24. 先生は宇宙人
つぐさんという人を知ったのは、今から4年前のこと。
友達の知り合いを伝って、はじめて彼のFacebookページに訪れた時のインパクトは、今でもよく覚えています。
フィード上の彼の第一印象が、人というよりも、光のように感じたのです。
強い光を放ち、そして求心力のある、光の玉。
へぇ、こんな人がいるんだなぁ。
と、彼の第一印象は、強いインパクトをわたしに残しました。
それから、実際に対面したり、導いてもらったりするようになってからも、ふとした時に、あまり他の人には感じたことのない独特な印象が残りました。
わたしはいつも、”あれは一体何だったのだろう?” と、ひとりになってからよく思っていました。
どんなことについてそう感じていたかというと、ひとつは、存在としての質感の軽さ、といったらいいのでしょうか。
彼からは、人間特有の”重さ”のようなものが、あまり感じられないのです。
醸すムードにも、思考する時のエネルギーにも、サラサラとした軽やかさがあり、爽やか。
モードの切り替わりもとても素早く、少し前の思念を、後に引きずるということもない。
そして、たくさんの人と同時進行で質の高いやりとりができるところからも垣間見える、扱える情報量の圧倒的な多さ。
情報処理の仕方自体も、特異な人であると感じます。
そして、意識領域の広さと、深さ。
極めて個性的でありながら、完成度の高い秩序を伴った、思想体系。
彼の人並外れた才覚や能力の高さからすると、それは天才性といった言葉で表すこともできるかもしれません。
ですが、その言葉にはおさまり切らないような、なんだか特異な感じがするのです。
そのようなことから、つぐさんと出逢った時から、わたしは彼に対してひとつの疑問を持っています。
彼は本当に人間なのかしら?って。笑
実際、彼は時々、自分のことを"宇宙人"だと言っているし、それはまんざら、冗談でもなさそう。
そして、それを聴いていると、だんだんと、彼のことを宇宙人だと思ったほうが、納得がいく気さえしてくるのです。
もう一つ、面白いことがありました。
つぐさんと関わり始めて間もなく、わたしに、それまであまり感じたことのなかった感覚が出てきたのです。
それは、わたしは人間なんだ、という自覚のようなもの。
それまでは、わたしにとって、自分が人間であるということは、あまりにも当たり前過ぎて、意識すらほとんどしていませんでした。
ですが、彼と関わるようになって、なぜか、自分が人間なんだという感覚が出てきたのです。
それは、今までいた人間の次元から顔を出して、それまでいた世界を俯瞰しているような感覚。
なぜ、そういう感覚が出てきたのか。
それは、彼自身が、人間という存在を俯瞰して見ている人だからなのではないかと、思っています。
ということはおそらく、彼が人間という枠組みの外から、人々を捉えているということ。
・・・ということは、やっぱり人間ではないのかな?笑
さて、この、結論の出そうも無い命題はともかくとして。
わたしにとって彼は、これまで出逢ったどんな人とも違う印象を残した人でした。
そして、今まで自分が持っていた枠組みでは彼という人を捉え切ることができず、当初はたくさんのカテゴリーエラーを起こしてしまったのです。
ですが、エラーを起こしたままにしておくことは、できませんでした。
その人はわたしを教え導いてくれる先生だったからです。
それに加えて、不可解なものに出逢うとそれを掴めるまでは止まれない、わたしの強い好奇心のスイッチが、つぐさんという未知の存在に遭遇することで勢いよくONになりました。
そして、彼という人と関わり、理解しようとする過程が、そのまま、物事のとらえ方の大幅なアップデートにつながっていきました。
自分の理解の範疇を超えるものとの出逢いのおかげで、わたしは自分の視野がとても狭かったことに気づき、それを広げていくことができていったのです。
ところで、視座の低さや視野の狭さの正体とは、一体何なのでしょうか。
それは、つまるところ、その人の思い込みなのだと思うのです。
思い込みとは例えば
そうであるに違いない
これはこうであるべき
言うまでもなくそうでしょう
そんなのは〇〇に決まっている
といった、その人にとってはわざわざ口に出すまでもないくらいに当然のこととなっている、世界や自分に対するその人の信念です。
そしてそれが、世界や自分の見方を限定的にしてしまう。
ですが、思い込みとは多くの場合自覚することが難しく、本人にとってはあたかも事実であるかのように、その人の世界を支配しています。
わたしも例外なくそのような状態でした。
それが、つぐさんと関わることによって、自分が抱えていた数々の思い込みに気づき、それを手放していくことになります。
なぜ、それができたのか。
ひとつは彼が、いわゆる”常識”とか”当たり前”といった束縛から自由な人だったからだと思います。
普通こんな時にはこうするでしょう、というわたしの予想の斜め上からの反応が、彼からはよく返ってきました。
その度にわたしは”?”となったものですが、その度に、自分が疑いもしていなかった”常識”という思い込みや、知らず知らずのうちにしていたジャッジに気が付いていったのです。
そしてもうひとつは、彼の人を見る時の、フラットな視点によるものだったと思います。
人が思い込みの中にいる状態をクリアに見抜くことができる彼の視点。
わたしは、そんな視点を持ち合わせている人に自分を見てもらうことで、まるで余分な皮がそぎ落とされていくように、自分の数々の思い込みに気づき、手放していくことができのだと思います。
もちろん、それまでうやむやにしていた部分に光が当てられ、あらわになっていくことは、脅威でもありました。
ですが、そんな気づきのプロセスに同行する彼の態度は、いつもどこまでもあたたかくて、わたしはその中で安心して、思う存分自分自身と向き合うことができました。
それに伴って、わたしの自由度は、気が付くと大きく広がっていました。
そう、気が付くと、そうなっていたのです。
それまで窮屈に感じていた多くの足かせが外れて、のびのびと自分を表現し、やりたいことに手を伸ばせるようになっていました。
以前はいろんな心の制限から自由に身動きが取れず、そのことをとても窮屈に感じていて、解放されたいとあんなに強く願っていたことを、忘れてしまうくらいに。
その願いが、いつのまにか実現していたのです。
最初はおれとの関わりが難しかったと思うけど
宇宙語を理解できるようになるととても
生きやすくスムーズに
なっていったんじゃないのかなと思う
と、最近つぐさんがわたしの変化について書いてくれていましたが、なるほどまさに、そうだなぁと思いました。
地球人が、宇宙文明に接触して大幅に世界観をアップデートした。
そんな感じでしょうか。笑
こんな風に、自分という存在そのものを通して、人を成長を促すというのは、とてもユニークな成長のさせ方なのではないかと思います。
彼自身が教材となって、それに対峙する人の視野を押し広げるきっかけを手渡しているのです。
彼が意図している・いないに関わらず。
そこに、彼の導き方の独自性の一面が、あらわれているように思いますし、彼だからこそできる人の育て方でもあるのだと思います。
つづく。
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