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自分が書いたキャラは子ども?

作家のやなせたかし先生が「アンパンマンは自分たちの子ども」と昔のインタビューでおっしゃっていて、素敵だと思いました。

幼い頃からアンパンマン大好きで育った身としては、作者の先生と奥さまがアンパンマンを愛しているのが伝わってきて嬉しかったです。

このように、自分が生み出したキャラクターは子どもだと聞くことがあります。


でもなぜか、
私は自分が書いた小説のキャラクターを
子どものように感じたことがありませんでした。


キャラはとても大切な存在です。

ただ、彼らは生んだというより出会った感覚で、
「私の元に来てくれた魂たち」だと思ってます。


どこからかやってきて、
私の元に留まってくれている存在って感じ。


キャラクター側はどう思ってるのでしょう?
作者の私のことを親のように感じているのか?


気になるので、聞いてみました。
まずは夕くんから。


私「作者の私を母親みたいに感じることある?」

夕「ねえよ(即答)」

夕くんにとって母親は実のお母さんだけで、作者の私には違う印象を抱いてるそう。

夕「なんか……書いて育ててくれた親戚の姉ちゃんって感じ。感謝はしてる」

それはそれでめっちゃ嬉しい。

ルカさんにも聞きました。


ルカ「作者としての松月の印象? 物語に真摯な作者だと思うよ」

私「ルカさんの出る作品はまだ書いてる最中だし、こうして話せるようになったのもわりと最近だよね」

ルカ「うん。だから夕みたいに育ての親とは思わないかな。一生懸命恋してる友人だね」

照れることをさらっと言うルカさん。
普段めちゃくちゃ相談に乗ってもらっているから仕方ないですね。


一つ気づいたことがあります。

夕くんもルカさんも大人に近いキャラだから、
自分の子どものようには感じないのかも。

小学生くらいのキャラだとまた違うのでは?


というわけで、
颯太(仮名)という小学生にも聞きました。

この子は私が大人になってから書いたキャラで、年の差も親子くらいです。


私「颯太(そうた)に聞きたいんだけど、作者の私のこと、どういう存在だと思ってる?」

颯太「俺のこと外から書いてくれるお姉さん!」

無邪気な笑顔で冷静すぎる理解力。
私が思っていたより颯太(9歳)は大人でした。


私「なんてメタな理解……」

颯太「だってそうだろ?お姉さんが書いてくれたから俺が友達と出会えたんじゃん。ありがと!」

そうか。
颯太に言われて、わかりました。


私の書いた小説のキャラは、
自分が創作物だと理解した上で、
作者の私と話してくれるんですね。


「一緒に物語を作り上げる仲間」だから
子どものように感じないのかも。


子どもというには少し距離があります。
私にとってキャラクターは、
天から預かっている尊いものです。


また、私に対する呼び方もほとんどのキャラが「作者」か「作者さん」です。

颯太の「お姉さん」みたいな数人の例外を除き、ルカさんみたいに名前で呼んでくれるキャラの方がレア。

名前で呼んでくれるレアキャラといえば、
彼がそうです。


私「彼のことはどう思ってる?」

颯太「○○さん? たまに挨拶するけど、優しいよな。お姉さんと話してるとき、楽しそう」

私「挨拶するの?」

颯太「うん、俺が走ってると『気ぃつけて行ってき』って声かけてくれる。転んだときは手貸して起き上がらせてくれたし」

なにその心あたたまる交流。
近所のお兄ちゃんか?

私が知らないところでのキャラ同士の交流も
こうして聞けたら書きたいと思います。


それでは、また。



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