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俺物語 #2

これまでのお話。

体が丈夫で負けず嫌いでかかとを潰したことがなくて、人見知りできゅうりが嫌いな私は小学校に入学してサッカーを始めたのであった。


長所4 まじめ

どのくらい真面目かというと、自習中にうるさいクラスメイトに注意するくらい。怒って教室を出て行った先生のところへ、真っ先に謝りに行くくらい真面目だった。(私が教員になったら絶対にやらないと心に決めている。茶番だから)宿題も忘れないでやってくるし、授業中は手をあげて発言もするし、学級委員長もやっていた気がする。

真面目 誠実 責任感

真面目に過ごしてあっという間に6年生になる。

6年生といえばこの話。

短所3 ここ1番に弱い

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私はPKが苦手だ。12ヤード(11mくらい)離れた7.23×2.44の大きなゴールに蹴り込むだけなのに。

小学校の最後の大会。1番目のキッカーとしてボールをセット。真ん中ちょい右寄りの5甘コースに蹴り、キーパーに当てる。チームは敗れた。

中学校最後の大会。1番目のキッカーとしてボールをセット。真ん中ちょい右寄りの5甘コースに蹴り、キーパーに当てる。チームは敗れた。

最悪のデジャヴだ。そういう星の元に生まれたんだなと思った。

高校に入っても似たようなものだ。紅白戦でいいプレーをしてトップチームでたまにスタートで出ても思うようにプレーができず、前半でお役御免。

大一番、ここぞという時に力が発揮できない。私の弱さだ。

これだけ失敗し、苦渋をなめて得たものは準備が全てという教訓だ。

練習して練習して練習して。「自分ならできる」という確固たる自信を持っていれば大一番でも緊張しないだろう。これぐらいでいいか(最小限)ではなく、これ以上ない(最大限)準備をすることを学んだ。

次に私が挑む大一番は教員採用試験。どうなるかはお楽しみ。



中学校時代に話を進める。中学校生活はなかなか楽しかった。

長所5 生徒会長

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こう見えて中学校時代、生徒会長だった。先生に勧められて生徒会副会長になり、流れで会長になった。何を学んだの?と聞かれれば特に何もしていないので返答に困る。少し長い文章を原稿を見ないで話せるようになったくらいだろうか。

昔はそう思っていたが、今となってはかけがえのない経験だったと思える。

①人前で話す経験

腐っても会長なので、何かイベントがあるたびに挨拶や感謝の言葉など人前に出る機会が多かった。私の心臓はこれで鍛えられたと思う。ノミの心臓から人間の心臓になれたと思う。初めての選挙演説でステージに上がった時には足が震えていた。小学校の卒業式。名前を呼ばれ、盛大に裏返った声で返事をした男だ。緊張するのも仕方がない。しかし、生徒会での活動を通してだいぶ人前に立つことに慣れた。教員を目指している今では絶対に必要な力だ。あのとき生徒会を勧めてくれた先生には感謝している。

②グループで協力する経験

協力して仕事に取り組む経験や、達成感を味わうことができた。特に文化祭の取り組みは楽しかった。企画、提案して、準備、そして運営。ああでもない、こうでもないと話し合い、時には遅くまで残って準備をした。苦労した分、喜びは大きかった。楽しそうにする友人たちを見た時の達成感で思わず口角が上がる。同じ「グループで協力」といってもサッカーとはまた違う達成感を感じた。頑張った結果が自分に還元されるか周囲に還元されるかの違いだろうか?誰かのために頑張ることが自分に合っていると気がついたエピソードの1つだ。

生徒会を代表してリーダー研修に行ったのも成長のきっかけになった。キャンプをして、最後には創作ダンスと歌の発表という思春期の男子には耐えがたいプログラムを行った。しかし、思いの外楽しんでいる自分がいた。協力する楽しさ、人と出会う事の楽しさを感じ、人前で踊る勇気を得て、羞恥心を森の中に捨ててくることができた。そのおかげで文化祭でも「黄金のウニ」などという意味の分からない役を演じることができたと思う。

協調性、リーダーシップ、責任感、黄金のウニ


中学校時代で外せないエピソードがある。

考え方が720°くらい変わった出来事だ。

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中学2年生の時の話だ。先輩たちが引退して、私は新チームのキャプテンになった。小学校の頃からキャプテンを務めていたので自然な流れだった。小学校から一緒にやっているメンバーも多く、個々の技術も高い。十分、県大会を狙える力を持ったチームだったが、結果は市で2回戦負け。負けた理由は明確だった。「まとまり」のなさだ。思えば大会前からひどいものだった。練習も適当で試合になれば勝手なプレーばかり。


「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

野村克也さんの座右の銘だ。江戸時代の剣術の達人、松浦静山の剣術書に記されている言葉の意味を身をもって知った。


「このままではいけない。チームをまとめなければ!」と内川キャプテンは心機一転。リーダーシップを発揮しようと立ち上がった。盛大な空回りの始まりだ。

まず練習の意識を変えよう。ミスに厳しく、プレーももっと要求しよう。試合も自分がコントロールしよう。勝手なプレーは許さない。こんな感じで厳しさのあるまとまったチームにしようと奮闘していた。


結果、誰もついてきてはくれなかった。試合中に「お前とボランチやりたくねぇ。」と言われた。チーム内に私に反発する派閥までできた。

新人戦前よりひどい状況を作ってしまった。これまでの経緯とともに父に相談した。すると、

「お前みたいなやつをキャプテンとは言わない」と一喝。

キャプテンは偉そうに指示したり、怒鳴り散らす人のことじゃない。プレーで引っ張るのはもちろん人間性でチームをまとめろ。真似されるような姿を示せ。苦しい時にチームを鼓舞しろ。仲間を認めて、褒めろ。こんな感じのことを言われた。

やっと自分の過ちに気づく。自分の中のリーダーシップが変わった瞬間だった。

そこからは変わろうと努力した。誰よりも最初にグラウンドに出て準備をした。誰よりも最後まで練習をして片付けもやった。声も誰よりも出した。負けている時こそ励ました。ネガティブな声掛けもやめた。プレーで、姿勢で、会話で、チームをまとめようとした。

それから少しずつチームになっていき、中総体では県でベスト16だった。市で2回戦負けから考えれば大きな成長だ。PKを外したこと以外は後悔していない。

この出来事は私を人間的に成長させてくれたし、リーダーシップとはなんぞやということを教えてくれた。辛かったが失敗して良かったと思っている。

ここまで振り返ってきたが、中学校時代は人間性の部分でも成長できたし、今の私に大きな影響を与えてくれた時期だと思う。変われる、成長できるきっかけがたくさんある。だから私は中学校の先生になりたい。


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