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オレより早く死ぬかもしれない。

ふと、娘が死ぬということを思い出した。
明日も元気でいると漠然と信じているが、明日生きているという保証はどこにもない。生きとし生けるものいずれ死すものなのだ。
なにも暗い話ではない。未来はわからないというだけのことである。それがわかれば「今」をどうするか考えればよい。

仕事帰りで疲れている時に「追いかけっこしよう」というのをちゃんと聞いておけばよかったと後悔したくない。時間など気にせずにたくさん遊んでやればよかったと、もし今日死ぬのなら思うことだろう。
昔は子供がよく死んだそうだ。今の80代の方のおばあちゃん世代はそうであったから、子供を自由に遊ばせニコニコそれを見ていたと何かで読んだことがある。

少しくらいの疲れがなんだ。娘にとっては、子供にとっては「今」しかないのだ。その積み重ねの先、なにがどうなるかはわからない。ただ、自身の後悔は少しは減るのではないだろうか。
今日、遊ぼうとせがまれたらちゃんと遊んであげよう。体はちゃんと動くだろう?
あとはほんの少しの気合いでどうにかなる。30分くらい、人生の30分など大したことではない。何かを伝えられればお互いにとって儲けもんだ。

「と、言いつつも今日は本当に忙しかったので疲れて、娘と遊ばなかった。明日は本気で遊ぶ」

と、いつもなら照れ隠しの一文を添えるのだけれど、今日は本気で遊んでやったぜ。
たまには真面目も悪かなかろうもん。


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