おばあちゃんを天国に還すまで~②最後に、あえた~
こちらの続き*
死ぬことは、花が散り、川が流れるように自然なこと。人間の致死率は100%
その夜は、母と病室に泊まった。おばあちゃんの呼吸音が響く中、朝がきた。
だれかが死んでも、大切な人が死にそうでも、朝はやってくる。
朝、おばあちゃんが眉間にシワをよせるようになってきた。痛い?苦しい?
「昨日、一報をうけた時よりも本人が頑張って、血圧も上がり、はかれるようになってきました。いまから痛みが出てくると思います。相当な痛みです。…」
ドクターが朝イチで、おばあちゃんの病室にきてくれた。高齢化の田舎町で、在宅看護、在宅終末医療を進めている、熱意のあるドクターだ。
私はドクターと看護士さんに1つお願いをした。
「おばあちゃんに育てられて、おばあちゃんの死をしっかり見届けたいんです。不謹慎と思われるかもしれませんが、病室でおばあちゃんの写真や動画を撮ってもいいですか?」
記憶を美化せず、可能な限りリアルに現状と自分の感情を記憶していたい。
おばあちゃんの死に様から、私が感じたこと考えたこと、それが「おばあちゃんが遺したもの」なんだと思う。そんなことを考えていた。
眉間にシワを濃くよせながら「うーっ」と、上体をよじらせる。痛いんだろう。けいれんのように腕と足がびくびく動く。
母が病室を出た時、また「うーっ」と。
「おばあちゃん、おばあちゃん、○○だよー」
目があいた
「きたかー」
と、上体をよじらせて抱きついてきた。抱き止める。
ドラマすぎる、錯覚だったのかと疑ってしまうほどドラマすぎる…
おばあちゃん、いたかったね。死んでいいよ。おばあちゃんが決めていいんだよ。
何度も声をかけた。
扉が開いた。看護士さんが体をふきにきた「○○さーん、体ふきますからねー」ハキハキと看護士さんが言った。
「はい。」
全員、驚いた。思わず笑ってしまった。
「いたいとこありますかー?」とハキハキ看護士さん
「ない。」
これが、おばあちゃんの最後の声でした。ちょっとムードがないけれど、真面目で強気なおばあちゃんらしい。
そして、さっきの「きたかー」は錯覚ではなかったんだ。最後にあえた。
その後、痛みに体をよじったり、びくびく痙攣したりが増え、私はモルヒネの投与をお願いした。
おばあちゃん、決めていいんだよ。
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