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おばあちゃんを天国に還すまで~④別れの儀式~

こちらのつづき。

夜中に息をひきとり、こんなにも早く病院を出ないといけないとは…浸ってる暇もなく病院を出ていく。外は雪の降る深夜。

母が仕事の関係で葬儀場と連絡をとりやすいので、スムーズだった。

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なんだか、立派なお部屋に…0時30分に到着。私も母もヘトヘト。明日からが忙しいらしいので、今は休もう。

翌日からは、葬儀にむけて話し合い、火葬納骨の日取り、お寺との打ち合わせ…と時間を刻んで予定が入る。

和尚さんとの打ち合わせの時、戒名(かいみょう)について聞いてみたら興味深かった。

戒名は仏教式のお葬式でつける。お葬式は亡くなった人をお釈迦様に送る儀式。亡くなった人を仏教徒にして、お釈迦様に送るので、どうぞ導いてください、とする。仏教徒、つまり出家しないといけない。そのため、亡くなった後に出家する。
和尚さんは、生きているうちに出家したから、今の名がそのまま戒名になる。戒名←→俗名

おばあちゃんの性格や、生きざま、エピソードから和尚さんが戒名を考えてくれる。どんな戒名になるのだろう、楽しみ。

それから数日の死後は忙しく。

おばあちゃんの最後の衣装は大好きだった着物の中から選んだ。死んだらこの着物は全部私にあげると言っていた。おばあちゃんが大好きだった紫色の着物を選んだ。おくりびとが着物を着せて化粧をしてくれる。とても綺麗に眠っているみたい。

「こんな真っ赤な口紅、若いお嫁さんみたいで恥ずかしい」

おばあちゃんなら、そう言いそうで、後で口紅を拭いて薄くした。

棺にいれられるおばあちゃん、私もおばあちゃんも華道をやっていて、お花が大好きだった。お花を買ってきて、大好きだったカスミソウや紫のスイトピーで棺をうめつくした。花畑の中で眠っているみたい。私の一部も棺の中にいれるように、花をいれた。

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いつか、私もいくからね。

悲しい寂しい気持ち、と、より強い感謝と愛の気持ちが毎分溢れてきて、何をしても涙が出る。涙が出ることがつらい、のではなく、これも私の別れの儀式なのだと思う。

花につつまれた棺のおばあちゃん、納骨~葬儀と1日で行うことに。

部屋から棺が出棺される。

そして、納骨に向かう前に、母と仕事で付き合いがあるから・・と、葬儀社さんが「別れの儀式」を無料で行ってくれました。

広い素晴らしい部屋にたくさんの蝋燭と花、そこの真ん中におばあちゃんの棺。家族での小さな小さな別れの儀式…

参加していた五歳の息子がふと「これが、しむ(死ぬ)ってことなんだね」と呟いて涙ぐんだ。

ひいばあちゃんとなるおばあちゃんとはそこまで頻繁にも会っていないので、死んだことへの悲しさや寂しさもない。むしろ、この機会に家族で旅行にこれてるみたいでウキウキだった息子。死んで遺体となったおばあちゃんを怖がることもなく、何度も何度も線香をあげては、誇らしそうにしていた。

別れの儀式で、みんなが思いをもって棺を囲む姿、和尚さんのお経…五歳なりに「死」を感じたのだろう。それをひ孫に教えてくれた。おばあちゃん、ありがとうね。

おばあちゃんの顔を見るのは最後。ありがとうありがとう。しか、でてこない。

私にたっぷり愛をくれた、愛だけをくれた、ありがとう。

私が生きてるだけで、誇らしそうだった、ありがとう。

ルリマツリ-1

火葬場は雪がつもっていた。骨になる。

遺骨をもって、葬儀場へむかった。焼きたて?の遺骨は真冬なのに膝があつかった。ずっとずっと、おばあちゃんだけを考えていた。考えられた、ずっとずっと。

葬儀場へついた。

この曲は・・美空ひばりの愛燦燦と、が流れていた

おばあちゃんの心拍が低下し、最後の時、私たちはおばあちゃんの手をにぎり、YouTubeで愛燦々とを流して、おばあちゃんの心臓と呼吸がとまった。外には雪がふっていた。

この話を、和尚さんにした…そのとなりに葬儀社の人がいたんだ。あぁ、彼女がかけてくれたんだな。


喪主は、母だったが、母が恥ずかしいということで、喪主代理として、私が挨拶することになっていた。

前に立つ、涙が流れて嗚咽がもれて、話せない。母がうなずいてくれた。

本日は、寒い中、またお忙しいところ、祖母福田こよの葬儀にご会葬くださいまして、誠にありがとうございます。喪主の母が照れ屋のため、代理として孫の私がご挨拶させていただきます。
おばあちゃんが亡くなったのは病院でした。心臓の鼓動が弱くなり、呼吸も薄くなりはじめた時に、生前大好きだった美空ひばりの愛燦燦とをかけながら、手を握り、私と母で見守りながら、最期のときを見送ることができました。
その話を和尚さんにしたので、戒名には愛と入ってるのだと思います。今日もおばあちゃんの愛、皆様の愛が燦々と満ちている中、大好きなおばあちゃんを見送ることができ、うれしく思います。そして、この場をかりて葬儀社の皆さん。素敵なお別れの会を用意してくださり、今日も葬儀の場にくると愛燦々とが流れていて、あたたかい気遣い本当に感謝しています。
感謝する気持ちも最後におばあちゃんに教えてもらったのだと思います。私は今日戻り、母が1人になります。破天荒な部分もありますが、真面目であたたかい母です。どうか、これからも声をかけてやってください。本日は本当にありがとうございました。

おばあちゃんが残してくれたのは、愛と感謝だった。

おばあちゃんの死が教えてくれたのは、愛と感謝だった。

自分の中に、こんなにおおきくて深くて、ゆるがない気持ちがあるなんて

愛って限りなく湧き出るものなんだな。

これを止めずに、いろんな人へ渡していこう。

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あの日は、人生を変える大切な日になった。

あの時に感じた気持ち、今も寸分違わず残ってる。


花が枯れるように、川が流れるように、人は死ぬ。

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