絶対に教科書に載らない桃鉄の(ついでにコナミとハドソンの)歴史
はじめに
桃太郎電鉄 ~昭和 平成 令和も定番!~ が累計販売本数350万本を突破しました。おめでとうございます。
この売上は驚異的なものです。日本において300万本以上売り上げたゲームソフトは、実は「任天堂/ポケモン関連」「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」「モンスターハンター」「妖怪ウォッチ」しかありません。とんでもない化け物IPたちに桃鉄が仲間入りした、ということになります(元から長年の歴史を組んだ化け物IPな気がしますが)。
さて、そんな桃鉄ですが、昨年行われた制作総監督さくまあきら氏へのインタビューにてこのようなやりとりがありました。
これを読んで「はぁなるほど、さくまあきらのほうからコナミにお願いしたから桃鉄の新作が出たんだな」と思う人は多いでしょう。困ったことにこれは事実ではありません。これはまさしく私が過去に記事にしたような、「本人がインタビューで語っているけれど、それをそのまま受け取るわけにはいかない」という現象が発生しているのです。
いったいどういうことなのか、今回の記事は桃鉄の歴史を辿り、どのようにして復活して、なぜさくまあきら氏が偽の歴史を語るようになったかを解説します。
桃太郎電鉄とは
桃太郎電鉄とは、元は昔話の桃太郎をベースにしたファミコン向けRPG、「桃太郎伝説」のスピンオフ作品です。日本全国をサイコロを振ってその分鉄道で巡り、お金を稼ぐボードゲームです。桃太郎の他、貧乏神やそれの強化版キングボンビーの存在はゲームを実際にやったことがない人でも知っている方は多いのではないのでしょうか?
元はファミコンで発売されたゲームですが、発売元のハドソンがPCエンジンに関わった都合もあり、続編である「スーパー桃太郎電鉄」がPCエンジンで登場。それの移植版が逆輸入みたいな形でファミコンにも発売されました。
キングボンビーが登場し、さらにパワーアップした「スーパー桃太郎電鉄Ⅱ」がPCエンジンに登場し、これが大ヒット。その後スーパーファミコンに移植され、これもヒット作となり、合計100万本を記録する人気シリーズとなりました。以降はスーパーファミコン、プレイステーション、プレイステーション2とプラットフォームを変えつつも高い人気を維持するシリーズになっていきました。
桃太郎電鉄が他のゲームとちょっと違う特色としては「元々ゲームが先行したIPなのに、さくまあきら個人も権利者になっている」という点があります。
通常、ゲーム発IPは会社に全て権利があります。「ファイナルファンタジー」の権利はすべて旧スクウェア、現スクウェアエニックスが有しているので、生みの親である坂口博信氏が退社しても、シリーズ展開に影響はありません。同じく「メタルギア」の権利もコナミが有しているので、生みの親である小島監督が退社後も、続編が会社主導で作られることには何の異議もないことをTwitter上で小島監督自身が表明しています。
ところが桃太郎電鉄にはさくまあきら氏が直接絡んでいます。その証拠が任天堂公式Webページにもきちんと現れています。
下部にきちんと権利者の表明である©マークと「さくまあきら」が連なっています。
つまりこれは「さくまあきら氏がOKしないと桃鉄新作は絶対にだせない」ことを意味します。
ちょっとこの点を留意していただいておいて、もう一つ頭にいれていただきたいことがあります。それは「ハドソンからコナミに権利が移行している」ということです。
ハドソンがコナミに吸収合併されるまでの経緯
ハドソンはかつてのPCゲーム開発の雄で、PCエンジンにも強く関わり、スーパーファミコン上でもヒット作を飛ばしまくる有力ゲームメーカーでした。
しかしプレイステーション登場、いわゆる32bitゲーム機戦争時、注力したPCーFXの大失敗とメインバンクである北海道拓殖銀行の破綻が重なり、いっきに経営不安を抱えることになります。
そんな負債を抱え込んだハドソンに手を差し伸べた企業が一社だけありました。それがコナミです。コナミはファミコンにて「プーヤン」のIPをハドソンに貸したことがあり、縁が深い企業です。ハドソンの誘いに乗りPCエンジンに参入した過去もありました。当時のコナミは拡充路線に乗っており、ハドソンの他、玩具メーカータカラとの提携を進めたり、経営不振だったスポーツジム会社ピープルを買収したり、様々な方面に全力を出しています。その少し前にはSCEと喧嘩して自社流通の権利を奪い返したりしているので、まさしく乗りに乗っている状況です。コナミとハドソンは2001年、提携し、コナミがハドソンの筆頭株主となりました。50億円ほどの資金がハドソンに流れたそうです。このときギリギリ株式は50%は越えていません。
そんなコナミとハドソンですが、当初は概ね上手くいっておりました。コナミ側からハドソンに向けて役員を三人出向させることになりましたが、ハドソンの社長は創業者のまま変わらず、そのまま続けることになります。ハドソンも資金注入のおかげもあって、そこから黒字転換し安定した経営を行うようになります。
しかしその後、2004年でおかしなことになります。ハドソンが11月のニュースリリースで80億円の下方修正をアナウンスしました。2003年のハドソンの決算が売上123億、営業利益12億円でしたので、これはとんでもない数字です。数年分の利益が消し飛んだ……というか、コナミにより注入された資金がまるまるなくなったことを意味します。
2005年度の決算は営業利益が14億円の赤字。純利益では82億円の赤字です。ハドソンは再度の経営危機を迎えます。
コナミとしてはいくらなんでも放置はできなかったのでしょう。ハドソンを経営面で改革することになります。役員を増員し、社長を交代させました。その増員した役員を使い、さらなる増資を行います。その結果、今までギリギリ50%越えなかったコナミへの株がついに50%を越えます。これによりハドソンはコナミの連結子会社になりました。
このときハドソンは桃鉄の他、マリオパーティの開発請負を行っています。PCの世界でもMMOPRG「Master of Epic -The ResonanceAge Universe-」を開発。なんとこれは運営会社を変えつつも現在でも運営中という超寿命の国産MMOPRGとなりました。
高い技術力が健在であると証明したものの、経営的にはこの時点でハドソンはコナミの一部門化していました。役員もほとんどがコナミ出身者にいれかわり、社長もコナミ出身にかわり、当時興隆はじめた携帯電話コンテンツに注力させる方針を打ち出します。が、その一方でWiiに桃鉄を発売し続けたり、CALLING ~黒き着信~や影の塔といった結構気合いのいれた新規IPを展開していきます。まだそれでもギリギリコナミはハドソンに期待してる面があったのでしょうか。デカスポルタはそこそこヒットした部類となり、続編も発売されました。
しかしマリオパーティーの開発チームがハドソンを辞めたこともあり(彼らはNDキューブという任天堂関連会社に入り、再びマリオパーティの開発に携わることになります)人材流出が問題化します。
2011年、コナミはハドソンの株を株式交換により取得、完全子会社化させた後の2012年、コナミはハドソンを解散させました。これによりハドソンが有していた権利の一切がコナミに移動しています。
なぜハドソンを合併解散させたのか、当時のコナミデジタルエンタテインメント田中社長はこのように語っています。
しかしこの一年後、田中社長は前言を翻し、ハドソンブランド自体を消しました。
これを見ると「コナミがハドソンを見切ったのか」と見えますが、実際はそう単純ではありません。なぜならこの前から、コナミは大幅な事業改革を行ってきたからです。
コナミ内部の合併の歴史
コナミは日本各地に開発スタジオを持つ大規模会社でした。
東京本社以外には、かつての本社所在地にKCE(コナミコンピュータエンタテイメント)神戸。PS2で音ゲーの移植を多く行っていたKCE横浜。他にも名古屋、大阪、札幌にもありました。ところが2001年以降、ハドソンと提携した頃から「各地にスタジオが点在しているのは開発上非効率」ということで、集約化を進めています。神戸は大阪に統合され、名古屋も解散。札幌と神戸が合併し、KCES(コナミコンピュータエンタテイメントスタジオ)となって、それも結局大阪に統合されました。
2006年頃には最終的に東京か、大阪かの二極となりますが、他に残された事例としてハドソンがあるわけです。ハドソンはまだこのとき完全子会社ではなかったので、札幌に会社を残したままです。旧札幌事業所をKCESから分割し、ハドソンとの提携時にハドソンへ譲渡しました。札幌部門はハドソンに任せる、といった意味合いでしょうか。
つまりハドソンは10年間「コナミの札幌開発チームの実質的受け皿」として機能していたことになりますし、コナミ視点ではそれなりに温情をかけていたことになります。
しかし2011年には最終的にコナミは「札幌も東京に統合」という指針を出しました。これに札幌のハドソンスタッフは激怒します。札幌に家があるのに、東京に来いとは何事だ、ということでしょう。あの高橋名人も自分のことを「リストラ組」と表現するほどでした。
コナミ的には温情をかけて延期に延期を重ねてきた施策をいよいよ実施した流れなのですが、末端のスタッフは自分の人生がかかっています。そう簡単に飲み込めるわけもないでしょう。再び大量のスタッフがハドソンを、コナミを去って行きました。この去って行った中に桃鉄を作り続けてきたスタッフが数多くいます。これが直接的な原因となって桃鉄の休止期間に繋がります。
ちなみにこれはコナミの歴史からいうとさほど珍しい話ではありません。かつて神戸本社から東京へと移籍する際、離れたスタッフが多くいました。彼らが作った作品が旧スクウェアの「アインハンダー」です。
桃太郎電鉄が休止に至った背景
このとき、さくまあきら氏はこのようにツイートしています。
実はさくまあきら氏は、とても、とても気難しい方だということを知っておいて頂きたいのです。公式Webページで堂々と旧ハドソンの批判を行うほどです。
ざっと引用するだけでこんな具合です。公然と関連会社の批判をWebページ上で行うというのは、クリエイター気質溢れるからこそできるものでしょうか。
もちろん吸収したコナミ相手にもさくまあきら氏は一歩も引きません。こんな具合に。
コナミとさくまあきら氏の関係が上手くいってないのは明らかでした。そして2015年、爆弾は爆発します。
前代未聞。クリエイター側から担当者へ名指しした上の終了宣言です。これは大きな反響を呼びました。その上、同年12月には有名クリエイターである小島監督もコナミを退社します。これによりコナミは大きなバッシングに合いました。
これにより桃鉄シリーズは休止においやられました。コナミは声明を発表し、
という態度を示しましたが、これは実際かなり難しい状況にあります。なにせ権利の一部がさくまあきら氏にあるのですし、どうやっても彼がYesと言わない限りは新作を出すことができないからです。
これにより実質的なシリーズ打ち切り。終了となりました。ところがここから桃鉄は複雑怪奇な経緯を辿ることになります。それを把握するために今度はここから先のコナミの歴史を辿る必要があります。
コナミデジタルエンタテインメントの大雑把な(ごたごたの)歴史
一言にコナミと言っても、「コナミ工業株式会社」から「コナミホールティングス」、そして7月からは「コナミグループ株式会社」と社名を変え続けてきた長い歴史があります。その詳細な解説は他の人に譲るとして、コンシューマゲームを担当している「デジタルエンタテインメント」の歴史を簡単に振り返ってみましょう。
ハドソンを関連会社化させた2006年、コナミは遊戯王部門、コンシューマゲーム部門、ソーシャルゲーム部門などを新設した子会社に移管しました。これが「コナミデジタルエンタテインメント」です。初代社長は田中富美明氏で、彼はコナミ創業者上月会長の娘婿です。各地にあった独立採算制の開発スタジオは集約され、本部で全て行うようになりました。最終的に二つしかスタジオが残らなかったのは上で述べた通りです。
ただしこのとき、社内はいくつかの開発チームに再編されました。有名どころでは小島監督の小島プロダクション。パワプロプロダクションに、ラブプラスプロダクション、ウイニングイレブンプロダクションなどなど。
小島監督は2010年に執行役員副社長にまで上がります。その上、MGS5の開発のためにロサンゼルスに別途スタジオを新設するまでの注力ぶりです。
こんな注力ぶりをしている一方で一つの大きな出来事が起きました。社長交代です。2014年7月に長らく社長を勤め上げてきた田中社長が引退することになりました。彼はスポーツクラブのほうの会長となり、新しく上月拓也氏がデジタルエンタテインメントの社長となります。
上月拓也氏は創業者上月会長の実の息子です。コナミは同族企業なので、非血縁者が入り込むのはなかなか難しいという実情が覗えます。もともと上月拓也氏は親会社コナミホールティングスの社長を2012年から営んでいたわけですから、田中社長の後を継ぐにしてもさほど問題ないように思われました。
しかし、思われただけでした。2015年3月にはすぐさま社長交代。コナミデジタルエンタテインメント新社長に早川英樹氏が就任します。わずか一年半で上月拓也氏はホールディングスの社長に戻っていきました。
この早川社長、なんと創業者である上月会長とは縁のない、完全な外様社長となります。何があったのかわかりませんが、非常にゴタゴタしていることが伝わってきます。
早川秀樹社長は生え抜きで、かつては広報担当として、メタルギアソリッド1の広報も担当していたことがあります。ときめきメモリアル2のCDにスペシャルサンクスとして名を連ねたこともありました。その後は順調に出世していきますが、ソーシャルゲームのドラゴンコレクションのエグゼブティブプロデューサーとしてこれを大ヒットさせたことが評価されたのでしょう。今回の社長就任となりました。
早川社長体制が始まるわけですが、とてもスムースな出だしというわけにはいきませんでした。先に述べたさくまあきら氏のツイートもそうですし、小島監督が退社することもMGS5 TPP発売の前(2015年9月)には決まっていたのでしょう。小島プロダクションのロサンゼルススタジオも閉鎖が決まりました。このあたりは時期的に考えておそらく早川社長の手腕云々ではなく、前社長から引き継いだ宿題に取りかかったように思えます。このとき、社内スタジオを再編成し、複数あったスタジオを統一して開発本部が統括するような形になりました。人材をせっかく東京に集めたのに、その中で区分けしていたら意味がないのでは、ということでしょう。
小島監督の退社は影響が大きく、小島プロダクションのスタッフらも一緒に結構な数が辞めていきました。コナミの歴史的には毎度のことではあるのですが。
ちなみにコナミの歴史的には毎度のことでありますが、これは他のゲーム会社でも大差ありません。そもそもゲーム業界全体で見ると平均勤続年数が11年という結構転職が激しい業種であるからです。
(興味のある方は検索して各会社の平均勤続年数を調べてみたらいいですよ。ただし本社のホールディングスの平均勤続年数を上げてるところが多いのでお間違えないように。あくまでゲームを作ってるところはデジタルエンタテインメントです!)
そしてリブートに向かう人たち
早川社長は新しくなったコナミの方針を決める必要がありました。決めたそれは「IPリブート」。コナミが有している過去のIPを復活させていこうという指針です。その先駆けとしてハドソンIPであるボンバーマンが2017年にSwitchのロンチタイトルとして復活しました。このとき、IPのリブートに大きく携わっていたのが元小島プロダクションの岡村憲明氏です。彼は小島監督の下で「メタルギアソリッド ポータブルオプス」のプロデューサーとして指揮したこともある大ベテランです。
さらにありがたいことに任天堂が桃鉄のいざこざを聞きつけ、仲介に入ってくれました。以前さくまあきら氏が述べていた「桃鉄の権利を買い取って他社から発売すれば」ということを半分実現させた形で、この話しは上手くいきました。コナミはサブライセンスを任天堂に渡し、任天堂がパブリッシャーとなって新作桃鉄を発売する、という形です。これが3DSで発売された「桃太郎電鉄2017 たちあがれ日本!!」です。
このソフトの開発にあたって、コナミを去ってしまった元桃鉄開発チームが携わっています。開発は「ヴァルハラゲームスタジオ」(創業者はDead or Aliveシリーズ生みの親の板垣さんです)ですが、このときヴァルハラゲームスタジオは札幌事務所というのを立ち上げています。そう、札幌に居続けた元開発スタッフが集結し、ヴァルハラゲームスタジオに合流したのです。ヴァルハラゲームスタジオCFO(最高財務責任者)辻尚之氏は元ハドソンで、取締役開発本部長だった方です。彼の元に桃鉄スタッフが再結集しました。
こうして任天堂の仲介もあり、コナミはさくまあきら氏との最低限の和解を成立させることができましたが、ここでちょっとした問題が発生しています。2017年版桃鉄には今までキャラクターデザインとして顔役だった土居孝幸氏(愛称どいん)が新規絵を描いていません。
これにはいくつか事情があります。土居孝幸氏は2015年にフルーツトラベラーズという作品を手がけています。
2015年、といえばさくまあきら氏が「もう桃鉄新作をつくらない」と改めて明言した時です。土居孝幸氏は事前にその話をご本人から聞いていたのでしょう(実際に桃鉄は2010年の桃太郎電鉄Worldを最後に五年間新作が携帯電話のみ、という状況でした)。桃鉄から離れて新たなIPを模索せざるを得なかったのではないでしょうか。ちなみに上記インタビュー記事にて答えているシナリオ・クイズ担当の井沢ひろし氏も長年桃鉄に携わって、さくまあきら氏の右腕的ポジションにいた方です。身近な人たちも「もう桃鉄の新作はでないのだ」と認識していたのでしょう。
こういった経緯があり、「やっぱり戻ってきました」はさすがに不義理となるのでしょう。土居孝幸氏、井沢ひろし氏は新作から距離を取っていたものと思われます。桃鉄2017年の新規絵は別の方が描いています。
ちなみになんですが私、この2017年度版のキングボンビーに凄く見覚えがあるんですよね……。ドラゴンクエスト味があるというか……。うーん。
そしてこの土居孝幸氏と井沢ひろし氏は完全に別方面に向かうことになります。
2018年にSwitchで発売されたこのビリオンロードのキャラクターデザインは土居孝幸氏、井沢ひろし氏は世界観・キャラクター設定にて携わっています。この時点で桃鉄に戻ってくるルートは消えてしまいました。
ビリオンロードは大ヒットした作品……というわけにはいきませんでした。なにかいい話を確認できたらここに書くのですが、それが出来ていないということでお察しください。
そしてこのとき、さくまあきら氏はなんともモヤモヤした気持ちを抱えつつ過ごしていました。2017年度版を失敗作だとは思っていませんが、なにしろ3DSは携帯機。桃鉄といえば大きな画面で皆が盛り上がって、ではないか、という気持ちがどうしても拭えなかったのです。
そこに彼がやってきました。ボンバーマンを復刻させた立役者、元小島プロダクションの、岡村憲明氏です。彼は今までの経過を全て把握した上で、改めてさくまあきら氏の元にやってきました
さくまあきら氏も心残りがあったため、一応控えめなGoサインを出しました。さらに桝田省治氏(『俺の屍を越えてゆけ』や『リンダキューブ』の制作者で、初期桃鉄にも携わったさくまあきら氏の旧友)のありがたいバックアップもありました。
補足をいれますと、実はヴァルハラゲームスタジオの札幌事務所は桃鉄2017年を発売後、解散しています(ヴァルハラゲームスタジオ自体も2021年末にソレイユに吸収合併されてしまいました)。では札幌にいた開発スタッフたちは一体……と心配になりますが、彼らはきちんと札幌に居続けます。まず、桃鉄の制作に長年携わっていた川田名人は独立し株式会社MOMOを立ち上げていました。
社員数三人の小さな会社ですが、開発実績に堂々と「桃太郎電鉄」のロゴが光ります。
株式会社G-styleも開発に携わっています。札幌の会社で、元ハドソンスタッフが多く携わっていたのでしょう。
こうした複数の会社を跨がって桝田省治氏はやりくりし、岡村憲明氏が調整に入って、桃太郎電鉄は本格的なリブートに動き出しました。
キャラデザの問題は再度発生しましたが、岡村氏が竹浪秀行氏を推薦し、サンプル絵をさくまあきら氏が気に入ったことで決定しました。竹浪氏はスーパーボンバーマンRでもキャラデザに携わっており、岡村氏と接点があったのです。ぷよぷよフィーバー!!のキャラデザで有名です。
BGMも追加曲に関してヒャダイン氏が参加することになりました。
こうした流れはさくまあきら氏を満足させています。Twitterではこのようなツイートを行うようになりました。
なんと、なんと、ここでさくまあきら氏が「関係性はよい」とまでいうほどに関係が改善されています。
リブートの結果 そして
こうした経過があり2020年末に発売された桃太郎電鉄 ~昭和 平成 令和も定番!~ はずば抜けた好成績を残します。あっという間にミリオンヒットとなり、そこからまだまだずっと売れ続けるという偉業を達成しました。これは決算にも現れています。
そもそもコナミデジタルエンタテイメントは2014年あたりで一度底を打ち(ゴタゴタしていた時ですね!)、そこから徐々に売上を加速させていきました。2021年度決算においては遊戯王、ソーシャルゲーム(パワプロ・ウイニングイレブン・プロ野球スピリッツ)、そしてリブートしたコンシューマIPが上手くかみ合い、コナミデジタルエンタテインメント史上最高売上・最高利益を達成しています。早川社長の手腕の見事さが実証されました。
この好決算の裏で一つの人事がありました。2020年4月、コナミホールディングス社長上月拓也氏が社長を退任し、普通の取締役になりました。明らかな降格人事です。かわりに社長になったのは東尾公彦氏です。東尾社長は創業者上月会長の甥っ子にあたります。つまり、実の息子を降格させ、かわりに甥っ子を昇格させた形になります。2020年の時点で売上は上昇傾向のまっただ中にありました。なぜこのような人事を行ったのか、さっぱりわかりません。
そして2020年6月、上月拓也氏他三名が任期満了に伴い、退任しました。ところが拓也氏以外の二名はコナミ顧問に就任したり、Konami Gaming Inc.取締役会長、Konami Australia Pty Ltd 取締役会長を続投していたりとその後もコナミに席があったのに対して、上月拓也氏だけはコナミ内に席はありませんでした。彼は退任したあと、どこに行ったのでしょうか。インターネットでは追うことは不可能でした。なぜこのような目にあうのか、ますます理解できません。
あの発言の真意とは
話を桃鉄に戻しましょう。この流れを踏まえた上でもう一度さくまあきら氏の、あの冒頭のインタビューの発言を読んで欲しいのです。
さくまあきら氏からお願いしたわけがないんです。そうであればTwitterで「今のところ関係性は良い」だとか、そんなツイートを言える立場であるわけがないんですから。岡村憲明氏がやってきて、頭を下げたことでようやくGoサインを出した立場が正解でしょう。ではこの発言の真意とはなにか。
これはつまり、さくまあきら氏が「私の方からお願いしたってことにしておいてやろう」という寛大さを、コナミと、岡村氏に向けて見せたという証拠なのです。繰り返しますが、さくまあきら氏はとてつもなく気難しい方です。そんなさくまあきら氏がここまで寛大になれるほど、現在の関係は良好なものだと示しています。
ちなみになんですが、ハドソンが解散したことで元ハドソンスタッフが全員コナミを辞めた……というのは事実ではありません。コナミに転身したスタッフも多くおられます。
彼らはコナミ内で自分たちの仕事をきちんとこなし時を過ごしていました。そしてコナミがPCエンジンminiの制作を企画すると、彼らはアドバイザーという形で参加しました。そのつてをつかい旧ハドソンスタッフたちと連携を取り、ヒアリングを行うことで、PCエンジンminiを出すことに成功しています。
コナミは内部のごたごたの時期を越え、IPと、自社のリブートに成功しました。さくまあきら氏はそんなコナミを許し、続編の存在に言及するにも至っています。おそらくは本当に出るでしょう。そのとき、また私たちに新鮮な驚きを提供してくれることを願うばかりです。
最後に、桃太郎電鉄 ~昭和 平成 令和も定番!~のスタッフロールに出てくる最後の言葉に言及することでこの記事を締めたいと思います。99年プレイを行うことで最後にスタッフロールが流れるのですが、その最後に「毎日が 桃太郎電鉄のような 平和な日々で ありますように!」と、おそらくさくまあきら氏からプレイヤーに対してのメッセージが表示されます。
そんなバイオレンスな毎日は御免ですからね!?
参考URL
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