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名もなきバス、最終編①

わたしは、
わたしは、何がしたかったのかわからない。
全身、涙に包まれているわたしは儚かった。

急に怒りが込み上げてきたかと思ったら、涙が溢れ、悲しみに囲まれて動けない。

それが日に日に強くなっていく。

毎日毎日、明日が来なければ。
そんな事を毎日願い、暮らす。

まさに生き地獄。

以前なら春夏秋冬を肌で感じ、生きている実感が小さな幸せだった。

なのに今はわからない。
ただ自分が自分じゃなくなっていく事だけはわかる。
全てが嫌で、ここから逃げ出したい。
今までの事がただの悪夢で目が覚めたら、私に戻ってる。

それを望んだ。

だから...。

ガタンッ、バスが強く揺れた。
その振動に目が強く覚醒した。
「バス?」
バスに乗った自覚なんてなかった。なのになんで?
同様しながら辺りを見渡すと、どうやら乗客は自分だけで誰も居ない。
外は暗闇で何処を走っているのかさえわからない。
かろうじて運転手の顔がミラー越しに見えた。
恐る恐る運転手に聞いてみようと少し体を椅子から上げると、
「このバスの行き先ですか?」
まさに、その通り。
それを聞きたかった。
「あっ、はい。わたし、なんでバスに乗っているのか...すみません、わからなくて。あっ、財布」
いつも手荷物は座席の右側に置くため自然と手が右側を触るも、何もない。
「えぇっ」
財布もなければいつものリュックも無し。
何も持たないままバスに乗ってしまったのかと焦りだし、ポケットや服をあちこち触っていると、
「大丈夫ですよ。このバスは普通のバスと違い無料ですから」
「えっ、無料?」
わけがわからずキョトンとしているわたしに、バスの運転手は話を続けた。
「このバスに乗る前の事、覚えていますか?」
その言葉に思い出そうとしても、何も思い出せない。
自分が何故バスに乗っているのか。
その前は何をしていたのか。
いや、
そもそもわたしは誰?

「思い出せませんか?」

優しく言う口調は、初めて会うはずなのになんだか以前から知っているような、不安な状況下なのに安心できる声だった。

「あの、わたしの事ご存知なんですか?」

その問いに一瞬、不思議な間があった。
けれど運転手は、
「今から前方に流れる映像を見て下さい」
そう告げ、言われるまま前方を見た。
すると前方の窓に、映画のスクリーンのように映像がノイズ混じりに映し出され鮮明に写ってきた。

そこには30代の男性が何やら暴言を誰かに浴びせている。
その相手は布団をぐるぐる巻きにされた女性だ。男性の手には包丁がある。
緊迫した状況の中、7.8歳くらいの少女が泣きながら、
「やめて!!!」
と必死に男性に懇願していた。
少女のおかげか、男性はその場を去って行った。
少女は布団から女性を必死に出した。出てきた女性は涙で顔はぐちゃぐちゃだが、少女に対して怒りに満ちた顔で、
「あんたなんか、あんたなんか産むんじゃなかった。あんたさえ、いなければこんな目にも会わなかったのに」
恨みに満ちた顔で少女に言葉を吐き捨てると同時に押し払った。
少女は尻もちをついてそのまま動かなかった。

窓からさす夕焼けの色が少女を照らし、頬には涙がゆっくり流れていた。

バスの女性はその映像を見て、
「これ、わたし?」
思い出したかのように驚いていた。

「そうです。これはあなたの過去を映し出してます。きっと全てを思い出すのも時間の問題でしょ。ただ、心の覚悟はして見てください。あなたには今から地獄を再び目の当たりにする事になりますから」

その言葉は恐怖だった。
だけど今、“わたし”が思いだせないなら見るしかないと心に決め、決意を決めた。

“わたし”を取り戻せるならと。

#小説 #バス#過去#孤独#記憶#忘れている

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