あやしいカミがうごめく謎の世界。ここは本当に日本か!? / 『イエズス会宣教師が見た日本の神々』
16世紀、東の果てにあった国の人々は悪魔を崇拝していた。呪術師は叫び、聖歌隊はうたい、宣教師はビビる。宣教師たちの報告書による異教徒の国・日本のあやしき正体とは…(文・惟宗ユキ)
宣教師の報告
16世紀中頃、キリスト教団イエズス会はある島国の布教に躍起になった。島国の土着民たちは「カミ」や「フォトゥクィ」を信仰している異教徒たちで、ウォー(王)は「テンジム」と呼ばれるカミの孫であるという。
蒙昧な異教徒たちは「カミ」と呼ばれる悪魔を崇拝し、テンプルを建ててボンズ(坊主)の一種である大呪術師たちが祭りを行っている。彼らは狐や蛇、狼、石ころなどをも崇拝しているらしい。「悪魔の掟」という宗派があり、その教徒である「ヤマムブシ」たちは高い山に登り悪魔と契約を結んでいるという。
国の王だったタイコサマはカミになりたいと望み、死後「新しいファチマン」となった。ある宣教師はタイコサマの墓に訪れ、このように報告している。
この宣教師は、荘重な建物に目眩を覚えつつ、足早にこの忌まわしき場所を立ち去った。
あやしいジパング大捜査
さて、この怪しい異教徒たちの島国とはどこでしょうか? 実はなんと日本なのでありました。え? 知ってた? まぁそう言うなよ。
念の為言っておくと、「フォトゥクィ」は仏のこと。「悪魔の掟」は修験道のことで、「ヤマムブシ」は山伏。「タイコサマ」は豊臣秀吉の事で、「ファチマン」は八幡だ。「新しいファチマン」ことタイコサマの墓は、京都の豊国廟のことである(荘重な建物は後に家康によって破壊されたので現存せず)。
ゲオルク シュールハンマー著『イエズス会宣教師が見た日本の神々』は、戦国時代に日本に布教を試みたイエズス会宣教師たちの日本の土着宗教に関する報告書をもとに、彼らのみた日本の「カミガミ」をさぐる。
イエズス会宣教師たちの報告は、冒頭にみたように現代の僕らからみるととてもおかしい。彼らはキリスト教徒だから、キリスト以外の霊的な存在はすべて「悪魔」よぶわけで、日本人はみんな恐ろしい悪魔崇拝者として描かれている。
しかし、「悪魔」をはじめ「修道女」や「聖歌隊」といった西洋の言葉や「ファチマン」といった発音のままに翻訳された文字列を見ていると、なんだか全く未知の部族の宗教の話を聞いているような気分になってくる。彼らの体験がまざまざと蘇ってくるのだ。
そうして宣教師たちの目線で日本を眺めてみると、どうも本当に日本という国はとてもアヤシイ国なのではないかと思えてくる。「石ころ」にも「狐」にも「カミ」や「フォトケ」と同様に手を合わせる民族は、どう考えてもどこかヘンなのである。
宣教師たちは、異教徒が支配する国・日本の宗教世界を丁寧に観察し、そしてビビった。
彼らの立場は、いってみれば交流が開けたばかりの異星人たちの星に身一つで乗り込んだようなものである。言葉もほとんど通じない異星人たちが、アヤシイ悪魔たちを崇拝し、わけのわからない道具や、わけのわからない文字で悪魔と交信する風景を目撃したのだから、そりゃビビるのも当然である。
まぁ、こちら側からみれば、宣教師を忌まわしい聖遺物の前に案内した異教徒は、「ガイジンさん、こちらが秀吉はんのお墓でおまっせ」てな感じで紹介したに違いはないが。
失われた風景
とはいえ、僕らからみても、戦国時代の宗教世界には十分奇怪に見える部分も多い。中でもカミの憑依についての記述は、現代ではほとんどその信仰が失われてしまっただけに日本のシャーマニズムの不可解な側面を存分に伝える貴重な資料である。
前近代の日本人は、しばしば「神懸かり」と呼ばれるトランス状態に入り、「カミ」や亡者の主張を代弁することがあった。ある宣教師が彼らの「神懸かり」に真っ向から勝負を挑んだという記述もある。「魔術を使って俺に神を乗り移らせてみろ」といったのだ。薩摩のポーの港(坊の津のこと)の神主たちは宣教師を取り囲み、高い声で叫び、毒蛇を宣教師の首のそばに置いて悪魔を呼び出す。
結局「悪魔」は宣教師に憑依せず、神主たちは「ぐぬぬ、カンゴシマからもっと偉い坊主を連れてきてやる…」と言って逃げ去っていった。なかなか楽しいオチが付いた話だが、宣教師本人にとっては冷や汗モノどころではなかっただろう。
こうした、日本国内の記録にすらほとんど残されていない民衆の信仰を伝えてくれるのも、彼ら青い目の観察者ならではである。日本の民衆じしんは、まだ殆ど読み書きができなかったし、できたとしても何百年と続けてきた慣習を書き残そうという発想には至らなかった。富士山の噴火口への信仰なども、おそらく国内の記録には見当たらない貴重な証言である。
近くて遠い、怪しい国ニッポンへ。あなたも行ってみませんか?
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