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思考を深くしたい


最近新しい集中法を編み出した。
狭いトイレで鍵を閉め、トイレの中で立ったまま数十分作業に集中するというものだ。目標としていた作業(本を一章読む、問題を一問解く等)が終わったらトイレを出る。

もちろん作業中は快適ではない。トイレは狭いし徐々に暑くなってくるし。
だけど、終わった後に得られる解放感がサウナ後の「ととのう」に類似してて気持ちがいい。
謎の多幸感があって、スッキリしてその後の活力が湧いてくる感じ。
読書、サウナ、瞑想には同じような効果があるって聞いたことがあるから、その感覚はあながち間違ってないと思う。
僕がやっているのは、日頃の精神の疲れを癒す、Bibliotherapy(読書療法)のようなものかもしれない。(Bibliotherapyなんて初めて聞く言葉だけど、意外と論文も結構あるみたい。)

社会人にもなれば自分に合った勉強法は既に確立していて、余裕があるものだと学生の頃は思っていたが、今日も休日の注意散漫と闘いながら勉強法を模索中である。まさかその結果トイレに辿り着くとは…。学生の時の、仲間がいた自習室がすごく貴重だったと近頃よく思う。

さて、改めて考えてみると、数十年前に比べて格段に勉強自体はしやすくなったはずだ。知識をインプットするツールとして、スマホがあるからである。電子辞書なんて必要ない。それどころか最近はAIが瞬時に何でも教えてくれる時代になりつつある。有識者にネットで聞く必要すらないのかもしれない。何でも知っている神様が僕の近くにいるということだ。

それなのに、日頃スマホをいじっていてもどこか身になっている感じがしない。没頭できていない。感情や論理の奥深いところまで到達する体験が減ったように思う。
スマホでショート動画や短文を高速大量摂取することは、全て悪ではないと思うけれど、止まることなく次々と脳内物質を放出させることで明らかに心身を疲れさせており、充足感を生み出さない。

さらに最近は、動画の間に挟まるCM、サイトに貼り付けられている広告など、インターネットのあらゆる世界に時間とお金を意図的に搾取しようとする者も確実に介入している。注目を集めることに長けるプロたちが追い討ちをかけてくる。

そのような集中力が欠陥しがちな環境下において
、信頼できる一つの「文章」に数十分でものめり込んだり、なにか長考して文章を残す作業をすることは、考えることの良いリハビリになるんじゃないかと信じている。論理や感情の深みまで到達するには、自分のペースで一歩ずつ言語を通して作者の思考をトレースするしかない。そしてゆくゆくは自分の言葉で表現できるようになりたい。


とまあ、ここまで抽象的な話を色々書いてきたけど、実際ここ2週間くらい、誘惑と闘いながら勉強してたのはほぼこいつ↓

もともと塾講師バイトをしてた時に興味はあって、社会人の今、英語力がどれくらいなのかを確かめようと思ったのが主なキッカケだ。
この間の日曜日に、学生たち(大人も結構いたけど)に混じって受けてきた。いやあ難しかった!
一次試験では、読む、書く、聞くの3技能が均等に試される。久しぶりのテストだった。

個人的にはリスニングが圧倒的に難しかった。普段から聞く習慣がないと厳しい。「want to → wanna ワナ」とか、「check it out → チェキダウ」みたいに、音の変化に慣れてないと言葉を追えない。

意外とライティングに関しては、高校生の時とかよりできた気がする。120〜150語くらいで自分の意見を流れに従って書く。特に対策に時間をかけた訳ではないけど、文章構成の力とか、それっぽい理屈を並べて乗り切る力は、歳を重ねるにつれて自然と見についてるのかもしれない。(それを英語で書くってのが大変なんだけど。)

まあこんな感じで、普段は仕事や稼ぎに直接役立たなそうなことをしている。
「そんなのやっても意味ない」って言う人もいると思うが、僕も本当に意味があるのか分からない(英検の検定料も1万弱かかったし)。
最近になって、英語でニュース、論文、音楽、映画に触れる機会が増えたのは良かった。英語圏でも人の論理や感情を吸収できたらより深みを増すかなと思っている。


以上、「思考を深くしたい」「願わくば他人に深いと思われたい」という煩悩を昇華させるべく文章を書いた。
明日からの仕事に直接役には立たないけど、長い目で見れば役立つ気もしてくるような…。

日々の業務が忙しくなればなるほど、従業員には浅く広い知識の暗記と、脊髄反射的にアウトプットする瞬発力が求められていくようになる。そして、その従業員の代わりはいくらでも生み出せるシステムができてしまいやすい。それでいいんだけど。

そんな中、深みに関しては、「この人のこの点、明らかに周りと異なるな」という深さ(縦の軸)を周りに意識させることができる。「この人、深いわ〜」は、「このAI、深いわ〜」に代替しようがない。
そう思って僕は、属人的な魅力欲しさに、深みを得ようと今日も試行錯誤している。

おわり


読んでくれてありがとうございます!
質問募集してるので是非!!
みなさんの感情、思考をください!!!

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