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「自信を持っていいですよ」

ある日。

いつものように好きな実況者の実況動画を観ようと動画サイトを開くと、『タロットリーディング』なる動画がオススメされてきた。
「何ぞ?タロットリーディングって、何ぞ?」と古いタイプのオタクのような心持ちでサムネイルをクリックしてみる。
なんとタロットリーディングとは、『動画に表示されている3枚のカードから好きなのを選べば、あなたにピッタリのアドバイスが聞けますよ』という代物だった(伝わりやすいように書いてます。ほんとはもっと言い方があるはず…)。

そこで聞いた言葉が衝撃的で、「こんなにも自分を言い当てられることある?こんなにも言葉が刺さることある?むり。すき。」と古いタイプのJKみたいな気持ちでタロットリーディング動画を見漁る日々が始まったのだった。

そうして、お気に入りの人が3人くらい出来たのだけれど、彼女らから最近「自分に自身を持て」と言われ続けている。ここ3日くらい毎日言われている。

「あなたが自分を褒めることでもっと高いところにいけますよ。」
「あなたって自分に自信があまり無い方ですかね?」
「自信を持って挑んで下さい。」
「あなたはもっと自分のことを可愛がって、愛していいんだよ。そうすることですごく未来が良くなりますよ。」

……。

自己肯定感の低さは最近の悩みだった。
いや、思い返せば自己肯定感を高く保てていた時期なんて小学校5年生の頃にドラクエ5でブオーンを倒せた時くらいしか無いかもしれない。

僕はいつも劣等感と共に生きていて、自分に、自分のすることにはほとんど価値なんてなくて…と常々思っていたし、実際、そうやって生きることでどこか安心して生きてもいた。
期待せずに居ることで傷つくリスクを減らせるし、自分は駄目、醜い、クズと思っていれば、極稀に頂ける些細な褒め言葉に敏感に喜ぶことが出来るのだ。

でもそれって。

書いてて改めて思ったけれど、それって不健康すぎる。
心ズタズタじゃん、そんなの。

どうしてそんなふうに生きていたんだろう。

思い当たる節はいくつかあった。
両親は人格者で、いつも正しいことを言っていたし、正しい方へと導いてくれた。そこには素直に感謝しているし、自分は馬鹿だったなぁと未だに過去を呪うこともある。

けれど、大人が思う正しさは、子どもの世界では大げさだったり過剰だったりする。
でも、そうしないと怒られた。そうじゃないやろ、と諌めれた。

僕は時たまそれがものすごく窮屈で、しんどかった。
育ててもらっておいて何を、と思うけれど。

僕は、両親の前で歌を歌うことがとても恥ずかしかった。
ギターはよく褒めてくれたけど、歌を褒められたことはあまり無かったからだ。歌えば「もっと自身持って歌え」だの「何言ってるかわからんかった」だの、ダメ出しがよく入った。
いや、実際はきっとたくさん褒めてもくれてたと思う。でも、記憶は少ないな。

それは父が抜群に歌がうまくて、求められるレベルが高かったのだろうな、と今になって思う。

僕は自分の歌がどんどん嫌いになった。
歌なんてやめて誰かに歌ってもらった方がいいのではと何度も思った。

でもそんな自己評価の低い僕は、誰かを誘って音楽をやるということも選べなかった。

高校を卒業して、音楽の専門学校に行った。

そこに居たひとりの先生に、一度心をボロボロに折られることをされた。
先生はもちろん教育の一環と言うだろう。
僕もそれをそりゃそうだよなと最終的には納得しただろう。

もちろん、甘えだ思う。若さゆえの。

自分の思い通りにいかないことを知って、心はすっかり傷つくことに慣れて、それが当たり前だと理解して納得して咀嚼して飲み込んで、ここまで来た。

来たのだけど。


「あなたは自信を持っていいんですよ」

知らない人が画面の向こうで言ったその言葉が、渇いた地面に降った雨のように、しとしと心に染み込んだ。

自信って、持って良いんだ。へぇ、知らなかったな。
随分前に捨てたから、もうそんなの無いって思ってたな。

自信って、どうやって持ったら良いのか。
まだ全然上手じゃないのだけど、持とうと思う。
いや、持ちたいと思う。

自信。

まだこの言葉を見るだけでもすこし怖いのだけれど。
ごめんな、自信。
これからは、仲良く付き合えたら良いな。

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