判決文を読んでみよう! ―3DS特許裁判編―

0.はじめに


2011年2月、ニンテンドー3DSが発売されました。それに付随して「3DSは特許侵害である」という訴訟が起き、それを起こした人物が元ソニーの技術者ということがニュースになりました。これはそこそこ知っている人は多いと思います。

その訴訟は一度任天堂が敗北し、その後逆転勝訴をしたという経緯を持っているので、よく「任天堂最強法務部伝説」というネタで持ち出されることが多いです。youtubeの動画ネタにも使われています。

そんな裁判なのですが、どのようなところが問題となり、どのような流れを至ったのか、把握している人はどれだけいるでしょうか? おそらくほとんどいないと思います。私も知りませんでした。いい機会なので調べてみたところ、実はかなり難しい経緯を持っている裁判だということに気が付きました。ですので、ここに私が理解できた範囲で、その流れを記事化することにしました。毎度のことですが私はただのアマチュア研究家なので、用語ミスや解釈違いを連発しているかと思うので、そのところはどうか片目を瞑って見逃してもらえると助かります。

また、原文の資料が英語ですので、その殆どを翻訳ソフトを頼って読んでいます。そのため、特許の根幹部分を正しく理解できているのか全く自信がありませんので、特許の具体的な解説はせず、あくまで裁判の流れとその周辺の出来事を中心とした記事となります。

それともう一つ、特許について扱う前に、皆さんに聞かなければならないことがあります。

皆さん、特許って何かわかりますか?

こう聞かれるとなかなかうまく答えられるか自信がない人がほとんどでしょう。特許裁判と聞くと「パクったか、オリジナルか」が論点になってると思う人もいるかもしれません。

よく言われる「パクリ」なんですが、実はアイデアというのは、著作権でも、特許でも、それ自体は保護対象ではないのです。「メガネがなくても立体視に見える」というのはまだアイデア段階でしかなく、法的に保護される特許を取得するためには具体的な手法を記述して申請しなければなりません(そもそもアイデアが被ったからといって裁判沙汰になっていたら、大変なことになってしまいますし)。

ざっくり「アイデアを実現するための技術的手法を、手続きによって文面にし、申請して通ったもの」を特許と呼ぶ……と思ってから、この記事を読んでいただければ幸いです。

それではよろしくお願いします。


1.裁判前の出来事


2003年、とある技術者が任天堂を訪問しました。
彼の名前は富田誠次郎。彼はもともとソニーの技術者で、2001年までソニーに在籍していました。このことは下記の特許検索サイトで確認ができます。

しかし独立後、彼はフリーの身となり、いろんな企業に特許を売り込むような立場になっていたようです。主に立体視の分野で彼は能力を発揮していました。2002年の株式会社ソフィア(パチンコ・パチスロメーカーです)の特許に彼の名前を見ることができます。その時取得した特許も立体視関連でした。

任天堂を訪問した富田氏は自身の得意分野である立体視技術を売り込みました。しかしこれは結局採用されませんでした。
富田氏は他の企業への売り込みを続けます。ソフィアの他、アミタテクノロジー株式会社の特許にも彼の名前を見ることができます。

2006年には4件、2007年には16件の特許を取得することに成功していますが、翌年2008年には1件だけで、2009年からはしばらく彼の名前を見ることができません。これはなぜかというと、富田氏は脳卒中を患ってしまい、闘病生活に入ったからです。その後も完全に回復した……というわけにはいかず、部分的には麻痺が残ってしまったようです。

そんな富田氏ですが、大きな知らせに驚きます。任天堂が3DSを発表したのです。

「これはウチの特許を侵害してるだろ!?」

彼は裸眼立体視の技術については一日の長があると自負していました。だからこそ任天堂に売り込みをかけたわけですが、それを退いた任天堂から、裸眼立体視のゲーム機が発売されるのです。

彼の中にどのような感情が芽生えたのかは推測するほかありませんが、とにかく彼は行動を始めます。おそらくは任天堂に再度訪問し、特許侵害であることを訴えたかと思います。しかしそれに対して任天堂が肯定的に捉えることはありませんでした。結果、訴訟の準備を始めます。

日本だけではなく、欧州やアメリカでも特許裁判を起こすために彼は動きました。特許はあくまで各国で申請しなければ有効にはならないのですが、彼はきちんと各国で自分の特許を申請しており、問題はありませんでした。しかし裁判が起こせたのは結果的にはアメリカのみでした。欧州でも訴えは起こしたのですが却下されています。日本でも結局裁判まで至っていません。

ところが彼は脳卒中の後遺症が残っている身です。アメリカに飛んで自ら証言ができればいいのですが、そういうわけにはいきませんでした。そのため、ソニー時代から付き合いのあった20年来の大親友、クリフォード・デイビットを頼ることにしました。彼は親友からの依頼を快諾し、訴訟準備に入ります。まずは法人化をせねばならないとして、富田氏を社長とした「トミタテクノロジーズインターナショナル」が設立され、そして2011年4月、「トミタテクノロジーズUSA」もアメリカ現地法人として設立されました。このトミタテクノロジーズUSA所在地はデイビット氏のニューヨークにある自宅です。


2.前哨戦



トミタテクノロジーズvs任天堂の訴訟がアメリカでいよいよ始まりますが、その前哨戦として任天堂がとある申立を裁判所に起こします。それは「ニューヨークではなくワシントンこそ、この裁判が行われるのにふさわしい場所だ」というものでした。
トミタテクノロジーズUSAの本社(というか、デイビット氏のお宅なんですが)はニューヨークにあったので、当然訴えを起こした裁判所はニューヨークです。しかし任天堂はこれを不満に思い、ワシントンへ変えるように願い出ました。ワシントンはNintendo of America本社がある場所であったので、ものすごくざっくりいうと「相手のところにわざわざ出向くのが面倒だから地元でやりたい」というものだったのでしょう。

任天堂はアメリカ流にのっとり、かなり強い口調で富田氏を非難しています。トミタテクノロジーズUSAの設立が裁判直前だったことを指し、「富田氏はフォーラムショッピング(自分の都合のいい裁判所を探す行為)を行った」と指摘し、かつ「特許侵害訴訟において、有効な事実の焦点は、侵害しているとされる製品が設計、開発、管理された場所である」として、3DSが開発されたワシントンこそふさわしいと主張しました。

3DSがワシントンで開発されたの? と疑問符をつける方もいるかもしれません。これには任天堂も無理があると思っていたようで、「侵害とされる製品の設計と開発は日本で行われたが、実質的な管理はワシントンで行われ、そこで販売とマーケティングの意思決定が行われた」と主張しました。

このあたりの任天堂の主張は、無茶に無茶を重ねている印象です。任天堂は、富田氏がニューヨークを選択するとなぜ彼に都合がいい判決がでるのか説明することができず、その上特許裁判においてマーケティングや販売の意思決定が重要視されることはない、というごくごく真っ当な指摘を受け、この申立を却下させられました。前哨戦は富田氏の勝利です。ただ、これはもしかしたら任天堂側の「うまく申し立てが通ったらラッキー」くらいなジャブ、だったのかもしれません。

(また、任天堂が過去にニューヨークにて知的財産訴訟に勝ってきた歴史もあったため、「ニューヨークだからといって任天堂が特段不利になりえるとはいえない」という判断もなされました)


3.アメリカの裁判システムと任天堂のかつての「敗北」



さて、ニューヨークにて裁判が行われると決定しましたが、アメリカの特許裁判は一審が陪審裁判となります。一般人の皆様にお集まりいただき、被告、原告のお互いの主張をぶつけ合ったのを聞いて、そして特許侵害があったかなかったかを陪審員で話し合い、全会一致になるまで議論を行って(注意:多数決ではありません)いきます。「特許裁判なんて専門性が強い分野、陪審員みたいな一般人ができるものなのか?」という意見は根強いのですが、『そもそも裁判官だって特別に特許に強い専門家というわけではない』という理由で、一般人の意見を組もうとしているみたいですね。

任天堂は「最強法務部」と評価されるほど裁判に強い……という実績があるわけですが、常勝無敗というわけではありません。

1992年、一つの訴訟が起きました。起こした人物は発明家、ジャン・コイル氏です。彼は自身の持つ「低周波音声信号を使ったカラー画像表示技術」の特許を、北米向けに家庭用ゲーム機を発売していた任天堂・セガが侵害していると訴えたのです。今回の富田氏と似ているのは、あくまで一個人が起こした裁判というところです。

どういう特許なのかというと、「音を信号として取り入れ、それを変換してカラーテレビに対して相当するものを出力する」というものです。ざっくりいうと、音に合わせてカラーテレビの画面を変化させる技術、という具合ですね。インテリアに活用されるのを見越した技術だそうです。

「まったくテレビゲーム機と関係なくないか?」と思われる方が多いかもしれません。実際、セガ内の法務部でも「これは絶対に勝てる!」という見方が圧倒的でした。しかしコイル氏は「任天堂・セガ両者が発売したゲーム機の映像出力にはスピーカーから聞こえる音とは別の音声出力が混ざっており、それは私の特許侵害にあたる」という主張を繰り出します。実際それは事実なのですが、それを言ってしまうと、そもそもすべての映像信号に可聴域の周波数成分が入っているわけですし……。

技術的な視点でみれば完全に無理筋ないちゃもんでした。セガが「勝てる」と判断した理由もわかります。しかし任天堂はこれに対して、和解の方向に進みます。セガは意気揚々と裁判所に向かいましたが、任天堂は本裁判になる手前の段階でコイル氏に和解金を支払うことになりました。

セガとコイル氏の裁判が始まりましたが、セガ側の弁護士が技術的には全然違うことを専門用語を駆使して説明する一方、コイル氏は高齢のため法廷には出向かず、ビデオを流すことになりました。

「私は見ての通り、高齢でもはや出歩くこともできません。体が弱って心臓も悪いのです。特許に関しては昔取ったものなので詳しくはわからないのだが、特許が取得できたということは、きっと素晴らしいものなのだろう……」

このコイル氏の裁判戦略は見事にはまり、陪審員たちはコイル氏に同情的になります(よくよく考えると特許についてなんにも語っておらず、同情を誘うような話しかしていません)。その上、「任天堂がコイル氏と和解して、和解金を支払った」という情報が入ってきます。裁判長からは「この裁判とは無関係な情報であるため、結論に絡めてはいけない」と何度も諌められますが、どうしても心情的に「あの任天堂はきちんと和解しているのに、セガは本当に駄目だな!」という方向に向かってしまいます。その上セガの弁護士は小難しいことを繰り返して陪審員たちを煙に巻こうとしているようにしか見えませんでした。

結果、セガは敗訴となり、特許侵害と認定されたGENESISは販売差し止めを言い渡されました。このとき、GENESISはSNESを上回るスピードで出荷している最盛期です。販売差し止めはあまりにも痛く、3300万ドルの賠償金を言い渡されましたが、さらにその上の4300万ドルで和解し、販売差し止め命令を撤回してもらうこととなりました。いっぽう、任天堂は数十万ドルで和解したと言われています。

特許裁判の難しさが表面化した事例といえるかもしれません。任天堂も技術的に別種であると確信していたでしょうが、セガのように裁判に負けることを予見していて腰が引けた、のではないでしょうか。

そんな任天堂ですが、今回は富田氏の主張を受け入れず裁判所に向かうことになりました。勝算あり、と見込んだのでしょうか。そして任天堂はこの後、敗北する羽目になります。

4.ニューヨーク州南部地区連邦地方裁判所の「評決」と「判決」



トミタ・テクノロジーズと任天堂、それぞれの主張を聞いた陪審員たちは結論を出しました。

「特許侵害有り」

任天堂が「トミタ・テクノロジーズの特許と、我が社の3DSは無関係である」と主張したものの、それは通ることは有りませんでした。

具体的にどのような特許が、どのように侵害とみなされたのか解説をしましょう。裁判はアメリカで行われましたが、日本で同じ特許が同じように申請されているので、日本語で確認することが可能です。出願番号 特願2004-569587 がこの裁判で使われた特許です(ただし日本においては新規性なし、として特許として認められませんでした)。

https://www.j-platpat.inpit.go.jp/
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/

ものすごく難しいことが並んでいますので、要約して簡単に説明いたしますと(詳しく知りたい方は特許庁のサイトに飛んで上記の出願番号を検索すると、詳細な説明を読むことが可能です)

裸眼立体視映像は右目と左目、視野角によってそれぞれ違う画像を見せることで実現する技術ですが、画面の大きさや、視聴者との画面の距離によって左右の画面の見え方が違うため、その画像自体を再調整しないでそのまま画面に映してしまうと場所によっては「なんだか二重に見える」「立体的に見えない」という問題点がありました(メガネをかけるタイプの3Dは眼鏡のレンズが偏光フィルターとなり、左右違う画像をみせることができるのです)。

しかしこの富田氏の特許は視聴者との距離を超音波にて測定し、三点測量によってちょうどいい具合の立体具合を見られるポイント(これを左右二点の映像がちょうどよく見えるポイント、クロスポイントと、富田氏は呼んでいます)を探ることができ、かつその立体具合を調整することが可能な特許です。右目映像・左目映像の距離具合を数値化して、それをいじることができる、というのです。

3DSは3Dスライダーを有しています。画面横についているレバーを上下することで、立体感の調整が可能です。これが陪審にとって特許侵害と見られたわけですね。

「3Dスライダーが、超音波を使って距離を測る特許を侵害したことになるの?」と疑問に思う方もいるかとおもいます。じつはこの特許においてメイン部分は超音波云々ではなく、あくまで「二台のカメラと、視聴者の両目に異なる画像を移す映像装置に、適切なクロスポイント情報に基づいて映像をずらして表示される手段」なのです。その核心部分において特許が侵害された、という判断です。

2012年2月に陪審員はその結論をだし、そしてその後裁判所にて具体的な金額を算出しました。2013年3月に3020万ドルという賠償金額が認められました。当時の日本円にして約28億円です。この頃の任天堂はWii Uの不振を受けて赤字に転落していました。豊富な現金を抱えているため、経営的な土台は揺らいでいませんでしたが、泣きっ面に蜂な決算となったことは間違いないでしょう。特別損失として2012年Q4に28億円が計上されています。

この出来事は大々的に報じられ、結構な衝撃をもたらしました。「あの最強法務部の任天堂が」的な扱われ方です。地裁での評決といっても、実際に特損を出したわけですから。

その衝撃の大きさは株主総会にも影響を及ぼしています。2013年6月27日に行われた株主総会にて、このような質問がありました。

損益計算書の特別損失に計上されている訴訟関連損失28億4000万円について説明してほしい。

https://www.nintendo.co.jp/ir/stock/meeting/130627qa/02.html

それに対しての当時の任天堂社長、岩田社長の返答は以下の通りです。

訴訟関連損失というのは、訴訟に関連して賠償金等を支払わなければならない場合等に会計上立てておく必要があるものです。ここに載っているからといって、損失が確定したということではございません。最近では知的財産権に関連した訴訟が非常に増えておりまして、当社の商品に関して「自社の特許に触れているのではないか」といったお話を多くいただきます。このようなケースで、当社は法律上の観点から侵害していないと信じているけれども、逆に権利者の方は「侵害しているはずだ」とお考えで、裁判になることがございます。

 ご指摘の28億4000万円の訴訟関連損失については、一部でニュースにもなりましたが、トミタテクノロジー社から提起された特許権の侵害訴訟において、当社が賠償額として3020万米ドルを支払うべきとの陪審員による評決が3月13日にニューヨーク州の連邦地方裁判所で出された件でございます。これは第一審であり、当社は控訴する予定ですので、将来、控訴審で当社の主張が認めていただけたら、損失からまた振り替えて利益にすることができますし、私たちとしては当社の主張が認められると信じております。ただ、会計上は、いったんこのような判決が出た以上、計上する必要がございますので、このように処理しております。

https://www.nintendo.co.jp/ir/stock/meeting/130627qa/02.html

「私たちとしては当社の主張が認められると信じております」という力強い返答があったわけですが、「将来、控訴審で当社の主張が認めていただけたら、損失からまた振り替えて利益にすることができます」という返答を肯定するような出来事がありました。この株主総会の3ヶ月後である9月に、ニューヨーク州南部地区連邦地方裁判所の判事が「本質的に過大」として減額する判決を下しました。

ここらへんアメリカの制度がややこしいのですが、陪審員が下したのはあくまで「評決」です。それはそれで有効なのですが、出した評決に問題点があった場合は、裁判長がそれを修正する権利を有しています。3DSはこの時、ほとんど原価同然で販売しており、かつ、「3DS専用のゲームのほとんどはこの富田氏の特許を使用していない」という背景を鑑みての判決でした。そのためおよそ半額である1510万ドルに賠償額が減りました。任天堂の2013年9月の四半期決算において14億円が払い戻しとなったので、特別利益として計上されました。

ただそれでも14億円分、ほとんど一個人の富田氏に行ったことになるわけですし、負けは負けです。そしてこの後、任天堂は次第に態度を変化させていくことになります。具体的にいうと、「対富田」色をどんどんと濃くしていきます。

5.日本で上がる戦火



任天堂は賠償額が半額となった後も高裁に控訴しました。一貫して「当社は他社の知的財産を尊重しており、特許侵害はしていない」という主張です。

その一方で2014年6月、日本の特許庁にとある申し立てを行っていました。特許無効審判の申請です。特許第3978392号。これは富田氏が有している立体視の特許です。これは松下が有している特許3089306号と同一で新規性がない……という申し立てでした。

松下が有している特許だと任天堂が主張する、というなんとも不思議な状況になっているわけですが、特許庁は任天堂の申請を却下しました。しかし任天堂は訴訟を起こし、この特許を攻撃します。
この件は東京にある知的財産高等裁判所で請け負うことになりました。面倒臭い話になりますが、特許庁が行った審決に対する不服申立てとしての審決取消訴訟については、知的財産高等裁判所が第一審となります。知的財産高等裁判所は知財関連の専門家をあつめた裁判所です。

なぜこのようなことが起きたのか? 具体的なソースは何一つありませんが、可能性の話をすると、おそらく富田氏がアメリカでの勝訴の勢いを借り、そのまま日本においても任天堂に対して特許侵害の警告文を送りつけたのではないでしょうか? 
アメリカで勝利した際の特許は日本では認められていませんでしたが、それに近い他の裸眼立体視の特許を富田氏は有しています。そのため「日本でも有効な特許を俺は持っている。日本でも訴訟は起こせるんだぞ」という警告を放った可能性があります。任天堂がこれで特許料を払えば富田氏の勝利なのですが、任天堂としては訴訟を起こして富田氏の特許へ攻撃をしかけた、という話なわけですね。

もちろん、富田氏が警告文を送る前に任天堂が「これはもしかしたら日本でも裁判が起こされるかもしれない。その前に手を打たねば!」と思って先制攻撃した可能性もあります。
富田氏は大企業所属ではない、あくまで一個人に近い立場なので、「日本の特許訴訟を引き下げて欲しければ、アメリカでの特許訴訟を和解せよ」という交渉は、ちょっと成立しにくいので可能性としては低いです(企業対企業では結構ある話だそうです)。


また、アメリカの訴訟についても動きがありました。アメリカで知財を扱う連邦巡回区控訴裁判所が該当の判決に不備がある、として地裁に差し戻しを命じました。

ここらへん本当にややこしいのですが、裁判の流れとしては通常、判決に不満があった場合高等裁判所へ控訴、それでも不満があった場合は最高裁判所へ上告と、段階を踏んでいきます。ところが上位の裁判所が「この審議は十分になされていない」と判断した場合、元の裁判所にもう一度審議をやり直すよう命じることができます。つまり、トミタ・テクノロジーズの勝利は審議不十分だ、と言い渡されてしまいました。そのためもう一度、地裁にて裁判をやり直すハメになったのです。


6.天国と地獄



地裁に差し戻しをされたことで富田氏の心境はいかなるものだったのか。実はちょっとだけ把握できそうな要素があります。2015年10月、トミタテクノロジー・ジャパン株式会社が新しく設立されました。場所は品川区のオフィスビルの中です。

このビルの賃料を確認すると6Fの26坪で33万円でした。トミタテクノロジーは個人の枠を超え、きちんとした企業へと成長していくように見えます。その原動力に、アメリカでの勝訴があったことは否定できないでしょう。

富田氏が逆風にさらされはじめたのはこの後です。

2016年3月、日本において知的財産高等裁判所が富田氏の特許の無効を言い渡しました。そうです、先の任天堂が起こした裁判で、任天堂が勝利したのです。もちろんこれはアメリカの裁判とは無関係なので、影響を及ぼすわけはありません。しかしその翌月、さらなる悲報が富田氏に届きました。

2016年4月、ニューヨーク州地方裁判所は「3DSは富田氏の特許を侵害していない」という判決を下します。

富田氏の特許と、3DSの構造には色々な差異があり、「本質的に違うもの」として扱われました。例えばその差異の一つには、「3DSでは表示するまでデータとして単一の画像を生成しない(ディスプレイに表示されるまでそれぞれ別の画像として扱われる)が、富田氏の特許は途中で生成される」「つまり富田氏の特許はフレームメモリ内にピクセルデータが格納されるが、3DSでは結果はディスプレイに生成される」というところが上げられました。

判決文では

富田は、証拠の優位性によって、手段プラス機能の形式または均等論の形式のいずれかで、これらのテストのいずれかを満たさなければならないという重荷を負っている。

https://www.courtlistener.com/opinion/7320045/tomita-technologies-usa-llc-v-nintendo-co/?q=Nintendo%E3%80%80tomita&type=o&order_by=score%20desc&stat_Precedential=on
Googleにて日本語翻訳

法廷は、富田は試験の方法と結果の両方において不合格であると結論づけた。それぞれの立場を適用する際に、裁判所は、3DS がオフセットおよび表示機能を実行する方法がどうかを尋ねます。またはその結果が'664特許の方法または結果と「実質的に異なる」。富田は、3DS と '664 特許の方法と結果の違いは実質的ではないことを示さなければなりません。同上、富田氏はテストの途中で不合格となった。その理由は、ソフトウェアで行列変換を使用して左目画像と右目画像を調整することと、ハードウェアで相対タイミングを使用して右目画像のみをオフセットすることとの間には大きな違いがあるためである。

https://www.courtlistener.com/opinion/7320045/tomita-technologies-usa-llc-v-nintendo-co/?q=Nintendo%E3%80%80tomita&type=o&order_by=score%20desc&stat_Precedential=on
Googleにて日本語翻訳

という具合であり、富田氏の立証が不完全であり、特許侵害としては認められない、という判決でした。

富田氏の逆転敗訴、という形になります(厳密にいえば差し戻しなのでちょっと違うのですけれど)が、富田氏は再度控訴を申し出ます。ちなみにこの時点で逆転敗訴したからといって、任天堂が支払った賠償金はまだ戻ってきておりません。控訴関連が落ち着くまでは、といった具合でしょうか。

翌年2017年3月には米国連邦巡回控訴裁判所の判断が出ました。地裁の判決を肯定する、という判断です。つまり富田氏の敗訴です。富田氏には再度、最高裁判所へ上訴する権利が残されていましたが、敗色濃厚なのはおそらく本人にもわかっていたものと思われます。2017年8月にはトミタテクノロジー・ジャパン株式会社は品川のオフィスを引き払い、引っ越しをしました。引っ越し先は……富田氏の個人宅です。

2017年9月にあった任天堂の四半期決算には「訴訟関連損失戻入額」として19.3億円が計上されました。富田氏は先の勝訴で得た金を、すべて任天堂に戻す羽目になりました。

翌10月にはアメリカ合衆国最高裁判所が上訴を退けました。ここで富田氏の敗北が決まりました。

ここから先の動向は、不明です。ですがおそらくトミタテクノロジーズUSAは現存せず、解散したのではないでしょうか。以後、裁判の場に富田氏や親友であるデイビット氏が現れることはありませんでした。

そしてもう一つ、特許でも富田氏に変化が訪れました。

彼は持っていた立体視関連の特許から手を引き始めます。2016年頃から特許料の支払いを行うのを辞めました。よって順次持っていた特許が消滅していきます(ちなみに特許料は請求項と経過年数によって変わります。初年度の特許料は年5000円程度ですが、10年を超えると年7万円に達したりします)。タイミング的には地裁で逆転敗訴を受けた後あたりで、彼はもしかしたらその頃から完全敗北を悟っていたのではないでしょうか?

その一方で寝具に取り付ける生体存否検出装置の特許は今でもトミタ・テクノロジージャパンが特許料を支払って有効です。2022年には生体信号処理装置関連の特許を取得しました。富田氏は立体視関連の特許から手を引きましたが、新たなテクノロジーを模索することは辞めていなかったのです。


7.おわりに



以上が任天堂と、富田氏との戦いの全てになります。任天堂はその後、ゲームバイス社に特許侵害で訴えられましたが、2023年に訴えは棄却されました。

さて、富田氏はいわゆる特許ゴロ、パテントトロールだったのでしょうか? 

私見になりますが、まず違うでしょう。彼が起こした裁判は対任天堂しか確認できず、その任天堂に関しても彼が今まで取り組んできた立体視の分野での訴えでした。任天堂との敗北の後は、彼はその立体視技術からも距離を置きました。その流れに、私は技術者のプライドを見いだしました。

裁判は差し戻しにより、富田氏の勝利が幻のものになってしまいました。しかし彼の生き様は、特許情報プラットフォームに今でも刻み込まれています。

勝利は幻となりましたが、富田誠次郎という一人の技術者がいて、任天堂に戦いを挑んだ、という歴史が確かにここにあったのです。そのことを知っている人は一人でも多いほうがいいでしょう。

そして一人でも多くなることを願って、この記事を終いにしたいと思います。お疲れ様でした。



Special Thanks 

友利 昴 / Subaru Tomori @s_tomori
(日本においての任天堂と富田氏との特許裁判戦略について助言頂きました)


参考URL

https://www.newglass.jp/mag/TITL/maghtml/51-pdf/+51-p033.pdf


元社長が語る! セガ家庭用ハード開発秘話   佐藤秀樹

(上記サイトにてアメリカ国内の判例を確認。Nintendo  TOMITA で検索可能)

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