ、操られている。
人形アニメはそんな哲学を体現しているようで、わたしにはとても愛おしい。

人間だって何かの素材でできているし、周囲の環境の影響を全く受けずに育つことはできない。暗にそんな哲学を感じるのが、わたしの中でストップモーションや『ドロヘドロ』が特別な理由なんだと思います。

『マッドゴッド』が好きな人は、『ドロヘドロ』を『ドロヘドロ』が好きな人は、『マッドゴッド』をおすすめです…!

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?