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1%の嘘

あるところに嘘つき村と正直村がありました。あなたは正直村に行きたい旅人です。
丁字路に差し掛かったとき、分かれ道に一人の村人が立っていました。あなたは右と左どちらが嘘つき村か正直村かわかりません。その村人がどちらの村の住人かもわかりません。
正直村の村人ならば絶対に本当のことを教えてくれます。
嘘つき村の村人ならば絶対に嘘のことを教えてきます。

さて、あなたはどのようにして正直村に行きますか?

昔からある論理クイズの定番ですね。この問題は絶対に本当か嘘をついてくれるから成立してます。

もうちょっと変化した。そこに立っている村人がどちらの村人かを当てるというクイズもありましたね。これもまた少し変化してて面白かったのですが…。


その辺りはどうでもいいんですよ。この問題はつまりは解けるように作られたものなのです。
つまり現実はそうも行きませんよね。時に嘘をついたりあえて言わなかったりする人が居るのです。そうなった時に嘘を付くかもしれない人を相手にするのって心労があります。1%で嘘付く人は真実を見つけるために100回に1回だけ疑えば良いわけじゃないからです。

100回すべて吟味しなきゃいけなくて1回しか嘘をつかないんですもん。
本当のことも不安になって見ることになっていしまったりしますね。低確率で嘘つかれる方がシンドイですよね。

更には勘違いとか誤解とか表現が悪かったりとか語彙の違いとか感覚の違いとかでドンドン変わっていって数字で表すようなことじゃなくなるんですよね。なんとなく気分の波でもOK・NGのラインも変わったりすることあります。

そうなってくると絶対に嘘ついてくれる人のほうが良いかもしれないって感じちゃうけど、適度にオブラートに包んでくれたり隠してくれたほうが良い感情もあります。

人間関係において一体何が正しいのか考えてしまうと息が詰まってしまうので嫌なんですけど、どうしても考えちゃうこともありますね。ただただ言葉になったことだけを信じてみるのも良いかもしれませんね。

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