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「初めての抗がん剤治療」

抗がん剤なるものを、恐れていました。
人によっては吐き気、倦怠感、高熱が続き、抜け毛が激しく、こ
んな思いをするなら、死んだほうがましだと科学治療をあきらめる人
もいるそうです。
 白血病と闘っている、格闘家のノブ・ハヤシさんもスキンヘッドだし、自分は絶対似合わないから、田舎の893になるに決まっています。
 ましてや、塞栓術で吐きたいのに吐けない苦しみは味わったばかりだし、意外に気が小さく痛みに弱い自分に気がつきました。
 科学治療をしながら、ゲロを吐きながら死ぬなんてまっぴらごめんと思う日が続き抗がん剤関係の資料を片っ端から読み漁りました。
がん・感染症センター都立駒込病院著の「がんと闘う病院」は担当医のK先生が肝臓癌について詳しく書かれており大変に参考になりました。
また漫画押川先生「抗がん剤はあぶない」って本当ですか?はまんがということもあって、わかりやすく抗がん剤の実態を書かれています。
そのなかでも一番参考になったのは、癌関係のBlog、様々なSNS、文献に固執してはいけないという記事でした。
癌と言っても、一人一人病状も条件(体力、気力、生命力等)も違うわけであり、これが正解というものはないという事でした。
特に助かったのは、Kindle Unlimitedという関連本読み放題のサービスがあり
本来大量の参考書を購入しなければ、細かい情報を手に入れられなかったはずが、何度でも拾い読みをすることができ、必要なければ新しい情報の本に取り替えられるサービスはとても役に立ちました。


いよいよ、抗がん剤の日を迎えました。
朝、血液監査をして主治医が抗がん剤可能と判断され、第1回目の抗がん剤治療が始まりました。
入院はしたくなかったのですが、初めての抗がん剤なので副作用を見なければいけないということで3日間の 入院でした。
相変わらず病院は、病気の気が漂っているような空気が流れています。

一晩休んで次の日から抗がん剤治療が始まります、入院していた部屋は三階でしたが、窓からクッキリと東京スカイツリーが見えました。
 二年前に、一人息子の敦史(始めの結婚で生まれた長男)が結婚するとき、両家顔合わせをしたところです。
 久しぶりに元妻に会いましたお互い様ですが歳を取っていました。
なんであれだけ愛していたのに、最後まで添 い遂げられなかったのだろうなんていろんな思いを懐きました。
 元妻との間に生まれた二人の娘のこと、長女の由紀子は、小さな時、自転車に乗って二人乗りをしたとき足を後輪に入れてしまい踝の辺りを怪我してしまいました。
 それでもパパとブランコに乗りたいといって、血を垂らしながら、ブラ ンコに揺られた。
大人になって「お父さんと言う人は日曜日だけ帰って来ると思っていた」といい、日曜の夜に出掛けるときは「パパいってらっしゃ い、また来てね」と見送ってくれました。
 次女の幸子は感性の強い子でした
家に帰ると、落ちた財布に紐が、見るとその財布が隣の部屋から引っ張られていた幸子のいたずらと気づいても、無視をして、「さっちゃん、何、やっているの」と言ってしまいました、せっかくパパを驚かそうとして長い時間待っていたのに、思い通りにいかなかったことがショックで大泣きをしました。
 長男の敦史は、子供の頃から虫と魚釣りが大好きでした、茨城の霞ヶ浦にブラックバス釣りに行ったが、一匹も釣れず、悲しい顔をしていたのをはっきり覚えています。何でもっとキチンと調べてから行かなかったのだろうと後悔しました。

夜景を見ながら子供達のいろんな出来事を思い出していると、自分の人生を反省し気持ちが落ち込みました。
 中学、高校と父親に相談したいこともたくさんあったことだろうに、一番大切の時期に、俺は夢ばかり追いかけて、側にいてあげることができなかった。
 そして今は、父親をやり直す最後のチャンスだった孫のような 娘の卒業式も入学式も見ることが、叶わないかも知れません。

こんな、駄文を読んでくださり貴方は仏様ですか?