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短編小説「メタリックツインテールナンバーエイト」

 酷い冷え性で手がかじかむのです。私がそう告げると彼はチェーンソーで私の手を切断した。赤い飛沫が彼の服を汚す。彼はそのことに腹を立てた様子もなく、これでもう辛い思いをしなくて済むだろうと私の頭を撫でた。本当に優しい人だと思う。

 でも、と私は手首から先がなくなった自分の腕を見る。赤い液体がまだポタポタと滴っていて絨毯に染みが広がっていく。でもこれでは髪を梳かすことが出来ないわ。彼はソファーに仰向けに寝転んだまま目だけを私に向けた。昔は真っ黒だったソファーも長年の陽射しのせいですっかり灰色に日焼けしている。ソファーだけじゃない。絨毯も箪笥もテーブルも椅子も全てが日光に曝され、風に曝され、雨に曝され、廃墟のような雰囲気を醸し出している。

 ギシギシとソファーが悲鳴を上げて、彼が立ち上がる。待ってろ、ぶっきらぼうに言って洗面所に向かう。引き摺る彼の右足が絨毯の縁を捲れ上がらせた。私は慌ててそれを直そうとして自分の手がないことを思い出す。彼に見つからないようにこっそりと足で直そうとしたが、鏡越しに彼と目が合った。気まずくて苦笑する私を鼻で笑う。どうやら不躾な私の行動は咎められずに済むようだ。

 水が出ている所を一度も見たことのない洗面台から彼はブラシを持って来た。再び大きな悲鳴を上げるソファーに座り、その前に私を座らせた。私はツインテールを解こうとする彼の手を払った。すみません、それが無いと私は私ではなくなってしまいます。私が振り返り彼を見上げると、そうだったなと言ってゴムで留められた先の方だけを丁寧に梳かしてくれた。私はそっと目を閉じ、しばらくその幸せな時間に身を委ねた。今日はとても穏やかな日で、彼が耳元で髪を触るその音以外何も聞こえない。

 ふと彼が手を止めた。私の名を呼ぶ。はい、と私は答える。薬の時間ですね。立ち上がり私だけの秘密の場所へ行く。引き出しを開け薬の入った茶色い瓶を前に、さてどうしたものかと首を捻った。私は床に瓶を置き、両膝で押さえて蓋を回そうとした。ところが前回閉める際に力を入れすぎたせいかびくともしない。今度は両手首で瓶を押さえて歯で回そうとしてみた。これも上手くいかず、瓶全体が回ってしまった。助けを求めて彼の方を見ると、彼はソファーに仰向けになって空を見ていた。彼はこの薬瓶を見たことがないのだから私が困っていることに気が付きもしないのだろう。

 体のあらゆる部位を使って試行錯誤していると、ふいに背後の彼の気配を感じた。私は慌てて瓶を体で隠す。駄目です、見てはいけません。彼は私の肩に手を置いた。始めは優しかったその手には徐々に力が込められていき、私の体を引き剥がそうとする。やめてください。必死の抵抗の甲斐があり、彼が手を離す。

 もういい。優しい声色だった。どうせもうほとんど残っていないんだろう? 諦観した彼の言葉は正しかった。私は体の力を抜く。腕の隙間から彼が薬瓶を抜き取った。蓋を開け、床に置くとそのまま踵を返した。彼が薬の残量を見たのかは分からない。私は瓶から薬を一粒蓋に移し替えると彼の待つソファーへ持って行った。

 見たのですか? 彼は首を振る。でも俺が思っていたよりも少ないことは分かった。その言葉には一切の感情が含まれていなかった。そもそも彼はこの私よりも感情の起伏がない。私と出会う前に彼がどれだけの地獄を見て、どれだけの絶望を味わったのか、私には想像もつかない。

 泣くな、と突然彼に言われた。目を擦った腕が濡れているのを見て初めて自分が泣いていることに気が付いた。この機能が搭載されていること自体を知らなかったので、彼に命令されても止めようがない。そのことを彼に言うとそこに座って目をつぶれとソファーに座らされた。大きな金属音がして、目を開けても彼の姿が見えなくなった。涙が止まったのかも分からないが彼のすることなのだから間違いはないだろう。

 もうなにもしなくていい。暗闇から彼の声がした。そういう訳にはいきません。私は答える。あなたが死ぬその時まで、あなたの世話をするのが私の使命ですから。だからその使命はもう終わりだ。彼が言う。束の間の後、チェーンソーの起動音がした。

 暗闇の中、私は床に這いつくばり手探りで薬瓶を探す。ようやく見つけた瓶の中から一粒を腕で挟み、何かにつまずいて転んでしまわないように這ってソファーへ戻った。彼の手に薬を置く。しばらく待っても彼が薬を飲んだ気配はなかった。どうして飲まないのですか? 早く飲まないと死んでしまいますよ。彼は答えない。私はあなたに一日でも長く生きてもらいたいのです。彼は答えない。


 願わくばあなたの死に場所は私の亡骸の上に。

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