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人の役に立つ

人の役に立つということ

若い頃、朝早くに街を掃除するご老人を見ると、不思議でならなかった。
「たぶん、どこかからお金でももらっているのだろう」
そう思っていた。
でも、その街を掃除していたご老人の年齢に近付くにつれて、理由がわかってきた。
『人の役に立ちたい』
そんな思いを抱えて掃除をしていたのだ。

現在50歳の私は、10代、20代の頃には、『人の役に立つ』ということに対して。何のこだわりも無かった。
「自分が生きたいように生きる」
何よりも大切なのは、自分の欲を満たすことだ。
『お金持ちになりたい』
『モテたい』
『権力を手に入れたい』
そんな事が最優先事項だった。
私にとって、何よりも大切なのは、『自分自身』だったのだ。
学校へ行っても、友人たちと交わす会話も、そうした内容に溢れていた。
「俺はミュージシャンになりたい。好きなことをしまくりたいんだ!」
「俺は社長になりたい。やりたいことはないけど、とにかく社長になるんだ!」
「僕は漫画家になりたい。お金も儲かりそうだし」
一見、夢を語り合っていて、有益な時間に見える。
しかし、内容をよく見てみると、『自分の欲』を優先したものだった。
社長になりたいのに、やりたいことがない。いや、逆か。やりたいこともないのに、社長になりたいなんて、今の自分が見ると、夢でもなんでもないように思う。

テレビを見ても、有名で売れている芸人さんが言う。
「モテたいから、芸人になったんや。金も儲かるし、金があったらモテるやろ」
だから若い頃は、世界のほとんどの人が、『自分自身の欲』を満たすために生きているのだと思っていたし、それを疑うことなんて、まったく無かった。

そんなあるとき、街で掃除をするお爺さんを見た。
お爺さん。ご老人である。
歩くことさえ、ままならない様に見えるご老人が、道路や街路樹の周辺、まだ開店前の立ち並ぶお店の前などをホウキとチリトリを持って掃除している。
そんな老人が、前からいたのか、それとも最近出てきたのかわからない。私の目に入ってきたのは最近のことである。
「何してるの? あのジジィ」
ふざけて友人に聞く。
“どうして掃除なんてしているんだろうね、あのお爺さん”そう聞きたかったが、いい子ぶっていると思われたくない。
「さあ、バイトじゃね?」
そんなふうに答える友人を見て、心からいい子ぶった聞き方をしなくてよかったと思った。自分が友人と価値観が違ってしまうことが怖い。
でも私は、純粋にすごなぁと思っていた。
自宅に帰った時に母に聞いてみた。すると、どうやら街の掃除や緑のおばさんなどの、お年寄りが行なっている活動は、ほとんどお金など出ないらしい。ほとんどがボランティアだということだった。
驚いた。
「日本は街がキレイで美しい」などと外国での評価が高いと聞く。
しかし、そうしたごく一部の人間以外は、街の掃除などしたこともなければ、キレイに保つ工夫すらしていない。
私たちの生活を支えてくれているのは、こうしたボランティアなどで一生懸命働いてくれる人たちのおかげなのだ。
街の掃除なんて、誰にも誉められないし、誰の目にも止まらないことも多い。
それなのに、文句も言わず、街ゆく人に対して挨拶をしていて、とても元気な様子だ。元気をもらえることも多い。

「人のために役に立ちたい」と、青年海外協力隊などに参加している友人なども、人のために役に立つことが最優先事項だと言っていた。
「報酬は自分の欲求を満たすこと」だった自分にとって、そうした活動を全て「偽善だ」と思っていた。
自分以外の人の幸せなんて、自分が考えることではない。そう思っていた。
「自分が幸せになりたいのなら、自分で頑張るべきだ」
それはそうかもしれない。しかし、考え方が変化したきっかけとなった。
誰かにとっての幸せに、直結しなくてもいいのだ。私たちが健やかに過ごしている陰で、街をキレイにしたり、安全に横断歩道を渡れるように誘導する。このようなことにこそ、私たちの生活は支えられているのだ。
大きな功績を成し遂げた人だけではなく、人が気づかないようなところで、誰かの役に立つことも、立派な功績なのだ。

ふと、これは現代の学歴社会に似ていると思った。
私たちが目指しているのは、高学歴高収入の官僚や政治家をゴールとして設定されている。
歳を重ねてくると、『人の役に立ちたい』という気持ちが出てくると、多くの著名人も言っている。
そうした気持ちが出てくる背景には、年齢を重ねたことにより、自分ばかりを優先した生き方では、無理が生じてくるからであろう。
自分自身の人生も先が見え、更新に夢を託すという場面も非常に多くなる。
そうしたときには、自分の欲ばかりではなく、これから活躍する人の役に立とうという気持ちが出てくるのも頷ける。

そしてそうした高みを目指すものの中にも、陰で協力してくれる人や、支えてくれる人たちを敬う気持ちを忘れてはならない。

そうしたことを教えることも教育の一つなのかもしれない。

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