任天堂の社長になれなかった男 荒川實 第四幕 -エロと流血と公聴会-

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Custer's Revenge(カスター将軍の逆襲)というゲームがある。ATARI 2600向けに発売されたゲームソフトだ。1982年に発売されたこのゲームはメディアの論争を巻き起こした。世界初の「エロゲー」だったのだ。
しかもその内容は「カスター将軍を操りインディアンの少女のもとに移動して強姦する」というもの。こうして文面で書いてみると「いったいどれほど衝撃的なゲームだったのだろうか」と思うだろうが、実際のゲーム画面を見るとそのチープさに「これが?」と思ってしまうかもしれない。(一応リンク先性的表現あり。御注意)


しかしチープとはいえこれは実際に家庭用ゲーム機で動く初めての性表現であった。メディアは大きく取り上げた。女性団体とインディアン団体も動き、非難の声明を出した。アメリカは「世界初のエロゲー」に大きく揺れ動いた。

任天堂とNOAはこうした動きをきちんと観察していた。そこから一つの結論を得た。

「我々が作っているのは、あくまで健全な遊具である」

麻雀や五目ならべ、ピンボールといった大人向けのゲームも揃えたが、それはあくまでファミコンを家庭に侵食させる第一段階を達成させるがため。メインは子どもであり、「ファミリー」なのだ。一部の大人がニヤニヤしながら夜中にこっそりプレイするようなゲームは許してはならない。同時に血が激しく出るような、そういった刺激が強すぎるものも排除せねばならなかった。

サードパーティーに門戸を開き、ゲームを供給させていく中でもこれは守られた。エロやグロ、暴力には制限がしかれた。厳しくチェックを行い、引っかかる物があれば即、直させた。その態度はサードパーティーをうんざりさせたが、ファミコンとNESの魅力的な市場にしぶしぶ従った。そもそも8bit機であるファミコンやNESでは表現力に限界があり、やろうとしても限界はあった(日本ではハッカーインターナショナルが無許可のエロゲーを頑張って出してはいたが)。

この状況は16bit機であるSNES、ジェネシスに入ると少しずつ変わってくる。表現力がアップしたため、色んなことができるようになってきたのだ。
任天堂のスタイルは変わらなかった。相変わらずの表現規制と任天堂チェック。日本ではメタルマックス2のこんがり焼けた焼死体の色を、黒からオレンジに変えさせた(おかげでエビフライのように見えた)。ファイナルファイトを発売したカプコンは同社の海外支社の役員が「女性を殴るなんて!」と問題視したのを「いや、あいつはニューハーフですけど」と乗り切ろうとした。結局それは無理であり、衣装は変わってしまった。今だったら逆方向で炎上しそうな話ではあるが、これはつい30年前の出来事である。価値観は変わるものだ。

任天堂が必死に表現規制を敷いてる横で、セガは我が道を走った。表現規制を緩めていったのである。殴られたり斬られたりしたら血がでるのは当然である! 上がった性能をどう使うかはクリエイターの自由だ! そうしたセガの精神はサードパーティーの心を掴み、消費者相手に対してはまさしくセガが狙った「ちょっと悪いことを教えてくれる従兄弟」的な地位を確立させるに十分だった。

こうしたセガのスタンスは、とあるゲームソフトに端的に表れている。1993年発売の「モータルコンバット」だ。これは前年よりアーケードで人気を得ていた実写取り込みの格闘ゲームである。何が人気だったかというと、その残虐表現である。血は出る、首切りがある、決め技(フェイタリティ)として相手の脊髄を引っこ抜く、実写取り込みの迫力も相まって一気に人気ゲームに躍り出た。
それの家庭用版が出る。ゲーマー達は色めきだった。しかしどうだろう? あの決め技表現は削られるか、もしくは修正されてしまうのでは? このゲーマーの直感は半分的中した。
NOA(Nintendo of America)はSNES版のモータルコンバットに修正を施した。血は出ない。決め技もマイルドに訂正された。それでも確かに「相手を焼き殺して白骨死体化させる」というような表現は残っていた。NOA的にはこのあたりが限界だったのだろう。
しかしモータルコンバットには同時発売されたジェネシス版が存在した。実は同じく表現規制されていたが、とあるコマンドを入力することでアーケード版と同等の表現に変わる裏技が存在していた(そもそもアーケード版もディップスイッチの設定で流血表現のオンオフが出来たので、ある意味忠実移植ともいえる)。しかも裏技として機能していなかった。発売日には誰もが知ってるチートコードとして認知されていた。これに関しては裏でSOAの思惑が動いていた。

このとき、SOA(SEGA of America)は自社独自のゲームレーティングをNOAに先駆けて作っていた。全年齢向けのGA。13歳以上推奨で一部暴力シーンや流血表現が存在するMA13。成人指定であり暴力や飲酒、性的表現や薬物使用シーンもあるMA17。ビデオゲームレイティング協議会(VRC)という組織を立ち上げ、そこでジェネシス向けに発売されるゲームを評価させていたのである。
もちろんMA17は店頭での扱いが悪くなる。未成年が購入するハードルは高い。そのためSOAとしても「できる限りMA13以下で流通させたい」という思いをもつ。そこにモータルコンバットがやってきた。NOAは間違いなく、いつもの通り「任天堂チェック」をするだろう。うちは是非ともそのままで発売させたいが、MA17だと売上げは伸び悩んでしまう……。

SOA社長カリンスキーは悩んだが、素晴らしいアイデアが降ってわいてきた。

「そうだ! 裏技として仕込めばいいじゃないか!」

グッドアイデア! つまり普通に遊ぶ分にはMA13な、相応に抑えられた表現になっているが、裏技コマンドを入力することでアーケード版相当に切り替わる。これならばティーンエイジャーが店頭で購入することも問題なくなるし、きっと売上げも伸びるだろう。SOAは早速この仕掛けを実行に移した。自ら打ち立てたレーティング機能が全く意味をなさなくなること以外は完璧な策だった。


SOAのこの策は大成功になった。アメリカの若者たちはSNES版と、ジェネシス版のモータルコンバットをじっくりと品定めし、そして「裏技」に気がついた子たちは次々にジェネシス版を購入していった。動き自体は概ねSNES版のほうが良かったのだが、やはりどうしても刺激が足りなかった。SOAはさらにジェネシスの売上げが伸び、高笑いしていた。ざまを見ろ! NOAの奴らめ!

そしてセガは突き進む。

「そもそもMA17というレーティングを作ったのなら、それに認定するゲームがあってもいいのでは?」

このときセガはジェネシス付属の「メガCD」というオプション機器を発売していた。ROMカセットではなく、CD-ROMを使えるようにする機器であり、その大容量を売りにしている。概ね当時の主力ROMカセットが1MB容量(=8Mbit)だったが、CD-ROMは640MBである。これによりROMカセットでは不可能な実写ムービーの再生や豪華なオーケストラ音源の収録、今では当たり前のことだが声優がしゃべるボイスを大量にいれたアニメパートも可能となった。その上メガCD自体にもCPUやメモリが搭載されていて(しかもジェネシスよりも高速+大容量だった)、表現力はさらに向上した。高価なのがネックだったが、それでも数百万のアメリカのゲーマーがこれを購入した。ゲーマーはセガを、ジェネシスを愛していた。

このメガCDでMA17を作ってやろう。セガはそう考えた。実写動画をふんだんに使い、メガCDの性能をフルに活用してみせようじゃないか。出来上がったソフトはなかなか面白いものだった。主人公は秘密部隊の隊長となり、とある家にやってきた少女少年らを狙うオーガーと呼ばれる悪役を、様々なトラップで捕らえ、その企みを防いで少女少年らを守る、というものだ。
その家のなかには8つのカメラが設置されていて、少女たちは何も知らず家の中を移動する。同時にオーガーたちも少女たちを狙い家の中を探る。カメラをリアルタイムで切り替えつつ、どこで何が起こっているのか把握しながら、オーガーをタイミングよく発動させたトラップで捕まえるのだ。(リンク先性的表現あり。注意)

メガCDの能力を見事につかった作品ではあったが、MA17相当な描写があった。ネグリジェ姿の女優が悲鳴をあげながら、オーガーに襲われ血を器具で奪われる、というものだ。シャワーシーンもシルエットながらあった。女優が着替えるシーンもあった。しかしそれは全体的に見れば「安っぽいB級ホラーのそれらしい雰囲気を取り込んだ実写ゲーム」でしかなかった。今みたらなんてことはない描写ばかりだろう。

しかしこれが後にアメリカ中に大論争を巻き起こすことになる。

NOAに届いた「公聴会への参加要望」はもちろんSOAにも届いていた。カリンスキーが読んだ文書にはこのような記載が加えられていた。

「一人の女性が自宅でストーカーに付け狙われ、肉体を存在されて殺害されます。ある男性は武芸コンテストの対戦相手にトドメを刺すように明示され(finish him!!)、彼女の体から鼓動を打っている心臓を引っこ抜きます。これらは最近アメリカで頻発している暴力事件で生じた衝撃的事例のように思えるかもしれません。実際には、どちらも毎日子どもたちによって目撃されています。さらには悪いことに、子どもたちはそこに自ら参加しているのです。なぜなら、これらは一連の新世代ゲームのうち、最も人気があって最も不穏な内容のものから取られた事例に他ならないからです……」

カリンスキーは全てを失っていく喪失感を覚えながら力なく社長室のソファに埋もれ込んだ。「全て終わってしまった」と思い込むほどに。しかし時間が経ち、改めて考えを巡らせていくと、次第に状況が最悪とまではいかないことに気がつき始めた。
まず、我々はレーティング機構を有している。その上ジェネシスやメガCD向けに発売されているソフトの9割は一般向けであるGAだ。そしてそもそも我々のメインターゲットは任天堂から「卒業」してきたティーンエイジャーだ。13歳以上に13歳以上向けのゲームソフトを売ってきて何が悪いのか。モータルコンバットの裏技の件を棚に上げ、カリンスキーは事態の収拾に向かおうとした。しなければならないことは……とにかくもう一方の当事者に協力を得ることだった。カリンスキーはNOAに書簡を送った。実は今までカリンスキーはNOAの上層部と会ったこと、話したことは一度もなかった。今まで刺激的な広告を振りまいていたためしかたないことであるが。つい先日「ざまを見ろ!」と言い放っていた相手であったが、できる限り敬意を込めた文章をしたためた。

NOAの荒川宛に、SOAのカリンスキーから手紙が届いた。だいたい内容がわかっていたが、それでも読まないわけにはいかなかった。そして読んだあと、荒川は読んだことを後悔した。


「親愛なる荒川様へ  私たちはこれまで直接お会いする機会が一度もありませんでしたが、今回の新たな局面に鑑みて、私から直接的な対話をご提案させて頂く必要があるという考えに至りました。ご存じのように、御社と弊社は格闘ゲームや成人向けの双方向エンターテイメントの扱いに関して異なるアプローチを取っています。しかし消費者が賢明な購入判断を行えるよう、そろそろ業界全体で包括的なアプローチを取り込む時が来たように思えます。私たちは双方向メディアエンターテインメント業界にてトップ企業を率いています。お互いに絆を結び、この業界全体の問題に関する全ての人々にとって適切な対応を取っていこうではありませんか。

私どもとしましては、高名な博士号取得者で構成された独立審査団体、ビデオゲームレイティング協議会が運営するセガのレイティングシステムを採用することを、御社に最大の敬意を払いつつ、強くお勧め致します。御社も暴力的表現を含むゲームソフトの販売を許可したり、制作しています。しかし御社のガイドラインは、昨今の成人ユーザーを魅了する状況下においてはいささか不十分であるように思えます。是非とも私の会社と、あなたの会社とで業界統一のレイティングシステムを構築することで責任ある自主規制を実現致しましょう。

荒川様、どうかこの提案を虚心坦懐にご検討下さいますよう、何卒お願い致します。なお、セガのレイティングシステムに関する追加資料を資料として添付いたします」


カリンスキーとしては可能な限り礼節を纏い、NOAへ共闘をお願いする文章を書いたつもりであった。しかしNOAからしてみればこれは「お前のところのシステムは古くさいのでうちのシステムにしろ」という宣戦布告にしか見えなかった。しかもこの事態を引き起こした張本人であるのにも関わらず、「これは業界全体の問題です」とは! うちを蹴落とし、あざ笑いながらなんたる言い草だ! SOAにとってNOAは恐るべきライバル企業であったが、NOAにとってSOAは畑を荒らすただの害獣でしかなかったからである。

荒川は副社長のリンカーンと相談した。リンカーンもカリンスキーからの手紙を読んで憮然とした。

「今更こんな手紙を送ってきたところでどうにかなると思っていたのかね、彼は?」

リンカーンの問いに荒川は無言で首を横に振るだけだった。
しかし公聴会の日時は近づいていた。何の対処もしないわけにはいかない。SOAが公聴会で蜂の巣になるのはかまわない。せめてNOAは無傷でいられるように工夫をしなければならなかった。
リンカーンはカリンスキーに返事を送った。リンカーンは生粋のアメリカ人であったが、このときだけは山内譲りの京都の魂を宿らせていたかもしれない。

カリンスキーはNOAから返事が来たことに驚いた。全くのノーリアクションであることも覚悟していた。返事の小包を開けたとき、怪訝な顔をした。そこに入っていたのは一本のVHSテープだった。それを再生したカリンスキーから表情が消えた。そのビデオは「ナイトトラップ」の残酷表現だけを切り抜いて編集されたテープだったのだ。

その特別編集されたテープが政府関係者にばら撒かれた……という噂が立った。あくまで噂である。ただ確実なのは、NOAとSOAは協調路線を取りようがない間柄だった、ということだ。


いよいよ公聴会が始まった。NOAからはリンカーンが。SOAからはビル・ホワイトという広報担当者が出席した(なお、ビル・ホワイトは五年間NOAに努めていたこともある)。
公聴会ではリーバーマン上院議員が本題に切り込んだ。

「私たちは暴力、拷問、政敵攻撃のイメージを想起するニュースを日増しに目にするようになっています。暴力と暴力的なイメージは私たちの生活の様々な側面にますます浸透しており、もはや何らかの制限を設ける時期に来ていると私は思います。そして、親たちが制限を設けて欲しいと考えている分野の一つが、ゲームにおける暴力なのです」

リーバーマンが公聴会を開こうとした背景には、彼の首席補佐官の進言があった。
かつてはゲーマーだった首席補佐官は、自らの9歳の子どもにジェネシスを買い与えていた。新作ゲームが欲しい、と言われて悪い気はしなかった。妻はかつてATARIのポンを見せてくれたことを思い出した。何が欲しいんだい? と訪ねると子どもは元気よく「モータルコンバット!」と応えた。そうか、じゃあ今度買ってくることにしよう。彼はそう答えてゲーム屋に向かった。
そうしてゲーム屋の試遊台で実際に「モータルコンバット」をプレイした彼は、あまりにもな内容に愕然とした。いや、確かにゲームの進化はわかっていた。いまさらポンやスペースインベーダーのような内容のゲームを欲しがっているとは思わなかった。しかし、これはいくらなんでも異常に思えた。しかも9歳のうちの子が、こともあろうにこんな暴力的なゲームを欲しがっているだと!?
彼は正義感を燃やし、ゲーム業界の調査を独自に行った。モータルコンバットだけじゃない! この業界には暴力的でおぞましいゲームが氾濫している! その調査結果を上司であるリーバーマンに進言した。

「上院議員、私は思うのですが……世間の親は子どもたちに自分が何を買い与えているのか、まるでわかっていないのではないですか?」

リーバーマンは自らの部下の進言に真摯に対応し、同時に暴力的ゲームの氾濫に心を痛めた。早速この事態の全容を把握するために動き出した。なぜなら私は、アメリカ合衆国上院議員だからだ! この業界の雄は任天堂とセガだ。両社に話を聞かねばならない。リーバーマンは上院議員魂を奮い立たせ、この問題に取り組んだ。
つてを使い、NOAには直接乗り込んだ。彼はそこでSNES版モータルコンバットもプレイしている。NOAがどれだけ厳密に自社と他社のゲームに対して規制を敷いているか、一度死にかけた市場を復活させたか、十分なレクチャーを受けた。リーバーマンの頭に浮かぶ標的から任天堂は消えた。残るもう一社をどうすればいいか考えなければならない。そのための公聴会だった。

いよいよ開かれた公聴会では複数の専門家が問題点を指摘した。とある者は「ゲームは能動的であるため子どもの感覚により悪影響を与える『可能性』があります」と述べ、別の専門家は「ゲームがあまりに暴力的であり、しかも女の子向けのゲームが圧倒的に不足している」と述べ、社会学者は「ゲーム業界は10年間に渡り、社会的観点からすると圧倒的に暴力的で性差別的で人種差別的な内容のゲームを開発してきました」と述べた。これらの主張は一部は正しく、大半は誤解と偏見に基づいていた。あまりに急速に発展しすぎていたゲーム業界は、その範囲外の人には理解しえない、わけのわからないもののようにしか見えていなかった。そのわけのわからないものに子どもたちが夢中になっている……恐怖としか思えない事態に、誤解と偏見は加速した。その結果がこの公聴会であるといえた。

NOAのリンカーンが発言を始める。彼が出す言葉は議員と専門家たちを納得させるに十分なものをもっていた。

「我々は良質のコンテンツを確保するためには、利益すら犠牲にします」

モータルコンバットのことだった。自社内に表現規制機構を有し、全てのゲームはそこに厳しいチェックを受ける。たとえジェネシス版のモータルコンバットに売上げが負けたとしても、そして全米各地のアダルト層から「規制しやがったな!」という苦情の手紙と電話が数千件単位で来たとしても、我々は揺らいではならない。暴力とポルノは、NESとSNESに相応しくないのだから。このときリンカーンは『ナイトトラップ』に言及することを忘れていなかった。そのゲームはセガが発売した、という事実も付け加えた。

SOA代表ビル・ホワイトは必死に弁護を行った。ジェネシスの購買層の平均年齢は19歳であること、自身も父親であること、そして転職前はNOAで働いていたこと……。様々な弁護を行ったが、公聴会に参加した人々からの冷たい視線から逃れることは出来なかった。かつての上司、リンカーンから背後を撃たれることもあった。

「今日のゲーム業界が大人を対象にしているだって? それは聞き捨てなりません。ホワイト氏もかつてはNOA社員でしたし、顧客の年齢層については、私と同程度熟知しているはずです」

こうした指摘は、悲しいことに事実であった。そもそもリーバーマンの部下の9歳の息子がジェネシス版モータルコンバットを欲しがっていることから、この公聴会が始まっているのだから。

そしてセガの最新CMが披露された。その内容が暴力と性的表現を強調したものであったため、専門家と議員たちを不快な気分にさせることには成功した。リーバーマン上院議員は「ライバル企業よりはるかにましだ」と任天堂のことを言ったのを聞いて、ホワイトはいよいよ後がなくなったと確信した。

切り札を出すときが来た。ホワイトは隠し持っていたバッグからとあるものを取り出した。それはSNESの拡張機器「スーパースコープ」だった。これを皆に見せながら「これは一体何だと思います?」と聞き返した。彼は続けた。「連射式機関銃です」
冷め切っていた場が揺らいだ。リンカーンは表向きは表情を変えていなかった。

「これはどこが作った機械でしたっけ?」

はたしてセガか、任天堂か。いや、これはその際関係ない。こういったものがレーティングなしで流通している。それでは業界が健全であるとはいえない。我々は協調路線を取るべきだし、取る準備もしている……。熱を帯びたホワイトの演説は最後の最後、NOAに一発カウンターを食らわせることに成功した。
こうして公聴会は終わった。結論は追って知らされる手はずになった。


公聴会から帰ってきたホワイトはSOAに拍手喝采で出迎えられた。委員会とリーバーマン上院議員が出した結論は「直接規制を行う前に、自主規制団体を作る機会を与えよう」というものだった。SOAにとっては命拾いした結果だった。

NOAにとっては及第点は超えたものの、満足いく結果ではなかった。上手くいけばSOAの奴らを一網打尽にすることができたのに。不満の種は尽きなかった。NOAは落第生ではなかったので、「なんとか赤点は免れたな、よしよし」という思考回路とは無縁であった。何故100点を取ることが出来なかったのか、反省する要素はいくつもあった。

そして何よりこれからSOAの奴らと顔を合わせて会議をしなければならなかった。連邦議会が出したお達しはあくまで「業界が自主規制団体を作るように」というものだ。それにNOAが絡まないわけにはいかなかった。リンカーンとメーンらは、カリンスキーらと対談する羽目になった。

会談の議事録の最初の数時間分は罵倒と怒号が記録されただけに終わった。

「全ておまえたちのせいだ!」
「なにをいうか! そっちこそ、こっちの言うことを聞いてさえいれば!」
「セガのレーティングを採用すればすべて解決するんだ!」
「うちは最初からすべてのチェックを完璧に行ってる!」 

ずば抜けて頭の良い人らが持つ語彙の全てを活用して相手を罵倒し、そして辞書にある罵倒語をすべて使い果たしたあと、ようやく水掛け論から脱しようとしはじめた。
彼らは宿敵同士であったが、それでも分別のある大人でもあった。

「我々の会社がお互いのスタンスに違いがあるのは確かです。しかしこの部屋に一緒にいる間は、過去のわだかまりはとりあえず脇においておくべきかと思うのです」

カリンスキーの言葉に、あろうことかリンカーンが同調した。

「同意する。この状況には不満しかないが、『もう一つの事態』に比べればはるかにマシであることはいうまでもない」

もう一つの事態、とは連邦議会がゲーム業界に首を突っ込んであれやこれやと法規制してしまうことだ。これが起きてしまえばNOAもSOAも、両手と両足を縛られたまま泳げと言われるような事態に陥ることだろう。それだけは避けなければならない。この共通認識によって、互いの打算が嫌悪のハードルを越えた。イヤイヤながらも握手をすることになったのである。

NOAとSOAと、その他大手ゲームソフトメーカーは共同の団体をつくることになった。IDSA(Interactive Digital Software Association)と呼ばれるその団体はレーティング機構ESRB(ntertainment Software Rating Board)の支援も行う。日本でも有名なE3の主催はIDSAである(IDSAは後年ESAと名称を変える)。この団体の設立にNOAとSOAは互いに3000万ドルずつ出し合った。可及的速やかになされた一連の動きはリーバーマン上院議員を大変満足させ、「ゲーム業界に自主規制の裁量を与えて問題ない」というお墨付きを与えた。いざこざはあったものの、なんとか業界の一大事を無事にやり過ごすことができたのである。


しかしNOAの状況は変わらなかった。シェアは1993年時点で37%に低下していた。1994年3月発売ソフトの売上げトップ10のうち、8本はジェネシス向けだった。
この状況には、さすがに山内が動いた。NOAにてこ入れを図ったのだ。今まで副社長だったリンカーンが会長に任命された。名実ともに経営に関わることが確定したわけだが、実際として今までがっつりとリンカーンはNOAの経営に関わってきたのだから、名が実にようやく追いついた形になる。荒川實は義父から発破をかけられた。「もし次、失敗したら、どうなるかわかってるだろうな?」と無言でいわれたようなものだった。NOAは変革を余儀なくされた。

1994年は荒川實勝負の年だった。そして再び奇跡が舞い降りる。かつて荒川のピンチを救ったあのソフトが10年の時を超え、再び蘇ろうとしていた。


ここで少し、当時の日米のトレンドの違いと、ゲーム機の性能に触れたいと思う。
日本の子どもたちのベストセラーにはRPGが多かった。アメリカはどちらかというとアクションゲームやスポーツゲームの比重が高かった。日本のRPGはローカライズしてアメリカに輸出されていたが、ミリオンセラーに至るヒット、とまでは行かなかった。ローカライズした際の文章のリズムやセンスが、アメリカの子どもたちに受け入れやすいとはいえなかった……なんて事情があるかもしれない。
そしてこれはSNESとジェネシスの性能差にも繋がっていく。非常に乱暴に言うとSNESはCPUが劣り、ジェネシスは回転縮小機能を有しないなどビデオ機能で劣っていた。ソニック・ザ・ヘッジホッグのような高速スクロールはジェネシス特有のものであり、多種多様な演出を凝らすRPGはSNESのほうが優位だった。おそらくはこういった差異が日本、アメリカでのシェアに繋がっていた。RPGが好まれる日本ではスーパーファミコンが伸び、アクションゲームが好まれるアメリカではジェネシスの方が売れる傾向があった。(もちろんNOAやSOAがやってきたマーケティングの差や、サードパーティーの差異もあるだろうが)

NOAはマリオを有していた。スーパーマリオワールドは本体に同梱され1000万本以上が出荷された。NES時代のマリオの詰め合わせ、スーパーマリオオールスターズ(日本ではスーパーマリオコレクション)も数百万本出荷された。スターフォックスやスーパーメトロイド、ゼルダの伝説 A Link to the Past(神々のトライフォース)も人気だった。人気ではあったが、それはマリオ以外は明らかにソニックと比べて見劣りしていた。

しかし任天堂はもう一つ、重要なアクションゲームのIPを有していた。マリオよりも古く、かつてNOAを救ったあのゲーム。「ドンキーコング」が復活した。ドンキーコングカントリー(日本ではスーパードンキーコング)が1994年末に発売される。これは当時の16bit機に発売されていた全てのゲームを凌駕するグラフィックを持っていた。荒川は最初に見たとき、てっきり次世代機「Ultra64」のデモゲームかと思ったほどである。予感が走った。このゲームに全てを賭けるべきだ。このゲームはアメリカをひっくり返してみせるぞ、と。

本来、NOAの一度のゲーム出荷本数は上限100万本と決めていた。それ以上出荷しても在庫管理が大変だし、もしかしたら一部店舗で在庫の山を作ってしまうかもしれない。そうしてしまえば起きるのは価格下落だ。NOAは出荷本数を厳しく制限していた。しかし荒川はドンキーコングにだけはこの制限をかけなかった。しかもその上限を大きく突破した。発売日に400万本出荷することを決めたのだ。

そして自信満々に1994年の夏、CESにて発表を行った。それはNOAの首脳部自ら演じた寸劇だった。探検家に扮するとある二人がジャングルの山奥に挑み、そこに住んでいるメーンらNOAの幹部たちに会う。途中、メーンは散弾銃をぶっ放し、ソニックらしき青いハリネズミを血まみれにさせた。(つまり長らくの時を超えてようやくNOAはソニックを対等のライバルだと認めたことになる!)
ここに住んでいる目的を聞かれると、メーンは応える。

「400kgもある巨大なゴリラを捕まえてゲームキャラに仕立て上げろっていうんだよ!」

会場は大受けだった。寸劇の中でNOAの歴史をたどり、現状を素直に評した。NOAはSOAにしてやられてる。かつての「強い任天堂」は姿を消してしまったかのようだ。

………かつて我が社は10年前、ドンキーコングで全米を震撼させた。あの大ヒットを再現してくれそうな怪物をついにジャングルで見つけてきたぞ。そして登場するのは「ドンキーコングカントリー」のCMだった。この一連の流れは小売のバイヤーたちに「強い任天堂」が戻ってきたことを予感させた。今までの任天堂は巨体だが、動きがのろい像のようだった。それがどうだ。いまやセガの首を狙わんとする不屈のライオンだ。CESの会場内では拍手が割れんばかりに響き続けた。

二日後、Kマートの上級バイヤーがメーンの元へとやってきた。普段は難しい顔をして決して満足しないことで有名な人物であったが、そのときはやけに愛想が良かった。
「あのドンキーコングは本当に素晴らしい」
世辞など言わぬ人物であることはメーンがよくわかっていた。本当にドンキーコングカントリーは素晴らしいのだ。

「我が社としてもあのような商材を見逃すわけにはいきません。正式にKマートは、ドンキーコングカントリーを百万本発注致しますよ」

この瞬間、ドンキーコングカントリーは年間チャートベスト10入りを果たした。メーンは聞き返さず、ただ頷いた。あのソフトにそれだけの力はある。もっともっと売ってやる。

NOAの姿は変わった。
そうだ。我々はいつも厳しい境遇で戦い、市場を切り開いていたではないか。ATARIの後始末をNESで行い、不利な裁判を乗り越えて、今の地位を確保した。決して安穏な王者でいていいわけがない。我々のスタンスは挑戦者だ。ただセガを蹴落とせばいいだけではない。消費者に、市場に立ち向かって切り開くのが本当のNOAの姿なのだ。

山内溥がインタビューで語った内容にこのような言葉がある。

「任天堂の強さは、任天堂が世界最強のソフトメーカーだからなんですよ」

セガは、SOAは、この言葉の意味をこれから思い知ることになる。



1994年末、ドンキーコングカントリーは飛ぶように売れた。初回出荷の400万本はあっという間に溶けた。それに付随してSNESも売れた。ドンキーコングカントリーは累計で800万本売れた。
カリンスキーは誤算をしていた。先手を打つ作戦は間違ってはいなかった。しかし1991年にジェネシスを買った家庭が1994年にもSNESを買わないままでいる、というわけではなかったのだ。さらなる値下げと激しいCM攻勢。今までのNOAと打って変わって攻めに出たそれに、ユーザーのイメージは少しずつ変わっていった。
SOAにも誤算があった。人気作であるソニック3を諸事情により分作にしたのである。前半であるソニック3は1994年の2月に、そして年末商戦にその後半であるソニック&ナックルズを投入する。この策は消費者に歓迎されなかった。ソニック3は100万本売り上げたが、「あの」ソニックとしては驚異的な売上げ、とまではいかなかった(むしろ後半であるソニック&ナックルズが同程度売れたことが奇跡的だった)。
さらにカリンスキーと、日本のセガ本社と行き違いが出始めた。カリンスキーはジェネシスの延命を訴えたが、日本のセガはメガドライブに行き詰まりを覚えており、一刻もはやく次世代機セガサターンに移行したがっていた。メガドライブはジェネシスほど売れていなかったからである。

カリンスキーは折衷案として、セガサターンのCPUを搭載したジェネシス用拡張機器、「ジェネシス32X」(日本名はスーパー32X)を推し進める。すでにジェネシスを持っている家庭は高いサターンを買わずに次世代機に近い性能を持つことが出来る。ジェネシスは120ドルでソフトが一本ついてくるが、サターンは399ドルだった。そこに159ドルのこれをつければちょうど良いコストでちょうど良い性能が付与できる。この頃は他社も32bit次世代機を繰り出そうとしていた。対NOAだけではなく、他のライバル、3DO、ATARI Jaguarにも気を遣わなければならなかった。

しかしこうした目論みは灰燼と帰した。ドンキーコングカントリーは従来のSNESでありながら、次世代機さながらの動きと高画質を実現してみせたのである。その上ゲーム自体も申し分ないほど面白い。プレイヤーは皆こう思った。「次世代機なんていらないじゃないか!」と。しかもSOAは以前メガCDを推し進めていたこともある。ユーザーからしたら「また買わなきゃいけないのか!?」という気にもなる。皆はセガを愛していたが、セガはそこまで自分を愛していないのではないか、と思うようになった。
しかしそれでもセガを愛し続けた者は多かった。ジェネシス32Xは100万台の予約を受け付けることができたのだ。これは立派な数字といえた。問題と言えば、セガがサターンの生産を優先して(なにせCPUが同じなのだから)ジェネシス32Xを40万台しか出荷することができなかったことだろう。SOAにはハード生産数の決定権がなかったのだ。カリンスキーは本社の決定を恨みながら、小売関係者に必死に頭を下げた。

SOAとセガが同士討ち(そうとしか表現できなかった)をしている横でNOAは追撃をかけた。翌年、「スーパーマリオワールド 2 ヨッシーアイランド」が登場した。「あの」宮本茂最新作である。独特の雰囲気は人気を呼び、400万本売れた。同時期に「キラーインスティンクト」という格闘ゲームが登場した。これはモータルコンバットとまではいかないが流血表現があるものだった。これをなんとNOA自身が発売するのだった。あのNOAが! 子どもだけをターゲットにし、良い子と良い大人のための遊具を提供し続けていたNOAが、自ら陰惨な格闘ゲームを提供するというのだ。

NOAはまさしくキラーインスティンクト(闘争本能)の名の通り、今までのイメージを払拭して獰猛にシェアを奪いに来た。日本でイマイチ知名度が低いこのゲームは、アメリカでは大人気となり、100万本以上売れた。1995年末のクリスマス商戦にはドンキーコングカントリー2がトドメとばかり突っ込まれた。SNESの売上げがついにジェネシスを上回った。そしてジェネシスは次第に市場で過剰供給に陥る。売上げの鈍り方がSOAと小売店の予想を上回っていたのだ。その反面、SNESは大方の予想を裏切りロングテールで売れ続けた。

ジェネシスのアメリカでの最終累計販売台数は2000万台とされている。しかし後日のインタビューで過剰供給に陥り不良在庫化したジェネシスが大量に戻ってきてしまった旨が語られている。
SNESのアメリカでの最終累計台数は2300万台。
NOAと荒川は最後の最後で逆転し、SOA相手に16bit機競争で勝利を得た。
荒川は義父相手に面目を保った。山内はハードの値下げ競争にうんざりしたものの、てこ入れの結果には満足していた。荒川は対外的にも社内的にも『次期任天堂社長にもっとも近い男』となった。


しかしこのとき、荒川も、山内も、リンカーンも思いも寄らなかった。
セガが前座でしかなかったということを。


この後、彼らは知る。本当のライバルがやってくることを。


しかも荒川はそのライバルの誕生に一役買っていたのだった。


豊潤なアメリカのゲーム市場を狙い、すべてを飲み込まんとする最強のライバルであり、最恐の怪物。



その名は



プレイステーション


-続く-

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