26. 悟りをひらくと変態になる
コンサルが始まって、半年ちょっと経った、あるセッションの日。
つぐさんとわたしは、カフェでコーヒーを飲みながらお話をしていました。
その時にしていた話題は、次元上昇について。
自然とそんな話題になり、次元が上がる時にどんな感覚を伴うのかや、具体的に何が変わっていくのかについて、あれこれ話が盛り上がっていました。
こんな風に、つぐさんとのやりとりは、お互いの関心ごとに関連する雑談から始まることも多くて、そこからいろいろと面白い話が展開していく、ということがよくあります。
そして、わたしはそんな時間がとても好き。
あらかじめ話題の焦点があまり定まっていないからこその、話の広がり。
そして、あれこれ話している中で、つぐさんという人の見ている世界の広さや、彼の世界の理解の仕方の法則のようなものを垣間見て、気が付くとそういう部分にも、大きな影響を受けている自分に気がつくのです。
さて。
いろいろな話を聴かせてもらっている中で、わたしには、ちょっと前から、彼に対してひとつの疑問を持つようになっていました。
それは、写心を撮ることも含め、彼のしている様々な活動の目的は、一体どこにあるのだろう?ということ。
つぐさんがいろいろな場面で、自分のしていることは”人を魅力的にする”ことなのだ、と言っているのは聴いていました。
確かに、それは間違いないとは思います。
ですが、彼の実際の相手への働きかけの深さを考えると、どうも魅力的にする、という言葉には収まり切らない、もっと深く壮大な働きかけをしているような気がして、ならなかったのです。
では、結局、彼は関わる人に何をしているのか?
そんなことを考えるようになっていました。
次元の上げ方についての話に熱がこもりはじめたつぐさんに、その質問をしてみることにしました。
すると、こんな答えが返ってきました。
要は
“人生の質をあげていこう”
ってことなんだよ。
でも、それをそのまま言ったって、全然伝わらないじゃん。
人生の質を上げよう!って言っても、あんまり”上げたい!”って、ならないでしょ。笑
だから、”魅力的になる”っている言葉で、表現をしているんだよ。
なるほど、そういうこと!
わたしはその答えを聴いて、それまで持っていた疑問が晴れ、そして、またひとつ理解が進んだことが、嬉しくなりました。
つぐさんは、そんなわたしに、さらにこんな風に続けました。
言い方を変えれば、1回で人間をゴールするためのやり方を教えます、みたいなことだよ。
俺に出逢う前のさちえさんの生き方だったら、絶対に2回目の人生に回されるでしょ。笑
それを聴いてわたしは、思わず吹き出してしまいました。
確かに、彼の言う通りかもしれません。笑
その頃のわたしは、いろんな場面で、カメレオンのように自分を変えて振舞っていたところがあります。
目の前の人が、自分の何を見て評価をしているかを察知して、その都度、その人が期待する自分でいようとしていたのです。
人の期待される自分でいようとするあまり、どれが自分なのかが、自分でもよくわからなくなっていました。
そして、最初につぐさんに撮影してもらった時に、本当はそのような生き方を望んでいたわけではなかったことを突き付けられたのです。
その後、ここまで導いてもらってきて、わたしが強く実感している変化があります。
それは、わたしがわたしである、という感覚がゆるぎないものに育ってきたということ。
他の人がどうであれ、わたしはわたしだと思える。
人の顔色を伺って、自分をそこに合わせにいったりすることも、殆ど無くなりました。
そしてそれは、自分自身であることに対する安心感と喜びを、感じさせてくれています。
でも、「今生で人間終わるための生き方を教えます」そんなこと言われても、みんなポカーンじゃん。笑
たしかに。笑
そして、この不思議で面白い話は、”悟り”の話にまで展開していきました。
次元が上にあがると、悟りがひらかれる。
悟りっていうのはさ、”差分が取れる(差取り)”ってことだと思うんだよね。
自分の中の差が取れる、ということ。
つまり、”悟り”とは”差取り”、すなわち、自分の中での差がなくなること。
例えばそれは、自分の中に母親としての自分とか、仕事上での自分とか、〇〇さんにとっての自分などといった、自分を何かに合わせて作っていく意識が薄まり、どこからどう見られてもわたしそのもの、という感覚になっていくこと。
誰の前にいたとしても、自分そのまま。
そしてそれは、その人の中で、自分の多面性を受け入れられているということであり、同時に、他人のいろんな面を受け入れられている状態でもあるのだ、と。
では、自分の中での差がなくなり、”自分そのまま”になったその人は、実際にはどんな風に人の目に映るのだろう?
そんな疑問をつぐさんに尋ねると、こんな答えが返ってきました。
変態、変人だね。笑
そう、次元(視座)が上がり、”差取り”の状態になった人こそ、周りからは突き抜けて個性的に見えるようになり、その様は、まさに変態であり、変人なのです。
本人の感覚としては、やりたいようにやっている。
その状態が、周りから見たら個性的に見えるんだよ。
でも、それが本来の人間の在り方なんじゃないの?って思うんだよね。
本質に戻るっていうか、純粋性が高いっていういわれもするだろうね。
つまり人は、生きていく上での様々な役割としての自分から離れ、本来の自分に戻れば戻るほど、個性が際立ち、変態になっていく。
そしてそれは、その人の魅力が最も引き立つ生き方でもあるのでしょう。
そして、つぐさんは、関わる人に対して、そのような関わりをしているのだ、と。
この話は、つぐさんの中で、次元上昇と悟り、そして魅力とがどのように関連づいているかが垣間見える、わたしにとって強く印象に残るものとなりました。
彼が何をやろうとしているのかについての、ある面コアになるお話を聴かせてもらったというか。
つぐさん自身も、こんな話になるとは思っていなかったようで、後で何度かわたしに、俺からよくこんなことが聞けたねぇ、と、つぶやいていたのでした。
そして、ここまでお読みになった方はすでにお分かりと思いますが、魅力的になっていく道は、そのまま変態・変人になっていく道でもある、ということですね。笑
つづく。
この記事は連載形式になっています。
最初からお読みいただくと、これからの記事も、より楽しんでいただけると思います♪
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