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舞姫は実話だった!

ドイツ留学中の恋愛

森林太郎トシテ死セント欲ス

『余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス』

森鷗外の遺書には、このような有名な文言が書かれていた。
ここで言う石見人(いわみじん)というのは、石見国津和野(現・島根県鹿足郡津和野町)のことだ。
津和野はすぐ隣が長州(現・山口県)という位置にある。
時は明治、政府の高官は薩長閥で占められていた。

森鷗外こと森林太郎の神童ぶりを見て両親は、森家の家名を上げ、林太郎を立身出世させることこそ悲願し、代々藩医を務めていた森家は津和野を捨てて一家で上京する。
森家は林太郎に全てを賭けることになる。
そしてわずか10歳で上京した林太郎は、森家のその期待に応える。

・年齢を2歳(上に)サバを読んで現在の東大医学部に進学
・19歳という若さで東大を卒業後、軍医となりドイツに留学
・細菌学の権威コッホに師事する一方、近代西欧の思想や文学も吸収して帰国
・陸軍軍医総監まで昇進

最期の言葉

結核で亡くなる1ヶ月前まで、きちんと公務をこなしたのは、真面目で几帳面な鷗外の性格であろう。
十分な立身出世を果たしたように見えるが最期の言葉は「馬鹿らしい!馬鹿らしい!」だったという。

ペンネームの森鷗外ではなく、本名の「森林太郎として死にたい」と願った通り、墓には『森林太郎の墓』とみ刻された。
肩書きや経歴など、そういったものも全て書かないでほしいと森鷗外は望んだ。
人間、森林太郎として死にたいと言う、その望みから読み取れるのは、人間は肩書きではなく、『一人の人間として最後は一個人として生き抜いた』と言う証が欲しいものなのかも知れない。
順風満帆の入りと読むように見える鴎外も、心の中には鬱屈したものを抱えていたのだろう。

ドイツ人エリスとドイツ人エリーゼ

26歳でドイツから帰国した鴎外は、自身の留学体験に材をとった雅文体(ガブンタイ)[※江戸時代に書かれた平安時代の仮名文を模した文体のこと]の恋愛小説 『舞姫』を発表した。
舞姫では、主人公は留学先でドイツ人女性エリスと恋に落ちるも、彼女とお腹の子をして帰国してしまう。
鷗外自身も留学中に、エリーゼという名のドイツ人女性と恋に落ちた。
エリーゼは、帰国した鷗外を追って単身来日した。しかし鷗外の出世を考えた鷗外の親族等が彼女を説得し、ドイツへと帰らせている。
当時は外国人との結婚というものに高い障壁があることも大きな原因だったのかも知れない。

しかし二十歳そこそこの女性が単身ドイツから日本まで恋人を追ってやってきた気持ちを思うと、何やら切ないものがあるが、当時の鷗外の置かれていた立場を考えれば仕方のないことなのかもしれない。ただせめて、二人を一目でも合わせてやりたかったと思うのはおせっかいだろうか。

【タイトルの素晴らしさ】

この『舞姫』というタイトル。
素晴らしいではないだろうか。
踊り子ではなく舞姫。
森鴎外の言葉に対するセンスの良さ、エリーゼに対する想いの深さというものが、このタイトルに現れていると思う。
舞う姫と書いて舞姫。
本当に森鴎外にとって、エリーゼは舞姫だったのだろうと思う。
こんなに美しい人を、きっと見たことがなかったのだと思う。
だからこんなにも美しいタイトルを、この小説に付けることができたのだろう。
舞姫が、今でも有名な森鴎外の代表作となっているのは、紛れもなくエリーゼが、極めて美しく、極めて儚い人であったことによるものであり、森鴎外だけではなく、私たちもエリーゼという人が存在していたことを、感謝しなければならない。

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