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北海道紀行 その2

さてさて。北海道紀行、待望のその2でございます。待望っつーのは、私にとっての待望ね。待望待望と言っておりますが、忘れないうちにどんどん書いていこうと思う。
ここで少しタイトルに訂正を加えたいです。前回も「北海道紀行」と書いたのですが、実際には札幌紀行です。若干小樽にも足を伸ばしたものの、小樽も札幌の一部やろ、と友人に言われたので、ええ、札幌紀行です。すみません。でもここまで書いてしまったので、北海道紀行でいきます。どうぞよろしく。

そんなこんなで二日目に突入したわけです。想定外の目覚めの良さから始まった理由は、宿泊したホテルに朝食がついていたから。無料の。

そしてこの朝食がもうまた。予想を遥かに上回るスペシャルティーなブッフェだったわけです。美味しそうなパン、ヨーグルト、果物、オムレツ。洋食多めかと思いきや少し歩いた先には和食のエリアが我々を待ちかまえているではないか…色々な種類のおにぎりにとろろ、お味噌汁、ホクホクに蒸したジャガイモ、その横に輝く塩辛…。
しかし我々には、もうあと数時間で船に揺られるというミッションがあったのです。ハメを外して食べすぎると、きっと船上でキラキラと後悔を流し出すことになるでしょう。
賢明な私たちは、泣く泣くヨーグルトとサラダ、みたいな、どこぞのフィットネス系お姉さんのような朝食で済ませたのでした。

そこからはまた徒歩で札駅(この頃にはもう「さつえき」と呼ぶようになっていた)に向かい、JRに揺られて小樽へ。小樽についてからは約15分まーーっすぐ歩いて「青の洞窟」に行くための船を出している事業所?のようなところへ向かった。
北大の友人(Kとします)があまりにも優秀すぎて私ともう一人の友人(Sとする)はポンコツを極めていたので、ここまでの道のりやら申込方法などはよくわかっておりません。しかし金額が学生料金で500円安くなって、社会人のSにごめんねぇ〜と言ったことは覚えている。

屋根のないクルーズ船(12人乗っていたと思う)に乗り込み数分経ったところで、カモメの群れに遭遇した。と言うより、カモメたちが住んでいる地区に私たちが侵入した。船長がかっぱえびせんを空に向けると、カモメがわんさか飛んできた。私は鳥に対して何の恐怖心も抱いていない派閥の人間なので、わーいわーいと騒いでいたのだが、横を見るとSが信じられない声で叫んでいた。叫び散らしていた。それがあまりにも面白かった。泣きそうなほど叫んで体をかがめているのに、それを見ていると余計にカモメをこっちに呼びたくなって、ああここにきて良かったなと奇妙に嬉しくなった。ごめんね、私Sなのかも。友人Sとこんがらがるね。

頭上を飛び回りSを怖がらせたカモメ

そして大きな岩が現れるごとに、すごい断層が目につくたびに、船長はその紹介をしてくれた。これまた面白かった。私は高校生のとき、社会の1科目で地理を選択したかったのだが、理系だからという今でも腑に落ちない理由で選択できなかったことも思い出した。そして数分が経つと、洞窟が見えてきた。これですよ、今日は船が全然並んでません、この前はここで50分も待ったんですよ。と船長が言っていて、それはさぞ大変だっただろうなと思った。ここでどんな話をして場を繋いだのだろう。ゆらゆら揺れて、変に酔った人もいただろうな、ここにはカモメもこーへんし、退屈やろうな、寝ちゃうやろうな〜とか思いつつ、ぬるぬると洞窟に入っていった。
ここでも横のSはきれーーーーーー!!!!すごーーーーーー!!!!と声を出している。Kは静かである。船の上で何度も私に話しかけていたけど、ごめん、何も聞こえへんかった。ヘラヘラ笑ってるだけやった、え??とか聞き返したくせにそれも聞き取れへんかった。ごめん!あ。彼は持ってきた一眼レフとやらであちこち写真を撮っていた。

洞窟の中に入って見えた嘘みたいに透き通った青、青というよりブルーと表現したい。海にはこんな美しい透け透けのブルーを出すポテンシャルがあったんや。すごい。青すぎる。緑にも見える。私の知らない色をしてる。
上には小さな鳥が飛んでいたけど、Sはここでは海の青さに夢中で、ギャンギャン言ってなかったように思う。それも面白い。
このブルーはすごい。私は、海を上から写した写真やら映像やらが苦手で、特にあの紺色の海を見ると心底震え上がって恐怖を感じるのですが、このブルーは違った。ずーっとずーっとずーっと、私の手元にあれば、このブルーが。と思っていた。みんなはあの洞窟の中にいて何を思っていたのだろう。知りたい。

Kが一眼で撮ってくれたブルー

そんなこんなで船はまたカモメの地区を通り過ぎ、Sは一度目よりも大声で叫び、私は一度目よりも笑い、Kは今回はその様子を写真に撮っていた。思い出すだけで嬉しい。幸せな時間。もういいやってなぜか、何がもういいのかもわからないけど思った。

そして陸に上がった私たちは、大変空腹でした。もう何かを胃に入れたくてたまらない、何かを食べないと死んじゃう!!!海鮮を!!と言って(口には出さず)小樽の、ここはルタオに弱み握られてるんか?と思うほどルタオに占拠された道を練り歩く。
あの海鮮丼は高すぎる、ここはいくらが少なすぎる、等々言っていると、端まできてしまった。
もう何でも良くなってきた。「人生色々」とかいう名前の海鮮丼屋さんに入った。そう、人生色々!でもすごく美味しかった。あーーー海鮮最高!いくら最高!サーモン最高!と最高最高と、それしか言葉のない世界であった。

色々丼とかそんな名前だったような…丼

ここでKは「親子仲良し丼」と言ういくらとサーモンが乗ったサイコパス丼を注文した。親子ゆーてもう死んでるし私ら食べるのにな。いやしかもこのサーモンといくらは親子ちゃうしな。赤の他人が親子で仲良しって怖いな。美味しいな。と我々はぺっちゃらくっちゃら言いつつ食べ食べした。めちゃくちゃ笑った。

そしてこの後またルタオの道を練り歩き、一応ルタオにも入って試食だけもらって店を出た。話す口はそのままに歩いて、歩いて。食べて歩いて。なぜか昆布買って帰路についた。札幌に帰った。晩ご飯、何にしようと話して、Kが指導教員に連れて行ってもらって激うまやったという地元の人が知る居酒屋へと連れて行ってもらった。

そこではホッケ、ざんぎ、じゃがバター塩辛のせ、ホッケのお刺身、牡蠣の田楽、いくらおにぎり、白いとうもろこしを食べた。またClassicを飲んだ。Kが教えてくれて、私たちが知らないお店で飲んだ。なんかわからんけど、話してる途中何回か泣きそうになった、楽しい場やし泣くこともないと思って笑った。時間がすごく経ったな、私たちももう大人やな、ビールとか飲んで美味しいと言って、昔みたいにパンケーキを食べなくて、牡蠣を食べてる。いつこんなに時間が過ぎたのかしらと思いながら、でもその牡蠣田楽は本当に美味しくて、今でも口にその味を再現できる。

牡蠣の田楽。衝撃的な美味しさ。瓶に詰めて売ってほしい

そこからは締めパフェなるものを食べに行った。大学院でしんどかったことを話してたら、さっき我慢した涙がちょいっと出た。まぁいいかなと思ってちょっと、ほんまにちょっと泣いた。ここでも、もういいやと思った。美味しくて、美味しいと共有できてすごく幸せだった。

Kは明日ゼミがあるとかで、この日でおそらく会うのは最後だろうということであった。もしかしたら明日私たちが出発間際に会えるかも!と言ってたが、もう無理かもなとぼんやり思った。でもそれもそれでいい。そのためにたくさん話したしね、大丈夫。頑張れよと思った。
パフェを食べた後は、狸小路という商店街を練りあるいた。そして業務用スーパーに入って、Kがたこ焼き粉三袋買うのを横で見ていた。札幌で?たこ焼き粉??三袋というのは、およそ1000個で、誰がこんな食べんねんマジでと大笑いしたが、Kはまじの顔をして、いや、色々具材入れて食べんねん。一回でこの袋の半分くらいで、と説明し出したので、はー、ほーと何となく相槌を打った。

Kのたこ焼き粉、いや誰がこれ札幌で食べんねん、まじで。

我々の合言葉は、「困難は分割せよ」決めたわけじゃないけど。この言葉、中学の時の国語の教科書を覚えている人には馴染み深い言葉ではなかろうか。私はこの言葉が大好き。自分が困難の渦中にいるときは一ミリも思い出せないこの言葉を私は愛してる。人差し指と中指をクロスさせて困難は分割せよと言うのが好き。

何となくすぐに解散したくないというその場の空気も感じて、その後も歩き続けて、知らない靴磨きの夢を持った少年、いや青年に声をかけられたり、その前には大通公園の芝生に座って路上ライブも聴きました。何の歌が聞きたいですか〜?と聞かれて、関西魂を持つSが張り切って答えたのに、その数曲全てをそのシンガーは知らず、彼が歌った曲は我々3人ともが知らない未知の歌だったことは絶対に忘れません。無茶を言ったSよりも、多く投げ銭をしたKの謎の心意気も、忘れません。

は〜〜〜〜〜。これが二日目。自己満足のために書いているとはいえ、かなり自己満足だなと焦り。いいかな。札幌ってこういう気持ちにさせる不思議なところ。三日目はまた、後日。困難は分割せよと言いますから。

じゃ!


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