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おばあちゃんを天国に還すまで~①危篤連絡~

2019年12月、大好きなおばあちゃんが死にました。最後の時、手をにぎって息を引き取る瞬間を目に焼き付けた。私にとって大切な思い出の備忘録。

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大好きなおばあちゃん

幼い頃からおばあちゃんに育てられ、田舎のおばあちゃんの庭で取れた野菜を食べ、狭い布団で寝て

魚や野菜をどんどん料理していくおばあちゃんの手元を見るのが、魔法のようで好きだった。

固形石鹸で顔を洗うおばあちゃん、着物を整理するおばあちゃん、その時の匂いまで全部思い出せる。

いつからだろう、おばあちゃんが先に死ぬ覚悟を決めた。気丈なおばあちゃんだったけど、息があがるようになり、気遣うようになった。死んだのは、それから何年も何年も後だったけれど

目の前で子どもの私が育ったように、同じスピードで老いがやってきてる。


おばあちゃんが癌になる

親元、祖母元を離れて、大学~就職~結婚とした私。

おばあちゃんは、私たち家族の写真を居間にいつも飾っていた。

認知症になり、自分の年齢も覚えていないのに、私の名前、私の子どものひ孫の名前をしっかり覚えているのだ。

(いつか、家族で会いに行った時に、運転する私のオットに向かって「(タクシーの)運転手さん」と言ったのは爆笑だった。)

そんなおばあちゃんが癌だと思う、と連絡がきた。腹部に腫瘍がある。83歳そこまで進行は早くないし、自分の家にいたいと本人は言っている。苦しい治療じゃなく、おばあちゃんの好きなようにしたいと思っている、と母からの電話。

それでいいと思うよ、私も何度もそちらに帰るね。母の背中を押した。


おばあちゃんが救急車で運ばれる

あと1、2年と言われていたおばあちゃん。

帰って、おばあちゃんに顔を見せよう。

最近は痛みが出てきてモルヒネを服用し始め、母が在宅介護している。介護ベッドをレンタルしたから、それが届く来週ぐらいがいいんじゃない?

じゃあ来週末行くね。この冬に3回は帰るからね、会いに行くからね。

育ててくれて、ありがとう。と大好きを伝えよう。と、決めていた。

帰る1週間前、母から連絡。

おばあちゃんが救急車で運ばれます。きてもらった方がいいかも。

まだ、だと思っていた。来週行くって言ってたのに。

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夕方の新幹線に飛び乗り、田舎に帰る。

駅についたのは夜10時、雪のふる中タクシーで向かう。

病室についた。酸素マスクをしている。呼吸をする度に、ふーふーっと音が鳴っている。

間に合った…

最後にモルヒネをしたらね、急変しちゃって。でも、それまですごい痛がっていてね。痛さで暴れて、暴れると余計息苦しくなるのに…酸素がね、空気がいってないのか、口をパクパクさせながら、こちらを見てくるの。

間近で見ていた母はつらかっただろう。


意識が戻る可能性は低いです。危篤状態といえます。でも、この状態でご本人は痛みを感じていません。どのぐらい聞こえるのか、私にもわからないのですが、声をかけてあげてください。

意識が戻ることがあったら、その時には痛みもまた感じてしまいます。モルヒネ投与に体が耐えられないでしょう。その時は最後のモルヒネ投与になるかと思います。モルヒネを投与するかの判断も、ご家族にしてもらうことになります。

ドクターが目をしっかり見て告げてくれた。

私は、判断できない…と憔悴してる母。

「私がします。おばあちゃんに痛い思いはさせません。その時にはモルヒネをお願いします。」

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おばあちゃん、きたよー。もう、痛くないからね。

今まで痛かったね。最後にこんな痛い思いしなくたっていいじゃんね。

おばあちゃんが死ぬのを、ちゃんと最後まで見るよ。


つづき↓



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