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心の中の存在と現実の存在

自分の中に母親を持っているということ

私の母は、五歳の時に家を出た。
生き別れたのである。

「三つ子の魂百まで」とは、誰が言った言葉なのだろうか。
三つまでに形成された性格や人格というものは、その後変わることはないという。
そんなことは、嘘だと思う。

高校生の時にアルバイトをしていたのだが、その飲食店のチーフは、私たちに向かって、こう言った。
「十六歳か、まだ性格ができていないな」
“まだできていない”と言ったのだ。

私は、結局、人というのは、あらゆる人格が重なり合ってできていると感じている。
様々な性格や、人格の人間が、自分の中には存在している。この考え方は、作家の平野啓一郎さんが説いておられる『分人主義』とほとんど同じである。
『分人主義』に関して詳しくは、平野啓一郎さんの著作を読んでいただきたい。

簡単にご紹介しよう。この著作の中でも言われているが、多くの人格を持つことが悪いことだとは思わない。
しかも私などは、母と過ごした五年間の人生と、母を失ってからの人生では全くの別物と言ってもいい。
別の人間の人生を歩むことになったような感覚なのである。

自分では覚えていないが、五歳までの私は、歌って歩くような陽気な子供だったらしい。
しかし、そのことを不思議に思うほど、私の性格は決して社交的ではない人生を送っていた。
中学生の頃の記憶はない。生きていたはずではあるものの、その頃の記憶は失っているのだ。
「三つ子の魂百まで」という言葉を聞くと、私はモヤモヤとしてしまう。
三つまでの自分のまま、自分が成長していたら、どんな人間になったのだろう。
そんなことを思い浮かべたりする。

ただ一つ言えることは、私の心には、常に母がいた。
私の知っている母親像である。現実とは到底かけ離れたものだった。
私が知っている母親というのは、“私の母としての顔を持つ母”である。
それ以外の何者でもない。
しかし、その顔しか、私は母を知らない。

そのため、私は、私の知っている母を、自分の中に持っていたのだ。
その母がいなければ、今の自分はなかった。

ここまで読んでいただくとわかるように、私は母と再会している。
29歳の時だ。再会したのは。
それからというもの、母とは定期的に会って話をする。
しかし、その度に、“私の中の母”とは違うというギャップに苦しんでいる。

母にとって、私とは何だったのか、という話をよくしている。
母は、今でもずっと、「あなたのことを愛していた」ということを言葉にして言ってくれる。
それでも、私の中の“失われた母”は無くならない。
母を思い出すたびに、“自分の中で作り上げた母”が出てくるのだ。
そこには、今現在、定期的に会っている母は、存在しない。
どこかで、一線を引いているのだ。

こうした思いは、ずっと、なくなることは無いのかもしれない。
しかしながら、多くの人にとっても、こうしたことはあるのでは無いだろうか。
もう、他界してしまった両親をはじめ、生きていてもずっと疎遠になっている田舎の両親、絶縁状態になっている両親、喧嘩別れしたままになっている両親。
こうしたことで、ずっと会っていないと、私たちは心の中に両親を持つ。
そして、そこに現れる両親というのは、“理想像”のはずだ。
どうしたって、嫌な両親の姿を心に宿したりはしない。

このような現象が起きてくると、自分の中では“両親と仲良くしている自分”が存在し始める。
すると、心の中に平穏が訪れる。
波風が立たなくなる。
現実には、両親とは連絡をとっていないはずなのに、まるでいつも会っているように感じて生きている。
麻痺しているのだ。
感覚の麻痺によって、私たちは両親に連絡したり、お墓参りに行くことを忘れてしまう。
現実に会うことがなくても、気にならなくなっていくのだ。

このような状態を、母が出ていった日から今までの時間、ずっと私は維持してきた。
だから生きてこれたのである。
心の母は、常に私の味方であった。助言こそしてくれなかったが、常に笑っていてくれるだけでよかったのだ。
母には、いつも笑っていてほしい。
そんな思いが、子どもの心にはある。

私は、そうした意味において、ずっと子供だったのかも知れない。
今でも、子供のままなのかも知れない。
母から見たら、幾つになっても子供であるように、私たちから見ても、母は、幾つになっても母なのだ。

五歳の頃に比べると、確実に変化して、確実に別人となったのだけれども、それは必要に迫られたための変化であって、無駄な変化ではない。
そう考えて生きてきたのに、二十五年という歳月を跨いで話す母には、「変わらない」と映るようだ。
自分では、生きていくために、必要なものを見極めて、無駄なものを捨ててきた。
だから、何に対しても、大きな執着はない。
どんなものでも、たいていのものは手放すことができる。
そんなふうに生きてきた自分を、母は「変わらない」と言ってのける。

何に対しても執着がないのは、何に対しても愛することをしていないことと同意だ。
このような考え方の自分のことは、好きではない。
もっと、人を愛して、人に愛されたい。
それなのに、そんな自分はどこにも存在しない。
『分人主義』の私でも、どこにもいない。

愛というものは、何なのか。
心に宿している母とは、何なのか。
現実では、うまく言えないことが、心の母には言える。
うまく愛せない私は、心の母には甘えられる気がする。

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