20. コンプレックスは魅力になる
わたしには、長い間コンプレックスに感じて、人に対して引け目を感じていたところがあります。
それは、自分の生真面目さ。
言われたことを真に受けて冗談が通じないとか、融通が利かないとか、そんなところです。
小さい頃や学生時代、就職していた頃に、その面があることで、よく嫌な思いをした記憶があります。
例えば、誰かに頼まれごとや指示を受けた時。
こちらとしては、相手の言っていることに一生懸命こたえようとしているのです。
ですが、言われたことを本当にその通りにやると、少しは自分で考えてやりなさい、と言われたり。
相手の言っていることを理解しようとして、理解できるまで質問を繰り返すと、面倒くさそうな顔をされたり。
言われた通りにしていると、その遊びの無さを茶化されたり。
そんな風に、相手に苦言を言われたり面倒くさがられたりまでするような、自分の生真面目さに引け目を感じてしまうことが、よくありました。
そして、そんな自分のことを、面白みのない、なんだかつまらない人だとも、思っていました。
もっと他の人みたいに、わたしもスマートに要領よく立ち振る舞えたらいいのに。
そして、その部分に対してコンプレックスがますます強くなり、思い悩むまでになったのは、心理士としてのトレーニングを受けるようになってからです。
当時とてもお世話になっていた心理の師匠に、繰り返し、わたしの生真面目さを指摘されたのです。
もっと遊び心を持ってやっていけばいいところを、いつも正面から真面目にやってしまう。
それが、スキルアップのネックになっている、と。
実際に、自分の持っているケースで同じパターンで行き詰まってしまうことがあり、その度に
”あんたは、生真面目やからなぁ”
と、師匠に首を傾げられ、途方に暮れていました。
今なら師匠から言われたことも、わたしを親身に思うからこその愛の言葉だったと、わかります。
ですが当時は
わたしは生真面目だから、ダメなんだ。
と、自分を苦しめる方に、その言葉を受け取ってしまったのでした。
そして、必死にそれをどうにか直そうとするのですが、これが全く上手くいかなくて。
生真面目さを直すことに、生真面目に向き合ってしまうという、堂々巡りのような状態になってしまっていました。笑
いえ、ちょっと笑えないくらい、当時は真剣に悩んでいたのです。
*****
そんな過去を持っているわたしが、つぐさんに導いてもらいはじめて、不思議な感覚になったのを覚えています。
わたしの生真面目な部分に、彼が一向に、反応しないのです。
嫌なそぶりもないし、それを直そうとするようなそぶりもない。
そのまんまでいさせてくれたのです。
それどころか、時々わたしを見てニコニコしながら、
真面目だね♪
と、わたしのそんなところをゆったり楽しんですらいて。
へぇ~、こんな風に捉えてくれる人がいるんだなぁと、とても新鮮な感覚になりました。
生真面目さを茶化す様子も全くない。
また、彼の言ったことを理解するために、わたしが何度も質問を繰り返しても、いつも嫌な顔ひとつせず、わかるまで丁寧に説明してくれました。
そんな彼の、フラットでどこまでも丁寧な対応に、わたしの頑なだった心は少しずつやわらかくなり、自分の生真面目さにダメ出しすることが減っていきました。
そして。
次第に、わたしのそんな部分を、つぐさんはむしろ好意的に見てくれているということが、わかってきました。
ある時のこと。
わたしの態度について
”ひたむきさを失っていない”
と、ふいに褒めてくれたのです。
この言葉をもらったときに、彼は人のそういうところを見ている人なんだな、と思いました。
その人が今どんな状態であるか、というより、その人がどんな態度で目の前のことに対峙しているかを。
そしてまたある時には、わたしの強みは何かについて、彼に尋ねてみたことがありました。
すると、こんな風に答えてくれました。
言ったことを、そのままできるところ。
これはできるようで、意外とできないことなんだよ。
これを聴いた時に、わたしはびっくりしました。
こんなところがわたしの強みとは、想像をしたことがなかったのです。
だって、それまでのわたしにとって、言われたことをそのままやることは、呆れられる理由になることだったから。
それが、わたしの強みだなんて。
でも、つぐさんはそんな風に捉えて、わたしに接してきてくれたんだなぁと。
コンプレックスと思いこんでいたものが、強みに塗り替わった瞬間でした。
わたしはそれから次第に、自分の生真面目さ ー言われたことを真に受けるところや、言われた通りにするところー を、自分のいいところとして、受け入れることができるようになりました。
そして、今。
わたしのその部分は、今もあまり変わっていないと思います。笑
でも、そのことで引け目を感じることも、嫌な思いをすることも、今は全くありません。
不思議とそれを指摘する人が、今はいないのです。
むしろ、自分のこの性質のおかげで、人から信頼してもらえたり、好意的に思ってもらえたりしていると感じることが、増えました。
これは、自分がそれまで否定していた部分を受け入れられるようになったので、それに連動するように、自分の意識が反映している外側の人々から否定的な意見を聴く必要がなくなったのだろうと思います。
そして、コンプレックスだったところも受け入れ、自己受容できる範囲が大きくなったことにより、柔らかさやのびやかさが出てきたと思います。
自分のコンプレックスを、受け入れていることそのものが、その人の力みを減らし、結果的にそれがその人を魅力にさせるのかもしれません。
要は、使いようなんだよ。
コンプレックスを魅力に変えることについて、つぐさんそんな風に言っていました。
そう、コンプレックスとなりうる部分は、その人の個性。
だとすると、否定したり直したりするのではなく、その人がより魅力的になるように使っていけばいいのです。
こんな風にして、彼は実際、いろんな人のいろんな部分を、直さなければいけないところとしてではなく、その人の個性として見て、魅力として伸ばしていく、というかかわりをしているのだろうな、と思います。
つぐさんが実際に、コンプレックスを持っている相手にどのような関わりをしているのか、改めて尋ねてみると、こんな答えが返ってきました。
相手が思うコンプレックスを
コンプレックスとして扱わないこと。
それはひとつの物の見方であって
こっちから見たらそうじゃない。
事実は変わらないわけだし
思考の癖でしかないから。
相手と目線を合わせない
(コンプレックスを)
握り続けるかどうかは
好きにさせたらいい
そう、相手がコンプレックスに思っていることは、相手の解釈でしかない。
しかし、相手にそもそも、”解釈している”という自覚すらないことがあります。
あたかも本人にとってはそれが事実であるかのように、頑として、ネガティブな意味づけをしてしまっていることも、多いと思うのです。
それに対し、彼は、相手の解釈の土俵に上がらない。
つまり、取り合わないのです。
そして、それは解釈や思考の癖でしかないことを、態度で、あるいは言葉で伝える。
さて、ここで、通常、心理療法などでは、コンプレックスをどう扱うかについて触れてみたいと思います。
一言で心理療法といっても、様々なアプローチがありますが、”コンプレックスが問題である”という前提からスタートすることは多いように思います。
もちろん、このアプローチが功を奏する場合もあります。
しかし、この前提からスタートをすることの問題点があるとすれば、”コンプレックスは克服すべきものだ”とみなすことによって、その人の中でコンプレックスがますます問題として意識されてしまうことです。
その場合、問題を解消しようとする行動自体が、ますます問題を問題化してしまう、ということが起こってしまい、これは問題焦点型のアプローチが陥りやすいところでもあります。
その一方で、つぐさんが取っているアプローチと似た手法もあります。
それは、”コンプレックスは克服すべき問題である”という、そもそもの前提を無視するやり方です。
つまり、”コンプレックスは問題だ”とみなすフレームの外側に出てしまうために、コンプレックスが取り合うべき問題ではなくなってしまうのです。
後者のアプローチは、言うまでもなく高度です。
なぜかというと、アプローチする側が、”コンプレックスが問題である”という前提から自由であることが必要だからです。
つまり、いくらこの手法を知っていても、アプローチする側が目の前の事象を解釈するという枠組みから自由になっていなければ、実際そのようなアプローチができないということ。
解釈から自由であるからこそ、問題に取り合わない、ということができる。
ですから、このようなアプローチができる人は、高い視座を持ち、ある程度熟練した人であると思います。
しかし驚くべきは、つぐさんが、この、心理のプロでも高度なアプローチを、普段の人とのかかわりの中で、サラッとやっていることです。
あまりにサラッとやってのけているので、受けている方は一見、自分のされていることが実はすごいことに気づかなかったりして、でもその自然なように思える関わりの裏には、実は、考え抜かれた意図がある。
相手のコンプレックスについてどのように向き合っていくかについて、明確な立場を取り、アプローチの方向性もゆるぎなく一貫していて、それが彼の中で当たり前になっているからこそ、あそこまで自然にできてしまうのでしょう。
そして私自身も、彼のそんな態度によって、握りしめていた強いコンプレックスは、必ずしもネガティブに捉える必要はなく、むしろ強みや魅力としても使えるのだ、ということに気づき、そこから抜け出ることができたのだと思います。
そして、自分のどんな面も否定することなく、個性であり魅力であると思えることの、なんと嬉しいことか、と、つくづく思うのです。
つづく。
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