過去のゲーム業界を語る難しさについて

少しばかり思うことがあったので少々。

某所にていざこざがあったのですが、こういった昔のゲームの出来事を調べていて本当に難しいと思うのは「何が本当なのか、互いの書いてあることが矛盾していてわからない」ということです。

原因の一つとしてはその本を書いてる著者が、ジャーナリストとして経験を積んだ一流の人材であったとしても、ゲームに関して、ゲーム業界に関してそもそも無知であるため、根本を理解しておらずとんちんかんな解説になってしまいがち、というものがあります(特にゲーム機のハードウェア的解説になると、一気にその素人っぷりが露呈します)。

そのため「業界人の語った内容が本当に真実であるか、保証できない」ということがこの業界には往々にしてあります。


例を挙げますと、「ゲーム大国ニッポン 神々の興亡」という本があります。これは各クリエイターやゲーム会社社長に直接インタビューを行い、この業界の背後で何が起きていたのかを解説する一級品の資料です。
このときナムコの中村社長のインタビューでは「任天堂の山内溥社長がナムコを表敬訪問し、サードパーティとして最恵国待遇で迎えたことをきっかけにナムコがサードパーティー入りした」という歴史が語られています(同時にナムコ側でもファミコンの解析は進められていて、ファミコンゲーム開発の準備ができているという)。しかしその後、ナムコの最恵国待遇は打ち切られ、他のサードパーティーと同格扱いされたことに中村社長は憤慨し、このように語っています。

「最初の5年間、ナムコはサードパーティーとしては特別な待遇を受けていたわけですが、しかし、その間の我々の貢献を考えたらね、山内さんはこっちに足を向けて寝られないくらいだという風に私は思っていますけれどもね。
でもあの人はそういう恩義みたいな物はすぐに忘れちゃう人だからね。京都商人で、ドライというか、冷徹なところがあるから。正直いって人間的にはあまり好きじゃない。
で、五年目の契約更新の時に他のソフトメーカーと同じ条件で契約して貰うといいだした。こっちは非常に不満ではあるけど、あの人は『それが嫌だったら契約しないで結構』と開き直るような人だから、個人的には屈辱であったけど、ビジネス上の選択として契約せざるを得なかったちゅうことで」

こうしてみるとなるほど、中村社長が怒るのも無理はない、と思えてきます。この本ではこういう経緯がかつてあったため、ナムコは後年プレイステーションに誘われたときにソニー陣営に鞍替えしたのだ、という理由付けがなされています。

ところが現在、この説がおかしいことがわかっています。そもそも任天堂はサードパーティーを誘致しようという発想がなかったのです。


上村 ええ、任天堂はファミコンソフトを自社で全部まかなうつもりでしたから。


つまり「山内溥社長が表敬訪問したことがきっかけでナムコがサードパーティー入りした」という話はありえないことになります(表敬訪問したこと自体はおかしくないと思います。この時点ではアーケードでナムコは任天堂より格上の存在でした)。


大ざっぱに表現すると「ナムコがファミコン参入を勝手に決め、出来上がったゲーム(ギャラクシアン)をもって任天堂に突撃し、許可を得た」ということになります。結果的に見たら任天堂にも利があったわけですが、当時サードパーティー契約のノウハウも積んでいなかった任天堂があまりにナムコに優遇しすぎた契約だと後から気がついた(本数制限がなかった)ので、契約更新を機に「そろそろ他社と同程度にしてもらえませんかね?」と言った方がより実態に近いわけですね。
確かに任天堂はナムコにファミコンの立ち上げを加速させてもらった恩義があるわけですが、そもそもファミコン参入はナムコ側から言い出したことではないか、という見方になってしまうわけです。

(この問題は、まさしく中村社長が語った内容を理解できずに誤解したまま載せてしまったことによるものでしょうか?)


この本には他にハドソン創業者、工藤社長のPCエンジン開発にあたってのインタビューが載っています。ファミコンへの参入で金ができたので、ビジネスのことを全く考えずとりあえずクリエイター気質にまかせてCPUを作ってみようと。

「別に売るつもりはないから、とにかく一個作って欲しいんだ、と。自分の机の上にファミコンよりも性能が良いゲーム機が一台あればいいんです、と。それ以上の欲はないので作って下さいという話をしたんです。そうしたらエプソンの担当者は『わかった』と。『費用がだいぶかかりますけれど、お金はありますか』と。そういうから、お金はいくらでも用意します。なんなら、今ここで積みますからといって。向こうもあきれた顔をしていましたかね。」

唯一こういった話を聞いてくれたのがセイコーエプソンで、そして二億円かけてつくったCPUのできが良かったのでシャープに持ち込んだところ、話が盛り上がりゲーム機として売り出そうとなったが、商談は最後の最後にまとまりきれず、NECに行ったところそこでもゲーム機開発の話がでていたので、一気にPCエンジンとして形ができあがった、と。


ところがこのエピソード、全てが嘘だということがわかっています。当時、PCエンジンに深く関わった開発者の一人、岩崎氏が語るに


ということです(なお、PCエンジン開発の詳細は、他関係者の証言含めて氏の同人誌『ハドソン伝説3』に詳細に語られています。興味のある方必見)。

つまり「当事者がインタビューでそう応えているとしても、それが真実だとは限らない」という状況なのですね。上記の本は1999年から雑誌で連載中だった企画をまとめたものですが、1999年ではあまりおおっぴらに出来ないことが色々とあったのでしょう。ハドソンが偽の歴史を語らねばならない状況だった、というのもわからなくはありません(1997年の拓殖銀行破綻を機に、経営危機にハドソンは陥っています)。

可能な限り多数からの証言をまとめて、情報を精査する必要があります。それを繰り返してようやく「なんとかそれらしい説」というのがわかります。私はそれを目指して記事を書いていますが、とても「真実」にはほど遠いな、という感触しかありません(ただしようやく「あっ、この人なんの取材もしないで適当に本を書いてるな」というのだけは見分けることが出来るようになりました)。

私の記事にどのような間違いが潜んでいるのか、今の私にはまだわかりませんが、自戒を込めてこの記事をアップロードします。

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