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宣長その可能性の外へ (生素 仁)

生素 仁(いくもと-じん)が「企画展示・本居宣長の空想地図」を紹介する。 

 『彰往テレスコープMUSEUM vol.02』企画展示「本居宣長の空想地図」は、まだ無名な商家の次男でしかなかった19歳の本居宣長(小津栄貞)が作り上げた空想都市『端原氏城下絵図』および付随する『系図』の解説記事である。もっとも40ページ近くある記事の半分以上は端原の「観光タウンガイド」に割かれ、文書の解説は後半の10ページそこそこにまとめられている。なぜこのように特異な構成になっているのか。

 筆者の惟宗ユキも記しているように『絵図・系図』は比較的最近発見された資料であり、先行研究もほとんどない。全編を解説するだけでも十分新規性と読みごたえのある企画になったはずだ。たとえば『絵図・系図』を初期宣長の重要な実践として位置づけ、そこから宣長の思想を新たな視点から捉えなおすことも可能だったろう。

 しかし『絵図・系図』の著者・小津栄貞から、『古事記伝』の著者・本居宣長の思想的発展とは、歴史主義的フィクションである。そもそも、小津栄貞が後に本居宣長と名乗る国学者でなければ、言い換えればただの商家の道楽息子にすぎなければ、誰が『絵図・系図』など真面目に読むだろうか。初期宣長としての「小津栄貞」とは、宣長の原因というよりは結果なのだ。

 ところが惟宗は、初期宣長としてではない小津栄貞個人と出会おうとした。すなわち「国学の四大人のひとり」とは何のかかわりもない「暇はあるけど家業へのやる気はない変なヤツ」(27頁)にすぎない栄貞の著した『端原氏城下絵図・系図』それ自体を読もうとした。

宣長だって若い頃にアソビで書いたものをクソ真面目に論評されても喜ばないだろう。それよりかは栄貞と一緒に遊んだ方がきっと良いと思った。栄貞はきっと夢の中で何度もこの街を歩いたに違いない。その足跡を辿ってみるためにはガイドが必要だ。(42頁)

だからこの企画展はまず何よりも「観光ガイド」として書かれなければならなかったのだ。思想史上の文献として『絵図・系図』を読むのではなく、アカデミックな問題意識があるわけでもない現代人が、不真面目な観光客として空想都市「端原」を遊ぶために。

 ぜひあなたもこの観光ガイドを使って「端原」を訪ねてみてほしい。楽しめることはうけあえる。もしも運よく興に乗じて国学者本居宣長のことなど忘れてしまえれば、そのとき街の片隅でひそやかに微笑う青年小津栄貞と出会えるかもしれない。

生素 仁 (Ikumoto-jin) 彰往テレスコープ同人。『vol.02』では「人文知の役に立たなさからはじめて(書評:マーガレット・ミッチェル著『風と共に去りぬ』)」を執筆。大学の卒論はリチャード・ローティで書いた(らしい)。

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