25年間生き別れた母に会った理由

過ちを許せる人は自分を許せる人

音信不通だった母に、久しぶりに会った。
あの頃と全く変わらない、やさしい笑顔だった。
母に会おうと思ったのには、理由があった。
そして、その理由は、たった一つだった。

5歳のとき両親は離婚となり、母が家を出てから25年。
母の顔を判別できないと母を傷つけてしまうと思い、喫煙所で待ち合わせ場所に背中を向けてタバコを吸っていた私の背後から、聞きなれた優しい声がした。
母だと確信した私は、振り返るよりも前に笑顔になった。
祖母から聞かされていた、似ているはずの女優さんには、似ても似つかない顔だったが、それは間違いなく母だった。
頭では思い出せなかったのに、実際に会うと「この顔が母だ」と断定できるものなのだ。

父方の祖母の家で会うことになった。
祖母は、母が家を出てからというもの、ずっと私の面倒を見てくれていた。
母に会おうという決心をした際にも、祖母は嫌な顔をせず「儂も会いたいわ」と言ってくれたのだ。

母と一緒に、待ち合わせ場所から祖母の家に徒歩で向かった。
歩いている途中に、どんな話をしたのかは、覚えていない。
夢なのか現実なのか、理解できない不思議な感覚だった。
到着して、祖母と母があいさつを交わしている間、なんだか誇らしい気分になった。私を中心に、歴史が変わっていると思えたのだ。

しばらく話した後、テンションの上がった祖母は、父に連絡して父を呼んだ。祖父が亡くなって以来、父と祖母は以前より親密に交流を深めていたため、祖母に悪気がないことは明白だった。

父は決して陰口などを言わない男で、別れた母のことを現在に至るまで、悪く言う事は一度もなかった。そのため、かたよった刷り込みが無かったことで、母に会いたいと思う気持ちを持ち続けられたのだと思う。これに関しては心から感謝している。

25年ぶりの家族3人の食卓となり、なんだか嬉しくなった。
「両親には離婚してほしくないと考えるものなのだな」と、久しぶりに3人で囲んだテーブルで、私は初めて心から思ったのだった。

再会して以来、母とも親交があり、現在に至っている。
母は再婚しており、子供も2人儲けていた。再婚相手のご主人も、大変良い男性で、種ちがいの弟2人も親密な関係で接してくれる。
今までの一人っ子だった環境からは考えられないほど、にぎやかな家族が一気に増えたことが純粋に嬉しかった。

私が母に会った理由は、たった一つ、後悔してほしくなかったからだ。
初めは私も、両親を許せなかった。
なぜ捨てたのだ、なぜ離婚したのだという気持ちが勝っていた。
30年前、両親は20歳で結婚した。
もし私が、両親の若気の至りを、いつまでも許せなかったら、現在の関係性はない。しかも、母とは会っていないだろう。そうなればきっと、母はいつまでも、若気の至りを悔やんで生きることになる。
そう考えたら、もしかしたら結婚したことも、私の存在さえも、後悔の対象になるのではないかと、そう思えてきた。

ましてや20歳なんて、上手くいくことの方が少ないものだ。
もしも上手くいったとしても、それは運が良かっただけで、実力なんてほとんどないのが、20歳という年齢だ。
20歳という年齢で、結婚をして、子を授かって、責任をもって社会で生きるのは大変なことだ。相手を思いやるほど、心に余裕のある大人ではない年齢である現実を、自分が20歳になった時に、しみじみと実感した。
「20歳で結婚なんて、失敗して当然だろう」という気持ちに、少しずつ変化してきたことが、今日という日を迎えられている。

あの日、再び出会ってから、20年が経とうとしている。
母との時間も、再び動き始めた。
DNAというのは不思議なもので、実際に生活を共にしていないのに、性格や習慣が同じものが多数存在する。
集中してテレビを見ていると、頭が段々と横に垂れてきて、顔が地面に対して平行になるほど横になった状態で、画面を見てしまっているところまで一緒だったのには驚いた。自分だけの変態技だと思っていたからだ。

『生みの親より育ての親』という言葉がある。
文字通り「生んでくれた親よりも、育ててくれた親にこそ、情が湧く」というものだ。
しかし、両親を見ていると、その当時、言うに言われぬ事情というものがあったのだろうと推察される。駆け落ちだった両親は、誰にも相談できずに苦しんでいたのかもしれない。
小さな命を抱え、自分のこともままならなかった時代を、誰にも相談できずに生き抜かなくてはならなかった。
生みの親、育ての親、それぞれに理由がある。

人は過ちを繰り返して、生きていく動物だ。
一度の失敗が、命の危機に直結することは、ほとんどない現代社会において、一度の失敗でくよくよ悩んで、後悔していては前には進めない。
しかし私が、過去の両親の失敗にこだわっていたら、きっと誰も幸せにはならないのだろう。

「もう2度と会えないと思っていた」
そう言ったとき、母の目には涙が溜まっていた。
人を許すことは、難しいことだ。
しかし同時に、自分のことを許すことになるのだと、両親から学んだ。


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