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薬剤師1年目の僕は、今まで薬の恩恵を受けた経験が少なすぎた。


僕は幸いこれまでの人生で医療機関を受診することがほとんどありませんでした。大人になってからは特に何もありません。
今や世界には様々な薬が開発され出回っているようですが、薬に関して僕はほとんど無縁の私生活を送ることができています。薬を飲んで花粉症が治った、体の痒みが治った、頭痛が和らいだかなあ?くらいのことを感じることはありますが、基本的に市販の薬を購入する、医療機関を受診するといったことにかなり腰が重く、とりあえずしっかり寝て栄養のあるもの食べて治そうかというタイプです。
そんな中で僕は、どういう訳か薬のことを勉強し、薬を正しく飲んでQOLを上げてもらう職業に流れつきました。そして働き始めてかれこれ半年が経ちました。


半年も働いていれば、患者さんから感謝されることもあれば叱られることもそりゃ色々とあります。
過日も患者さんからご指摘をいただく機会がありました。内容は患者さんによっても様々。怒られるなんて思ってもみなかったことばかりです。怒られた直後は、もっとこうすればよかったといったという反省、なんであんなことを言われるのだろうという分からなさ、周りに迷惑をかけてしまったことへの自己嫌悪や、周りに比べて自分が頼りなく思えたり、それで自閉化していくのが悔しかったりと色んな気持ちが混在していました。

要するに初めての経験ばかりで戸惑っていました。



冷静に改めて振り返ってみると、それらの悩みや戸惑いの根本の原因は、僕と患者さんの薬に対する認識の違いで生じているのではないかと感じます。
繰り返しますが、僕は薬を使って良かった経験が少ないので本当の意味で薬を飲んでいる人の気持ちが分からないのです。薬を使う人の背景を想像することはできますが、想像の内容は恐らくまだまだ稚拙でしょう。僕は薬の恩恵を受けたことがあるのかよく分からない人間なのです。


この病気、この症状だったらこの薬は問題なくて、これくらいの量だったら問題なくて、副作用はこうで、飲み方はこうで、この会社のマニュアルはこうで…
僕はこれまでそこに拘泥していましたし、勉強もしてきました。あんな小さい薬の分子がこんな風に体内で効果を発揮するのか。その理屈にはとても面白さを感じました。

でも目の前にいる患者さんは薬で治ってほしいと希望を持って自ら薬を受け取りにくるし、口に苦い薬を入れるわけです。そこにある原動力は、論理や数値、マニュアル、正誤をはるかに超えた感情です。
怒られた僕は結局、その感情に圧倒されていたのです。


ただ、僕にも自分の人生があります。生活のために利益、数値を追求することもあれば、不眠症の人には睡眠薬というように診断名から薬剤と量などを正しいかどうか簡単に判定することももちろんあります。正しいかどうかはあくまで添付文書のような誰かが作ってくれた論理をそのまま引っぱってるだけです。ただそれでもそういう仕事をやってる以上やるしかない訳です。正しいかどうか本当は誰にも分かりません。信じて飲むかどうかです。


だから僕ができることは、目の前の仕事を淡々とこなす。地味なことでも淡々と。そして患者さんの気持ちを知ろうと誠実にいることだけです。逃げるのではなく、反発するのではなく、自分の感情まで動かされるのではなく、知ろうと耳を傾ける。自分も苦しい時がやってきて、究極的には自分も老いていつか必ず死ぬことを理解する。それだけだと思っています。


今回は自分が現時点でぼんやり思っていることを文章にしました。また歳を重ねるにつれ違う視点を得れたらいいなと思います。


あと、写真は京都でおすすめの「挽肉と米」というハンバーグ屋です。目の前で焼いてくれて美味しいです。
(2022.11.19)

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