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付け合わせのありがたみ

YouTubeでとある女性アーティストのライブ映像を観た。
それはある日の夏フェスのもので、彼女はアコースティックギターとパーカッションの2人をサポートミュージシャンとして連れ、歌を歌っていた。
時折アップになる彼女の顔や首筋には大粒の汗がタラタラと伝い、その日の猛暑を伝えている。たしかに画面にちらちらと映るその日の天気はとても良く、夏のあの茹だるような暑い日がすぐに脳裏に浮かんだ。

2曲目がはじまると、すぐに違和感が芽生えた。アコースティックギターのチューニングがズレているのである。おそらく2弦か3弦あたりがズレているせいか、開放弦を鳴らすコードフォームをギタリストが押さえると、明らかに気持ちが悪い。
それに気付くと、主役である女性アーティストもどこか歌いにくそうにしているのでは、と思えてくる。彼女が流している汗はもしかしたら冷や汗なのかもしれない、とか余計な心配をしてしまう。

ギタリストの方を擁護するわけではないが、アコースティックギターというのは「なまもの」である。天候や気候にチューニングが左右されやすいのだ。曲の途中でいきなり音程が下がる、ということも画面から伝わるあの暑さの中ではもしかしたら起こったのかも知れない。曲を始める前のチューニングが甘かったという事ももちろんあるのだろうけど。
ただ原因が気温であるとして、ではどうしたらそれを避けられたのだろう。

自分ならどうしただろうとか、色々と思案しながらその動画のコメント欄を見ることにした。
そもそも、チューニングは本当にズレていたのだろうか。もしコメント欄にチューニングについての言及があれば、ひとまず「チューニングはズレていた」ということが確実になり、改めてまた色々と考えることが出来ると思ったからだ。

そうして覗いたコメント欄は、9割がた歌唱についての評価や、女性アーティストへの賛辞であった。そりゃそうである。主役は猛暑の中必死で汗かきながら堂々と歌い上げた彼女だ。仕方ない。
コメント欄をスクロールしていく。
すると、

「チューニングがどうこう言ってる奴、だったら上手いギタリストの動画でも観てろよ」
「チューニング言われてもわからんwてかそんなんどうでもよくね?」
「黙って〇〇(女性アーティストの名前)の歌聴けよw」
「チューニングとかわからないやつの数↓(高評価ボタン)」

等というコメントが表示されて来た。
そこからさらにスクロールすると、

「チューニングがズレてる…」
「チューニングさえ合ってれば満点だった」
「暑いからズレたのかな」

なんていうコメントが出てきた。
良かった、やはりチューニングはズレていたらしい。自分の耳を信じて良かったのだ。

しかし、胸になんだかわだかまりが残った。
なんだろう、このモヤモヤは。

「チューニングがズレてるとかどうでもいいだろ」
そんな感覚があるとは。
確かにそれをつついた所で本人達でさえどうしようも無かったのだろうから、まぁ事故だよ、仕方ないと諦めるしかないのだけれど、でも、ほんとうに「どうでもいい」事なんだろうか。

結果、ここに「チューニングのズレのせいでライブ映像を気持ちよく視聴することが出来なかった人間」が居る。おそらくコメント欄にも。
「俺っちは、微細なチューニングのズレが分かる、良い耳を持った人間だぜ、ドヤ!」としょうもないマウンティングをしたいわけではない。
ただこの重箱の隅をつつくような感覚は、同じ音楽を志すものとして絶対に流してはいけない部分だと思ったのだ。そうやってひとつひとつの細かいところをケアしていくことこそ、プロフェショナルな仕事のような気がして。

でも、覚えておかなきゃいけないのは、きっとそんな細かい配慮や仕事でも、気づかない人もいれば興味がない人もいる。メインのステーキさえ美味しければ、付け合せの人参グラッセやポテトなんてどうでもいいような。

きっとどこの世界も同じなのではと思う。

気付くのが良いのか、気づかないのが良いのか。
なんだか考えるのがしんどくなるけれど、なるべく気付く側でいたいと思ってしまう。

だって、人参グラッセもポテトも美味しいもん。

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