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daily and diary

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にちじょうの、にっきです。
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記事一覧

「自信を持っていいですよ」

ある日。 いつものように好きな実況者の実況動画を観ようと動画サイトを開くと、『タロットリーディング』なる動画がオススメされてきた。 「何ぞ?タロットリーディングって、何ぞ?」と古いタイプのオタクのような心持ちでサムネイルをクリックしてみる。 なんとタロットリーディングとは、『動画に表示されている3枚のカードから好きなのを選べば、あなたにピッタリのアドバイスが聞けますよ』という代物だった(伝わりやすいように書いてます。ほんとはもっと言い方があるはず…)。 そこで聞いた言葉が

最近観たアニメのはなし。

・ラブライブを観た。 数年前に一度観てはいたけれど、改めて観た。 いや、普通に泣いた。特に2期の後半なんてエモでしか無い。男の青春群像劇なんてのは色々見てきたからなんとなく想像つくけど、女子の、女子特有のキラキラとした青春が眩しくて、目がくらむレベルだった。 ていうか、全曲の作詞を担当している畑亜貴が天才すぎる。「僕らは今のなかで」という1期OPの歌詞、ずっと天才が溢れてる。中でも「恐がる癖は捨てちゃえ」って部分が好きすぎて脳にシワが3本くらい増えたと思う。 ネガティブな体質

「えんちょうせんせい」の謎がまだ、僕の心に残ってるんだ。

高校一年くらいの時に、親しい友人間で「おかあさんといっしょ」が大ブームになった。それは、番組のとあるほんの一瞬が面白くて仕方がなかったからだ。 当時「おかあさんといっしょ」には体操のお兄さんとして「ひろみちお兄さん」が出演していた。 氏がメインとなるコーナーといえば、番組ラストの体操だろう。 たくさんの子供達と一緒に歌い、踊り、楽しもうというコーナーである。 話題になったのはこのラストの体操だ。 最近では「ブンバボーン!」や「からだダンダン」というふうにリニューアルされ

考えていたこと。

・サザンの無観客ライブ配信が18万アクセスされ、6億円超の売上を出したそうだ。 もちろんそこから様々なところにお金は分配されていって、「利益」となるお金がどれくらいあるかはわからないけど、でも、ものすごいことだなと思った。 このコロナ禍で良かったこと(という表現はなるべく避けたほうがいいけれど)は、無料もしくは安価で好きなアーティストのライブや演奏を観れることが以前よりも格段に増えたことだなと思う。 コロナが無ければナンバーガールの無観客ライブなんて一生観られなかっただろうし

さよなら、チル。

アップルミュージックを利用している。もはや依存していると言い換えても良い。 音楽のサブスクリプションって…なんかこえーよwと思っていた時代が私にもありましたが、今ではサブスク入ってないなんて考えられないです。 とにかく、定額で膨大な音楽に即アクセス出来るというのは、好きなバンドの新譜を入荷をしないようなCDショップがある片田舎に住んでる身としても、大変ありがたいものなのだ。 アップルミュージックには「プレイリスト」という機能がある。 様々な音楽をひとつのくくりにしてコンパイ

六月半ばに風が吹いた

昨日のお昼。 突然頭の中に流れてきた歌があって、これは誰のなんていう曲なんだろうと思い、かろうじて分かる歌詞で検索すると、藤井風の「優しさ」という曲だった。 きっとスーパーにでも立ち寄った時になんとなく聴いていたのだろう。 それにしても突然であった。急に知らない人の知らない曲が頭の中に流れるなんて。 いやこれはもうきっと自分の本能がこの「藤井風」というアーティストを聴けと言っているに違いないと思い、すぐにアップルミュージックにアクセスした。 結果、ものすごい衝撃を受けた。

「エフエフ」が苦手だったあの頃のぼく

子供の頃からテレビゲームが好きだった。 よく自宅に(というか自室に)友人を招いたり、逆に友人宅へ赴いては、ゲームをしていた。外で遊ぶこともあったけれど、あの頃の子供にとってはコミュニケーションツールのひとつでもあったから、そこに陰キャとか陽キャとかのむごたらしい考えは同居していないことを強めに言っておく。 対戦ゲームや協力プレイ出来るゲームももちろんよくプレイしたけれど、不思議なことに一人用のRPGをワイワイ言いながら遊ぶ(いや、『観る』か)ことも多かった。 攻略本を持って

謎のお手紙風味。

前略。 なんともいえない事象に巻き込まれ続けている昨今ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。 街をひとたび歩けば、いや歩かずとも否が応でも出くわす「コロナ」と「自粛」に辟易としつつも慣れてしまっているのもまた事実です。 日常の中に非日常を求めるのは人間の性とも言えるのでしょうが、出口の見えない非日常は常に心を圧迫しているようで、思うように前に進めませんね。我儘ですが。 僕が住む地方では県全体でも感染者がそこまで多くなく、自粛ムード、対策こそ多く見られるものの、住民たちは

YOSHINOYA BECOME HUMAN

割と久しぶりに吉野家へ赴いた。 店内には腹を空かせた有象無象がキン、と張り詰めた空気感とともにそれぞれ座席についている。どんぶりのフチがどうのこうの…とかいうわけの分からないラジオが流れ、その空気感をより一層殺伐したものに変えていた。 注文が決まり、店員をすいません、と呼びつける。その声を聞いた店員ははい、と元気なのかそうでないのか判断がつきにくい無感情な声をあげ、ぼくのテーブルにやってくる。注文の品を伝えると、以上でよろしいですか、という形式的なセリフを残し、早々に去って

「カーペンターズ以外の音楽は駄目だ。」

高校の頃、専門教科の先生が余った授業時間を使って「英語」についての講釈をたれた。 「英語を学びたければ音楽を聴くのが早い。そして自分はカーペンターズこそ最高の英語教材だと思う」という内容だった。そして彼は次のように続けた。 「そもそもカーペンターズ以外の音楽は駄目だ。全然心が伝わってこないし、意味のない英語を並べただけなのだから」と。 カレンの発音はとてもキレイだし聞き取りもしやすいからから、カーペンターズから英語を学ぶ、というのには全面的に賛成だが、後半部分を聞いてその賛

付け合わせのありがたみ

YouTubeでとある女性アーティストのライブ映像を観た。 それはある日の夏フェスのもので、彼女はアコースティックギターとパーカッションの2人をサポートミュージシャンとして連れ、歌を歌っていた。 時折アップになる彼女の顔や首筋には大粒の汗がタラタラと伝い、その日の猛暑を伝えている。たしかに画面にちらちらと映るその日の天気はとても良く、夏のあの茹だるような暑い日がすぐに脳裏に浮かんだ。 2曲目がはじまると、すぐに違和感が芽生えた。アコースティックギターのチューニングがズレてい

痰壺から溢れた言葉は。

「あ、今は全国総2ちゃんねる時代なんだ」 自宅のトイレに座り込みながらふとそんなことを考えた。 きっかけはなんだったろう。たしか、とある芸能人のゴシップについて考えてたからだと思う。 芸能人のゴシップやなにか大きいニュースがあると、刺激に飢えたツイッター界は甘い蜜をしゃぶりあげるかのように、おおいに盛り上がる。 それがたとえ、永い闘病の末の訃報だったとしても。 僕が2ちゃんねるという、いわゆるネットのアングラ文化に触れたのは高校生の頃だった。 着メロは64和音、なななんと

2020は未来感強い

「今年はどんな一年だった?」 そう、年末になると自問する癖がついている。そしてその問いにはうまく答えられないまま、気がつくとジャニーズのカウントダウンコンサートを観て年越しをしている昨今である。 (余談だけど、今や年越しの瞬間にカウントダウンする番組ってすっかり減りましたよね。昔はどこの局もやってたのになぁ) 年が明けました。2020年だそうです。見てくださいこの数字の並び。未来感凄くないですか2020。今我々は2020年に居るんですよ?凄くないですか?あけましておめでと

時計はきっと動き出すだろう。

どうしようもない日々は続いていく 同じような靴を選んでいる 時計はきっと動き出すだろう どうしようもない日々のその中で これは、『(Not)Only』という僕のオリジナル曲の中の歌詞である。 人の生活というのはある日突然、劇的に変わったりなどはしなくて、でも、そんな惰性に浸かりきった日常の中でも、時間は確かに動いている…という、心と現実との乖離…もしくは諦めや覚悟のようなものを込めたつもりの歌詞だ。 そうやっていくつか書いてきた自分の歌詞が、現実にピタリと当てはまる瞬間が