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紐緒部長とぼくの話 5

割引あり

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      5

 あれから一月が過ぎた。
 以来、部長とは何もない。
 あの日は部屋に戻ってとっとと寝るよう促されたし、その翌日は家に帰るだけでほとんど何も会話がなかった。
 あれは夢か幻だったのか。
 だが、あの日以来ぼくの意識は確かに変わった。あんな出来事があっては、部長のことをただの憧れの存在ではなく、女として見るのを止められる筈が無い。
 だがあの日から今日に至るまで、部長とは実験や研究をするための事務的な会話しか交わしていない。
 あれは一体なんだったんですか。
 ぼくのことを弄んだんですか。
 好きなんです。嘘じゃないです。
 もしぼくが好きな相手に童貞を捧げられるなら、紐緒部長以外考えられないんです。
 そんな想いはついぞ口をつくことはなく、時間だけが流れていった。
 そして、10月を迎えた。第一土曜、日曜日、この二日間にかけてきらめき高校文化祭が開催される。
 多くの文化系クラブがそうしているように、電脳部にも出し物がある。
 展示はこれまでに部長が作った製作物が主で、色とりどりのイルミネーションやレーザー発振装置、戯れに作ったオリジナルのシューティングゲームなどが楽しめる。
 だがこれらの他に、今年の展示の目玉があった。その展示物であるが、本番前日になってもその調整に手間取っていた。
「ん~、このパラメータが……」
「紐緒部長、お疲れさまです」
 ぼくは部長の机に淹れたてのコーヒーを置いた。以前コーヒー淹れだけは上手いわね、と褒められたこともある逸品だ。
 しかし━━。
 コーヒーを一啜りしても、部長の渋面は崩れなかった。
「部長……?」
「……あぁ、コーヒーありがとね」
「それ、上手くいってないんですか?」
「これなんだけどね……。実は情報通信研究機構のユニバーサルメディア研究センターから貸与した超臨場感システム"PHANTOM"をリバースエンジニアリングした複製品と小型化した機能的磁気共鳴画像(fMRI)による脳波測定システム、それにAI画像生成システム━━これは手頃なものがなかったからstable diffusionをベースに私がちょっと手を加えて作ってみた所謂AI3D画像生成システムを組み合わせてるんだけど……」
「ち、ちょっ……ちょっと待ってください! 僕のような凡人にはほとんど何を言ってるのか分からないですっ!」
 先輩はこめかみに手をあて、ふっとため息をついた。怒っていると思われがちだが、これは単に思考を巡らせているときの仕草であることが最近わかってきた。
「要は、頭で考えたものがあたかも実体化しているように━━見たり、触ったりできるシステムってことよ」
「す、凄いじゃないですか……。でも、悩んでらっしゃるようでしたけど、どうしたんですか?」
「AIなのよ。問題は」
「AI?」
 部長はこくりと頷いた。だんだん語りに熱がこもってきた。
「予算と手間暇の問題ね。要はAIの学習機能がまだまだ未発達で、狙った画像、3D表示されるのが肝だから画像というのら不適切だけど、ひとまず画像とするわ━━が出てこないのよ。オープンソースのAIシステムを使ったせいもあるなんだけど、一からいいものを調達するにはもう予算がカツカツだし、それ以上に手間の問題がね……。作り直そうにも時間が足りなすぎるから、いまあるもので何とか……、たっぷり時間をかけて学習させるしかないんだけど……。あ、そうだ。安院くん、この装置のモニターをやってくれる? 私が細かなパラメータを調整するから、案院くんが色んなものをイメージしたり、触ってみたりするのよ。どう?」
「ええ、部長のお役に立てるなら……」
 ぼくは意気揚々と答えた。もっとも部長がこのように言うとき、拒否権は基本的に存在しないのだが……。
 往々にしてやる気を出したときには災難が降りかかってくる。一般的な部活動の終了時間である18時を過ぎ、22時を回っても部長は実験を止めようとしない。
「それじゃ安院くん、次いくわよ」
(ま、まだ続けるんですか……)
 という言葉をぐっと呑み込みながらぼくは力強く頷いた。ヘッドセットを被り、複数の配線が接続されたメカニカルな外観の手袋を両手に装着する。
「安院くん、次はカレーライスをイメージしてくれる?」
「はい」
 頭の中でカレーライスをイメージする。
 白い皿、盛られたご飯、その上からかけられたカレールゥ。じゃがいもやにんじんといった具もある。そして金属製のスプーン。ちなみにイメージモデルはうちの高校の学食のものだ。
 ヘッドセットに接続されたゴーグルには、まさに本物と見まがうばかりのカレーライスが映し出される。あたかも本当にそこにあるかのような存在感だ。
 そういえば夕食をまだ食べていない。
 そんなときに目の前にこんなものを出されると、あたかもスパイスの香りや味さえ感じられるような気がするから不思議なものだ。
 部長が言うには、将来的にはこのシステムを発展させて味覚や嗅覚もVRで再現するシステムが様々な機関で研究中なのだという。
 そんなに遠くない未来には、仮想空間の中で五感すべてを再現しすることが可能になり、現実では起こり得ないような楽しみや喜びを得るためみんなが入り浸る世界が迫ってきてるんじゃないだろうか。ぼくのの胸中では、科学の発展を素直に喜ぶ気持ちと背筋に冷たいものが走るような気持ちがない交ぜとなっていた。
「安院くん、スプーン持って。カレーをひとすくいしてみてくれる?」
「やってみます」
 ぼくは画面内に映し出された金属スプーンを手に取った。カレーも、スプーンも実際にはそこにあるわけではない。
 だが、手にはめたグローブからは金属製のスプーンを手に取ったような硬質な感触が返ってくるのだ。
 スプーンをカレーライスに当てると、ご飯がグニュリとつぶれる感触がする。触感はまぎれもなくカレーライスだ。ご飯一粒一粒にまで存在感があるように感じられる。
 そして、ぼくはスプーンでカレーとライスを一掬いしてみた。
「部長、すごいです……。紛れもなくカレーライスですよ……。味や香りまではともかく、見た目や感触は本物ですよ、これ」
「フン、ま、こんなものかしらね」
 部長は眉間を押さえて立ち上がり、考え込むような仕草を見せた。
「今日はおしまい。正直言ってまだまだ気になるところはあるけど、あとはお客さんにモニターしてもらいましょう」
「ぶ、部長……、いいんですか? こういうのはてっきり完璧に納得いくまではぶっ続けで━━それこそ朝までテストし続けるものかと……」
「あなたね……。私をなんだと思ってるの……。それに、こういうときは闇雲に実験ばかり繰り返してはダメよ。休むのも大事。それに、煮詰まったりしたときには気分転換したり一眠りしたときにこそフッとブレイクスルーが降ってくるものよ」
「い、意外ですね……。てっきり成功のためには99%の努力をし続ける主義かと……」
「ああ、それは小学校も出てなくて理論や計算を理解できないアホの仕事ね。安院くんも覚えておきなさい。何も学歴にこだわる必要は無いけど、高等物理や高等数学をないがしろにして勘頼りの実験ばかりしていてはダメよ。時間の無駄。不毛な汗ばかりかくことになるわ。真の天才っていうのは、99%の努力を無用なものにする1%のひらめきが降ってくる人間のことを言うの。私みたいにね」
「ぶ、部長……!」
「それじゃ、私は先に帰るから。鍵閉めといてくれる?」
「は、はい。お疲れさまです……」
 部長が去り、ぼくはひとり部室に残された。
 辺りから人の気配が無くなった事を確認すると、息を呑んだ。
 装置の起動スイッチを押した。
 実はこの装置のテストを何度もやっている内に、ぼくの頭の中にはとあるひらめきが浮かんでいた。この装置を使ってどうしてもやってみたいことができたのだ。
 だが、それは部長のいないところでなくてはならない。今この時が千才一隅のチャンスである。

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