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三宅香帆さんにお会いして

書くことと読むこと

「日記をつけています」
書評家で文芸評論家の三宅香帆さんは、誰にも見せない日記を書いている。
そんな日記は「見返すところに醍醐味がある」とも言われている。

彼女の行動力の逸話は、天狼院書店では伝説となっている。
三宅さんが所属していた当時、京都には天狼院書店がなかった。
そこで、彼女は天狼院書店を、京都に作ってしまったのだ。
とは言っても、実際に建築することは莫大な資金と共に、若かれし三宅さんには不可能であったため、作ったのは“妄想”だったのだ。
『妄想京都天狼院』である。
妄想であるため、「作りました〜」と言ってしまえば完成である。
柔軟な発想と、行動力が彼女の魅力なのだ。
彼女の書いたネット記事がバズり、世に出回っていくのも、時間を要しなかった。あっという間にここまで来た、と言うのが世の中の感想だろうと思う。

そんな三宅香帆さんに昨日、京都で開かれたイベントでお会いした。
哲学者の朱喜哲(チュ•ヒチョル)さんと、米英文学研究者の若島正さんとの三者対談であったのだが、私の目的はもっぱら三宅香帆さんである。
『バズる文章教室』を初めて手にしたのは去年だったと記憶しているが、この本が面白くて勉強になる。気兼ねすることなく読めるライトな印象であるため、何度も何度も再読していた。
天狼院書店でライティングを習い始めたのは、今年に入ってからである。
2月から受講していたのだが、三宅香帆という名前と、天狼院書店と、『バズる文章教室』が繋がるのには、4月までかかってしまった。
そこからは怒涛の如く、三宅さんの著書に惹かれている。
何を読んでも面白いのである。
「面白い」などという平坦な言葉では言い尽くせないが、事細かく説明を重ねるだけで、おそらく5万字は書かなくてはいけないため、この記事では割愛する。別の記事として、今度、思い切り遠慮なく書きたいと思う。いや、書きたい。

話は逸れたが、三宅香帆さんの書籍に惹かれた私は、読み漁るうちに三宅さんのインスタやツイッターをフォローして、ポッドキャストの番組も聞くようになった。
まさに三宅香帆づくしな毎日を送っているのだ。
彼女とは共通点が多くあるところが、共感ポイントの多い理由だと思われるのだが、何よりも大きいのは「本の中でも小説を読む時が一番ワクワクする」という点だろう。
「小説を味わいながら読む」というお話も、今回の対談イベントでも話されていた。
小説というものは、読者によって感想の変わるものであり、自身の人生や経験と結びつけることによって、自分自身から湧き出た感想というものが生まれる。
まさに、普段から私も実践しているところであり、何よりも好きでたまらないから、辞めることもできないことである。
こうして、三宅さんがお話しされた内容をもとに書いていることも、普段から三宅さんがおっしゃられておられるように、「仕事だから読むわけではなく、普段から日常として読んでいる」ことも、私にとっては好きな事であるため辞めることはできない。
誰一人として読まなくてもいい。そんな思いで書いているからこそ、書く手が止まらなくなるのである。

昨日の話に戻すが、三宅さんは「頭が暇になることが耐えられない」と言われていた。日常的に読書をして、常に自分自身に問いただしていく。頭の中では、いつも何かを思考し続けており、問いただしては結論らしきものを見つける作業を繰り返す。
こうした思考パターンとでもいうのだろうか、考える癖とでもいうのだろうか、そんな“何か”がよく似ているのである。
しかしこれに関しては、読書をする多くの人間に共通出来事だと思っている。
読書を日常的にしている人間には、頭の中にあるモヤモヤしたものを考え続けたいという欲求があるのかもしれない。

三宅さんのお話の中に、ご自身を「活字中毒気味」と比喩されていたが、これに関しても自分自身も身に染みて実感したことであった。実感というのは、自分では活字中毒であるとは思わないものなのである。
私も先日、何気なく話した「文字のシャワーを浴びていると心地の良い気持ちになる」という内容を聞いた友人が、私のことを「活字中毒者」と揶揄したことで「自分もそうなのか」と自覚したのだ。
アウトプットすることで、文字を言葉にして文章を組み立ていく様も好きであるうえ、文章を言葉に分類して、文字として浴びることも好きなのである。

しかし「私が言いたいことを代弁してくれた」というのは危険である。
三宅香帆さんも著書でおっしゃっておられるが、「自分の言葉で表現する」ということが重要なのである。
そのために三宅さんは日記をつけているのだそうだ。
誰にも見せない、自分だけの日記。
「ナラティブで取り出してから、組み立てているから書けるんですね」と、朱さんは三宅さんの「鬼神の如く書いている」ことを説明していた。
ナラティブに特化した書き物に、日記は最良なのである。
三宅さんは、そんなナラティブに書いたものを、見返すことが楽しいのだという。ナラティブだからこそ、楽しいのだろう。「日記を書いて勢いをつけてから書く、ということもしています」という意図もよくわかる。
私も日記をつけているが、もう一度見直してみたい。
書くことと読むことは、似て非なるものではあるが、私にとっては書くことによって読みたくなるし、読むことによって描きたくなるものであるのだ。

書きたいという気持ちを盛り上げてくれるイベントだった。
京都まで、行って正解だった。

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