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ダメだ、木に登りたい。

ある集まりで公園に行った。指導者が来るということで、いつもと少し違う雰囲気だ。
オレは応援で駆けつけたので一歩引いてその様子を眺めていた。
少し長い時間立っていたので「あるもの」に肘をかけた。

木だ。
公園の周りをぐるっと囲むように植えられたそれなりに大きい木。指導を受ける様子を見ようとしたが、そこからある感情が頭を支配した。

「木に登りたい」

たまたま肘をかけた木はとても良い形をしていた。最初の一歩目は約1.5メートルほどの高さで、そこから三又になっているので手をかけてそこまで登る。
上体を安定するところまで引き、左側の窪みに左手をかけ、手をかけていない一本の木に右足を乗せて、グイッと上へ登り、右手をあの窪みに・・・と、木に登りたい衝動に駆られてしまった。

オレは木登りが大好きなのだ。あの全身運動には底知れない快感を覚える。子供と公園に行ったときなども子供そっちのけで木登りしてしまうくらいに好きだ。なぜ好きなのかと言われれば、そこに木があるからとしか言いようがない。なぜか好きなのである。

さて、問題はここからである。
オレはどうしても木に登りたい。しかし、至極真面目な集まりでエイサと登るわけにはいかない。登ることはできる。だが、怒られるというおまけを許容できるならだ。
話が入ってこない。木に登りたい。ちゃんと聞かなくては。木に登りたい。みんな頑張っている。木に登りたい。最初は右手をあそこに置いて・・・。

もう全く集中できない。目を盗んで何度か登ろうとするも、オレの良識がそれを阻む。本来人間は自由なはずだ。集まりがどうとか関係ない。登れるんだ。それを止めているのはオレ自身の心なのだ。

もうどうしようもなくなったオレは、ゴングがなるのを待つボクシングチャンピオンのように両肘を偉そうにかけた。心の均衡を保つにはこれしかなかった。

集まりもそろそろと撤収を始めた。
片付けをし、整列をして、解散した。

今だ!

オレはシミュレーション通り登った。えもいわれぬ快感が体を吹き抜けた。自由とは不自由さの克服である。やってはダメなところからやってしまったこの快感。どうしようもないのだ。これに抗える人間など存在しない。

一つ高いところにいるオレの心には新しい夜風が吹きつけた。

ああ、たまらねえぜ。


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