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マルハラを考えたらラブレターが書けなくなる

マルの恐怖は相手主体の自己肯定感の低さからくる

「文末にはマルをつけましょう!」
学校では、このように教えられた。
絵文字が登場して以来、文末に何をつけるかによって、いわゆる論争が行われている。
絵文字が出た当時、絵文字を使うことが流行った。
スタンプが登場したら、色々なスタンプが登場した。
『文末ハート女子』『おじさん構文』『おばさん構文』
このように、文末によって、馬鹿にされるという事件に巻き込まれてきた人は多い。
今回登場したのは、『マルハラ(「。」ハラスメント)』である。

文末に『。』をつけるだけでも、ハラスメントと言われてしまうのかと、私のようなおじさんは絶望していた。
そんな時、ポッドキャストで、『ゆとり女子が二人でたわ言を話す』という番組を知った。この中で女子二人が話している内容を聞いてみると、「どうやら分かり合えそうだ」という感想を持った。
この、『マルハラ問題』について、深く考えてみたいと思う。

『部長 先日言われていた、書類をお送りします。見てもらって、気になるところがあれば教えてもらえると嬉しいです』
みたいな文章が送られてくる場合がある。特に若い社員に多い。話し言葉のようで、文章としては大変失礼なものである。『。』は使われているため、今回の案件に当てはまらないかと言えば、そうではない。この文章こそ、問題打開策の突破口になり得るのだ。
こうした文章を送ってくる社員の頭の中には、「堅苦しい文章によって、話し手の感情がわかるように配慮している」のである。
『マルハラ』がなぜ問題なのかといえば、「相手が怒っているのではないか」と気になることにある。つまり、「怒られたくない」のである。コミュニケーションにおいて、20代くらいまでの若い人たちが優先するのは、相手の感情なのだということがわかる。
もちろん、私たちも相手の感情は気になる。気にしない人はほとんどいないだろう。
しかし、こちらが問題行動や、問題発言をしていないのに、怒られる筋合いはない。
そんなふうに、肝が座った考え方ができないのかも知れない。
どうしても、相手中心に考えてしまっているのだ。
ここには、いろんな問題が潜んでいるように感じた。

例えば『コミュニティの中の空気』などの同調圧力などがある。
そのコミュニティの中の空気を乱さないように、多くの人と同じように振る舞うことで、目立たないようにする必要がある。目立ってしまうと、他人から後ろ指を刺される事態になり、それこそ『いじめ』にまで発展することがあるからだ。
学生時代だけではなく、社会人になっても『いじめ』なんてあるのだと、社会人一年生の頃にはショックだった。
こうした社会の作り方が、当たり前の時代だからこそ、相手の感情が気になるのだろう。自分に特別な非がなくても、そうした問題に巻き込まれるのが、現代社会だからである。目立つだけで、SNSではボコボコにされる、怖い世界である。

では、なぜこうなってしまったのかと考えてみた。
これは、番組内でも言われていたが、『発信する土台』が変化しているからである。
番組内では、平安時代の『筆』から『鉛筆』『テキスト』と変化していることを取り上げていたが、私は『土台』に注目した。
当然だが、古代石板に『。』はついていない。何に書くかによっても、言葉は変化している。紙に書くときと、LINEに書く時では、明らかに文面が変化する。紙に『。』をつけても恐怖を感じないのに、LINEなら感じてしまう。
このように、土台が変化することによって、言葉や文章というものは変化させてきた。
『ハラスメント』などと言うと、過激に聞こえるため、ある意味どうしていいのかわからなくなってしまうのだろう。

これは、『自己啓発本に踊らされている人』に似ているような気がする。
自己啓発本には、『メソッド』が書かれている。そこには、あたかも、「答えはこれ以外にありません」という内容が書いてある。
そこに書いてあることに従う人たちは、総じて自分に自信のない人だ。自分に自信があれば、そんなことに踊らされることなく、本質を見抜くことができるはずである。
こうした、自己肯定感というものが低い状態のままでは、『マルハラ』と言われるだけで、「大変だ! やめなきゃ!」と考えてしまう。
しかし、そこに潜んでいる問題を知ることで、自分を強く保つことができるのなら、鵜呑みにしてしまうことは避けたほうがいいだろう。
「相手がどのように思おうが、自分は問題発言なんてしていない」
こうした肝の据わった考え方によって、『同調圧力』というものを和らげることができる。それによって、『いじめ問題』も少なくなるかも知れない。

『マルハラ』という問題と向き合うことで、『自己肯定感』が低いままでいる問題点を知ることができた。
しかし、「相手がどう思っているのか」という視点を、完全に忘れると、ラブレターを書いても相手に思いが通じないという弊害が発生する。
『マルハラ』も『自己肯定感』もほどほどが良いのかもしれない。

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