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空爆の首謀者はアイヒマンとどう違うのか/『日本大空襲「 実行犯」の告白』を読んで

はじめに

筆者は2017年11月にツイッターアカウント「新聞書評速報 汗牛充棟」を開設しました。全国紙5紙(読売、朝日、日経、毎日、産経=部数順)の書評に取り上げられた本を1冊ずつ、ひたすら呟いています。本連載では、2019年から2021年までに新聞掲載された総計約9300タイトルのデータを分析しています。

今回は新聞書評と関係なく、お勧めの本を紹介したいと思います。
一昨年の夏に刊行された本ですが、今こそ広く読まれるべきだと考え、3月10日の東京大空襲の日を前に、感想めいたものを記すことにしました。

ウクライナと東京、民間人大量殺戮の記憶

ウクライナ戦争では、ロシアがウクライナの民間人居住エリアをミサイル等で無差別に爆撃し、世界にその非道ぶりが日々報道されています。民間人に対する攻撃は国際法違反であり、人道に対する罪であり、戦争犯罪であると国際世論は沸騰しているわけです。

そこに異存はありませんが、80年ほど時計を巻き戻せば、日本は太平洋戦争末期、主要都市にアメリカ軍の空爆を受けています。

本書によると、1944年11月に始まった空襲は8月15日の終戦までに、約2000回も行われ、爆撃された地域は237ヵ所にものぼりました。投下された焼夷弾の数は約2040万発。1955年3月10日の東京大空襲だけで、12万人ともいわれる犠牲者を出しました。原爆による犠牲者を含めると、少なくとも45万8314人が命を落としました。

この時期、日本はすでに敗色濃厚でした。しかも当時の大統領ルーズベルトは、「人道主義」を掲げてこの戦いを指導していました。それなのになぜ、アメリカ軍はあえて一般市民を大量殺戮する必要があったのでしょうか。

本書はその「歴史の闇」を暴いていきます。

組織の論理が生んだ無差別爆撃

結論から言えば、それは組織のため、でした。第二次世界大戦当時、アメリカに空軍はありませんでした。アメリカ陸軍の一部だった航空隊が、空軍として独立するために空爆を行ったのです。

第二次世界大戦当初、世界最大の航空兵力はドイツ、二番目が日本で、アメリカは6位でした。陸軍に付属して髀肉の嘆を囲っていた航空隊にとって、空軍の独立は悲願で、そのためには、軍事的な成果がのどから手が出るほど欲しかったのです。

航空隊司令官ヘンリー・ハップ・アーノルドは、ルーズベルトに直談判までして予算を獲得し、B29を開発しましたが、思ったような活躍ができません。一般市民を巻き込まないために軍事施設などをピンポイントで狙う精密爆撃はドイツでも日本でも大失敗します。日本空爆の成果では、海軍にも先を越されます。

実績を残すためには、軍事施設に構っていられない。低高度から居住地を無差別に焼き尽くす焼夷弾しかない。日本の木造建築は、よく燃えて延焼するから、焼夷弾の効果は抜群だ。

アーノルド率いる航空隊はどんどん追い詰められていきます。そして、アーノルドは精密爆撃に固執した少将を解任し、カーチス・ルメイを後任に選びます。東京大空襲の「実行犯」です。空爆は東京に限らず、全国の主要都市に拡大し、終戦前日の8月14日まで続きます。

あまりの”戦果”に、陸軍長官のスティムソンは2つのことを懸念します。一つは非人道的な攻撃だとして、アメリカの評判が落ちかねないこと。もう一つは、原爆を試す前に戦争が終わってしまいかねないことなのでした。

発掘された264人の証言テープ

本書に引用された証言の多くは、アメリカ空軍士官学校に眠っていました。マリー・グリーンというアメリカ空軍のヒストリアンが、1967年から全米各地に散らばる264人もの空軍将校たちにインタビューした通称「マリーコレクション」と呼ばれる膨大な未再生テープの中に、日本を空爆した空軍将校たちの肉声もあったのです。

この未再生テープを「発掘」したのが、著者の鈴木冬悠人さんです。鈴木さんは、初めて世に出たこのテープをもとに、2017年8月にNHK「BS1スペシャル『なぜ日本は焼き尽くされたのか』」を放送しました。

この番組を見た新潮社の編集者が、どうしても本にしたいとメールを書き、その熱意に突き動かされて、番組で使わなかった素材も盛り込んだのが本書だと、あとがきにあります。膨大なテープから、歴史の襞を一枚一枚めくっていくような労作です。

アメリカの「悪の陳腐さ」について

ところで、空爆当時の10歳は、いま88歳です。先日、米寿を迎えた義父に本書を勧めたところ、衝撃を受けていました。「勝者の論理」と「組織の持つ支配力」と読後の感想にありました。

私の脳裏に浮かんだのは、アドルフ・アイヒマンです。

アイヒマンはホロコーストに関与し、戦後、アルゼンチンでの逃亡生活の末に、イスラエルに連行されて裁判を受けたナチスの残党です。アイヒマンは裁判で、自身の行為について「命令に従っただけ」と主張しました。その態度は、悪党というよりは、小心者の小役人のそれでした。

裁判を傍聴した哲学者ハンナ・アーレントが、『エルサレムのアイヒマン:悪の陳腐さについての報告』という本を書きます。どこにでもいるような男がやったからこそ、恐ろしいのでした。

本書(『日本大空襲「 実行犯」の告白』)によると、46万人もの民間人を焼き払ったアーノルドは部下の評判が良い熱血漢で交渉術も巧みな男です。悪魔のような男ではありません。そして、アーノルドに指名された「実行犯」のルメイは当時38歳の最年少少将。証言テープの中で、アーノルドから直接には何も言われてはいなかったが、「大将のために何かしなければならないと思っていました」と語っています。

いま、コロラド州のアメリカ空軍士官学校には、「空軍の父」としてヘンリー・ハップ・アーノルドの銅像が立っています。そして、カーチス・ルメイはあろうことか、日本政府から勲一等旭日大綬章を授与されているのです。功績は「航空自衛隊の育成に協力した」から、と本書にあります。

コロラド州のアメリカ空軍士官学校に立つ「空軍の父」ヘンリー・ハップ・アーノルドの銅像

本書の最後は以下の言葉で締めくくられています。

「空軍将校246人が残した肉声の中に、反省の言葉は一つも聞かれなかった」

この「勝者の論理」には慄然とし、悄然とするしかないのでした。

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