小説は速読しないほうがいい
小説を速読するのは景色を見ない人生
「今月は50冊読めた」
「去年は300冊読んだ」
など、読書自慢をする人が後を絶たない。
これに私は反対している。
真っ向から、ケンカを売るようなことはしない。
しかし、本を読むことは、勝負ではない。それこそ、ケンカでもない。
誰かと争うものでもなければ、自慢するものでもない。
もちろん、自然に300冊読める人もいるだろうし、読書や本のこと、専門的な発信をしている方が、「○○冊読んでいる」と言うのはわかる。しかしそれを、自慢げに人前で語るのは違和感を覚える。
自己紹介をするとき私も、「年間100冊の読書をする人」と自分のことを紹介する。できれば言いたくないが、読書のことを発信する資格のある人になるために言っている。本を読んでいない人は、読書を語る資格なんてないと思われるからだ。
年間100冊と言っているのには理由がある。
現実的な数字の中で、最大数が100冊だと思っているからだ。
厳密に数えたことはないが、単純に考えると、100冊と言えば3日に1冊となる。これが限界ではないだろうか。私は恐らく、100冊も読んでいない。
年間300冊も読むというのは、1日1冊だ。
「仕事していないの?」というのが、私の率直な感想だった。
本を隅から隅まで、全部を読んでいるわけではないのかもしれないが、「速読法を実践している」ということを言う人がいる。
『速読法』とは一体何だろうか。
いろいろな速読を語る本を読んでみると、こう書かれている。
「ページを開いたとき、文章を最初から目で追うのではなく、ページ全体をながめて、写真を撮るように、そこにある文字の羅列を、映像を写し込むように目に焼き付ける。すると自然に、意識レベルでは読んでいなくても、無意識レベルでは情報を取り込んでいるため、本を閉じても内容を理解できる」
本当にこんなことが、可能なのだろうかと、考えてみた。
「無意識で取り込む」ということだが、無意識というのは、自分でコントロールできない。コントロールできていない部分に取り込んだ情報を、意識的に取り出すことは不可能なように思う。
印象に残った言葉があるのは、自分になじみのある言葉や、自分が普段から関心を持った言葉、トラウマ、思い出と直結する言葉である。
それは、もともと自分が知っている情報であって、新しい情報ではない。つまり、何度読んでも同じ情報しか残らないのではないだろうか。
それは、本を読んでいるのではなく、文字を眺めているに過ぎない。
では、本を読むとはどういうことだろうか。
私の好きな小説で考えてみよう。
小説は、速読することが不可能だ。
私の知る限り、小説を速読している人はいない。
その理由として、小説は、「無駄な言葉で成立している」ということに尽きるからだと思う。
例えば、推理小説がわかりやすい。
ある推理小説を読んだ後に「殺人事件が起きて、刑事が苦労しながら犯人を追い詰めて、犯人は最後捕まった」という感想だったらどうだろうか。
「いやいや、その背景の描写や、登場人物の魅力を知りたい」
と思うはずだ。これが小説の魅力なのだ。
背景や、登場人物の細かな描写から、“書かれていない情報”を読み取り、自分なりの解釈を交えて、物語全体がつくり出している世界観に没頭することが、小説の愉しみ方である。
つまり、「無駄に思えるほど細かな描写を、どれだけ読み取れるか」が小説を読むうえでは、重要な要素となる。
この部分の解釈は、実は人それぞれ違うものから、「自分の思っていた作品と違う」といって、ドラマ化、映画化された際などに、いざこざが発生する。
当然である。人によって読み方は違うものだからだ。
だからこそ、原作を読むべきだという人がいる。
原作者が意図した読み方ができているかも知れないし、原作者の意図した読み方ができている人など、一人もいないかもしれない。
そんな中で、原作者にファンレターが送られてきて、書かれている感想に、自分が描きたかったことが伝わっていることが書かれていると安堵する。
書き手と読み手がそれぞれの世界観をつくって、その違いを愉しむものとも言える。
そこで思わず、書き手が意図した読み方が正解だと思ってしまう人が出てくるが、それも違う。
読書はもっと自由なものだ。
書き手がどのような意図であれ、読み手が読んだ読み方が、その人の中で作られた物語であり、それで読み手の人生が変化したら、これ以上ない読み方になる。
人生に正解、不正解が無いように、本の読み方にも正解、不正解など存在しない。
人生をより、効率的に生きようとする人いる。
私はこれにも反対だ。
コスパやタイパを人生に持ち込んでは、道端の花の美しさを見失う。
まさに、人生を速読しているようなものだ。
効率的に答えを求めることが、良いことではない。
「去年300冊読んだ」と、自慢をすることや、誰かとケンカや争うことが人生ではない。
速読することで、人生の大切なものを、見過ごしてしまってはもったいないと思うのは、私だけだろうか。
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