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月が今日も綺麗でした。

お世話になった知人(知人、て言葉は少し距離感があって嫌だけど)のお通夜に行ってきた。
ご病気ではあられたものの、お元気な姿が記憶に残ったままだったからショックで、遺影の笑顔を見てるとなんとも言えない気持ちになって、泣いた。

ぼそぼそ、と読経する住職の声を聞きながら、父のことを思い出していた。父の通夜、葬式のことを。
あの2日の間に色んな方々がかけてくれた言葉や家族との会話、色んな人の仕草、色んな人の涙。
通夜の晩は眠れなかったこと。
葬式の日の朝刊に載っていた父の名前。
火葬場のそばに咲いていた桜の花。

ああ、ここの御家族はこれからそんな2日間を過ごされるのだなぁと思うと、かける言葉が見当たらなかった。ただ深くお辞儀をし、手を合わせて心の中で「お疲れ様でした」と言うくらいしか出来なかった。

お別れの瞬間は、なんとも言えない感情になる。いろんな最期の時があるけれど、病気によって最期を迎えられた場合、悲しいとか寂しいとか切ないとか悔しいとか、そういうものとは別のところで、「安心」という感覚が芽生える。
もう苦しまなくていい。苦しむ姿を見ていた自分たちも、もうそんな姿を見なくていい。そんな安堵。すごく寂しい安堵だけど、ね。

だから「お疲れ様でした」だった。
どうかどうか、安らかに。
御冥福をお祈りします。

帰り道、未だ月が煌々と輝いていて、美しかった。十六夜も十七夜も綺麗なのだな。
生きているあいだ、綺麗なものだけ見ているわけにはいかないけれど、綺麗なものを、出来るだけ多く見られたらいいな。

#日記 #雑記 #エッセイ

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